魔王代行代理、黒須が魔王城の主として認められた頃。魔界と対極に位置する遥か天空に存在する天界では、1人の天使の運命の輪が急速に回ろうとしていた。


「ケースケ君」
「よー、スガ。何?用事って?」


天界の要職に付きながら、互いに幼馴染と言う間柄もあって、砕けた明るい口調で話す山口に対し、元々話し方が丁寧な須釜は笑みを浮かべて言った。


「ちょっとばかり魔界に行って、魔王、黒須京介を暗殺して来て下さい」


その非常に笑顔とはミスマッチした物騒な発言に、山口は完全に凍り付き、しばらくして


「はぁぁぁぁぁ?!」


と大声で唸った。


「は?何、言ってるの?暗殺?いや、不味いだろ。お前、天使だろ。俺も天使だけど」
「いえいえ、大丈夫、ケースケ君になら出来ますよ」
「根拠も無いのにさらっと言うなぁぁぁ!!」


背の高い須釜の襟首を掴み、引っ張るものの、身長に対して見合った体重のある須釜はびくともせず、


「あはは〜ケースケ君ったらお茶目なんだから☆」


と笑うだけだった。


「冗談は置いておいて、本題はなんだよ?」
「冗談なんかじゃありませんよ」
「はぁ?!」


聞き捨てならない言葉に圭介は須釜を見たが、須釜の表情は一切の笑みを消して真面目な顔で


「四大天使の1人、地の山口圭介。天使長、須釜寿樹の名において、貴方に、魔王、黒須京介の暗殺を命じます」


と言った。


天使階級最高位、天使長の名で命じた命令に天使である山口は背く事は出来ない。ここに来て山口はようやく事の重要さを噛み締める。それでも四大天使の一角を担っていて、頭の切り替えは早く、


「藤村の方が適任じゃないのか?」


と既に命令遂行の為に頭を働かせていた。四大天使の1人、火の藤村成樹は天界随一の戦闘力を誇り、神の槍とも称される天界軍の軍団長でもあった。同じ四大天使、山口も戦闘力はかなり高いが、戦闘能力以外の才能が重要視されている為、魔王暗殺ともなると山口よりも藤村の方が成功率は高い。言外にそう言えば、須釜は首を振り


「ケースケ君以外にこの仕事は無理です」


と言った。


2人の間に沈黙が走る。先に口を開いたのは山口だ。天使長の名を使われた以上、山口には任務を遂行するしか道は無いのである。


「わかったよ」


そう言うと、須釜の顔にまた笑みが戻る。


「ケースケ君ならそう言ってくれると思ってました」
「まぁ、やるしかないだろ?で、いつ発てば良い?」
「今すぐです」
「はぁ?!」
「じゃあ、ケースケ君、健闘を祈ります〜」


そこは天使長の空中庭園の一角で、足元は芝生で覆われていた筈なのだが、山口の足元はいつの間にか何も無く、体は重力に従い、そのまま落下して行った。須釜の間の抜けた声が山口の耳に残る。


「スガのバカァァァァァァァァ!!」


と叫ぶ山口の声が辺りに空しく響いた。


「頼みましたよ、ケースケ君。貴方に全ての未来が掛かってるんですから」


と空中庭園で須釜が憂いた声で呟いたのは、誰も知らない。








第三話 四大天使、山口圭介登場





「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」


落とされた山口は、翼を広げて飛び立とうとするものの、翼を幾ら動かしても飛ぶ事が出来ず、落下する一方だった。必死に翼を羽ばたかせながら、混乱する頭を何とか落ち着かせようと努力する。次第に落ち着きを取り戻した山口は、ようやく1つの結論に辿り着き、広げた翼を元に戻した。山口が落ちている空間は、天界トンネルと呼ばれる空間で、使用目的は主に堕天した天使を魔界に落とす際に使われるものだった。


(・・・いくらなんでもこれはあんまりだ)


これから行く先は悪知恵の働く悪魔の巣窟だ。正攻法で進入するには難しいのかもしれないが、堕天した覚えの無い山口は、落下しながらも須釜の行いに憤慨していた。トンネルは堕ちた天使が二度と戻れないよう、翼も天使魔法も使えない空間になっている。


(さーて、どうしようかな・・・)


トンネルの向こうの景色が水色の空から赤い空に変わり、魔界にそろそろ入ったかと認識した頃、今まで感じていた強い圧迫感が消えた。試しに翼を広げて羽ばたかせてみると、翼は軽やかに羽ばたき、山口は宙に止まる事が出来た。翼が使えるようになったので、おそらく天使魔法ももう使えるだろうと判断した山口は、次にどうするか考える。


1.魔王の居場所を知る
2.魔王の周辺を探る
3.天界に戻る方法を探す


(まずは1と同時進行で3かな)


目的を明確にしたので、まずはここがどこなのかはっきりしようと一帯を見て回ろうと翼を羽ばたかせ、空を舞った。


「あ、どうも。こんにちわ」


山口が飛び立ってすぐ、宙に浮かぶ人影を見つけたので近付くのを止めて警戒しながら様子を窺うと、影が動いたと思った瞬間、目の前に見知らぬ者が立っていた。黒い髪、黒い目、白い肌、赤い唇。黒いドレスを着た美しい女。だけどそれが別の生き物だと、背に生えた黒い翼が主張するように羽ばたいていた。


「・・・・・」


無言で見つめられ、その圧力に負けて口を開く。


「あ、どうも。こんにちわ」


緊迫した空気にはそぐわない言葉だったが、女の方は少し驚いたように目を見開いた後、


「こんにちわ」


と喋った。綺麗な声だった。


「えっと・・・ここで何をしてるんですか?」


明らかにそれは自分自身に問われるべき質問だとわかっていながらも、無言に耐えかねた山口が何を話すか考えた末にそう口にした。女は近くを指差す。指差した方向に目をやれば、森の一部がそこだけ竜巻が来たように木々が薙ぎ倒され、その近くでは地面が抉られてクレーターのようになっていた。


「酷いな、これは」


山口が顔を顰めて言うと、女は困ったような表情に変わった。


(ああ、この人は森がこうなってしまったから心を痛めている訳か)


山口が天界で教えられた悪魔の実態は、狡猾で権力欲が強く手段を選ばないと言うものだったが、最早その教えなど今の彼の頭の中には無い。山口は天使であり、人の優しさに触れる事が好きな天使だった。今の山口には女の背に生えた黒い羽すら見えていないのかもしれない。


「俺に任せて」


と山口は力強く言うと、クレーターの中心部上空に立ち、天使魔法を唱え始めた。







「はい、終わり」


魔法詠唱が終わり、魔法が発動すると薙ぎ倒された木々は起き上がり、地面は盛り上がり、生命活動は急速に加速した。四大天使と天使長にしか出来ない奇跡である。


「凄い」


ポツリと女がそう漏らすと、照れ臭そうに山口は頬を掻いた。


「俺、こういうのは得意なんだ。それに見ていて痛々しいし」
「ありがとう。助かったよ。あの森はコカトリスの巣だから」


コカトリスと言う魔界の鳥の名に、山口は改めて自分が魔界に居るのだと実感した。


「見た所、堕天使では無いみたいだね。迷子にしては力があるみたいだけど、お礼に何か出来ることがあれば力になるよ」


予想外の言葉に浮き足立ってしまったのがいけなったのだろうか?、と後の山口は反省を口にする。


「魔王ってどこに居るの?」


と今1番入手しておきたい情報を聞いてみた。




そして、一刻後。山口は森の傍にあった時空ゲートを潜り、城下町の中に立っていた。


「えっとここは?」
「城下町。ほら、行くよ」
「あ、うん」


服の袖を引っ張られて歩き始める。病院。議事堂。商店街。それらの前を通り過ぎ、階段を登る。登った先にはドラゴン、レンガ造りの床に突き刺さったままの槍、ゴーストの類が徘徊しているが、どれもこれも興味深そうに山口を眺めている。手を引く女はその視線に気付いているのかわからないが、足を止める事無く進み続ける。


(え?ここって・・・)


この状況がやばいと感じたのは、大きな城の門を潜った時だった。


「おかえりなさいませ」


侍女姿の人間が恭しく頭を下げる。女は、帰った、と短く告げるとそのまま歩き続けた。


(この子ってお嬢様?)


自分と年の変わらない横を歩く女を見る。服は光沢のある傍目から見ても上質とわかる布で作られていて、デザインもシンプルながら上品な物だ。ようやく女の足が1度止まったと思った時には、山口は大きな部屋に連れて来られていた。


「あー、姫様、おかえりっす。で、横の天使は何ですか?」


おそらく城下町の中からここまで山口を見たであろう悪魔達も同じように思ったのだろう。

それを代言するように、クッキーを咀嚼しながら話す男に対して、姫と呼ばれた女は、


「私の恩人だ」


と言った。


「ふーん」


と男は意味有り気に笑うと、紅茶の入ったカップに口を付けた。