魔王城、謁見室での密談が行われている頃。天界の一角、天使長しか立ち入る事が出来ない場所。天使長の部屋、通称、神の祭壇では。


「・・・そろそろ気付いた頃だな」


銀色の懐中時計を見て、男がそう呟いた。その言葉に隣に居た男はにぃっと笑う。チャーシャ猫のような嘲笑だった。


さんは気付いたと思います?」
「あいつが気が付かない筈が無い」


有り得ないと強い口調で男が言う。黒いマントに黒い服。白を好む天使達は神聖な場所ほど白を使いたがるのだが、神の祭壇と呼ばれる天使長の部屋も例外では無くオフホワイトを基調にした空間で、その男の黒ずくめの服装は余所者だと言わんばかりに浮いていた。


は読みが良いからな。これだけ状況証拠を揃えたんだから、こちらの狙い以外は気付いたと思うぜ」


横の猫の嘲笑を浮かべる男も同意する。こちらも全身黒づくめだった。


「それよりさ、そっちこそ大丈夫なワケ?山口は本当にに危害を加えないんだろうな?」


猫が威嚇すると言うには生温い。豹のような大型で獰猛な獣が威嚇するように、男は須釜に対して殺気に似たオーラを放つ。須釜はそのオーラを笑顔で受け流すと、大丈夫ですよ、と前書きを言った後、


さんはケースケ君の好みのタイプのど真ん中いっちゃってるんです。惚れはしても危害は加えませんよ」


と、言った。


「それはそれで心配なんだけどな」


と、威嚇のオーラを出していた男がオーラを消すと、頬を掻く。


「賽は投げられました。僕達は当分ここで見物に回りましょうか?」


ねぇ、京介さん、くん。そう呼ぶ須釜の背には白い翼。向き合う京介とと呼ばれた黒づくめの男達の背には黒い翼があった。






第六話 赤い月





天界と魔界それぞれで密談があったその同時刻、山口は自室でこれまでの事を考えていた。


「ケースケ君、暇ー。遊ぼー」


最も考えが纏まる前に藤代の襲撃を受けた山口は、リフティング勝負を申し込まれ、それどころでは無くなったが。


「191919!191920!」


なにせリフティングの回数が半端無かったので。始めたのが夕方から夜になった頃だったが、今はもう深夜と呼ぶに相応しい時間帯になっていた。いい加減、止めたいと思う反面、負けたくないと言う思いもあって、気が付けば長い時間藤代と並んでリフティングをしていた。


「あ、帰って来た」


近くでドアの開閉音が聞こえ、藤代の足が止まる。ボールが床に弾み、隅の方に転がって行くものの、途中で藤代に拾われた。


「ケースケ君、ごめん。俺、寝る前に姫に仕事の話しないといけないんだよね」
「ああ。わかった。じゃあ、今日は引き分けって事で」


山口もボールを蹴る足を止める。じゃあ、また明日!と言って部屋を出て行く藤代を見送った後、足元に転がったボールを軽く蹴った。軽く蹴られて隅の方に転がって壁にぶつかって止まったボールを確認すると、山口は大きく伸びをしてベットに倒れ込む。思えは慌しい1日だったと山口は思う。


(昨日の夜は天界に居たんだよな・・・)


そう思うと、急に恋しく感じられ、山口は魔王城の藍色の天井を眺めながら、昨日の夜を思い出した。






昨日の夜、山口は天界の自室に居た。人間界にかなり昔に渡った時に手に入れたサッカーのDVDを見てゆっくりしようと思ったら


「何、それ見るの?」


と、ソファーから身を起こした四大天使の水の横山平馬が山口の手元を覗き込んで来て、


「それよりこっちの方が良くない?」


と、風の日生が別のサッカーDVDのパッケージを持って来て、


「・・・ベットの下とか何かないんか?」


と、火の藤村がベットの隙間を覗き込んでいて、山口はぐったりと脱力した後、


「平馬!お前、毎回毎回人の部屋に無断で入るな!てか、日生も藤村も!平馬、ブランケット持ち込むな!お前、私物持ち帰れよ。日生も俺のDVDラック勝手にいじるな。そして藤村、お前は余計な所漁るな!そんな所に何か置く訳ないだろ!!」
「おー、凄い。ノンブレスで言い切った」
「感心するな!良いからそこのダンボールの物、部屋に持ち帰れよ」


部屋のダンボールを山口は指差すが、横山はイヤイヤと首を振る。そこから持って帰れ、嫌だ、と2人の言い合いが始まり、他の2人は最初は観戦していたが、次第に飽きたらしく


「それでも見よか?」
「良いね。見よう見よう」


藤村が日生の手にあるDVDを指差し、それに同意した日生がパッケージを開けると手馴れた手付きでプレーヤーを操作し、それに気付いた横山が山口に2人を指差し、指差した方向を見た山口は、


「頼むからたまには1人の時間を俺にくれっ!」


と、切実な響きの篭った声で言ったのだった。







(・・・しばらくここでのんびりしようかな)


ゴロリとベットで寝返りを打つ。室内物音1つしない空間。居るのは自分ただ1人。その静かな空間を快適で平穏だと山口は思ってしまっていた。


(別にあいつらと居るのが嫌って訳じゃないけど、毎日って言うのは厳しいんだよな)


そう思いながら、山口は窓を見る。窓には赤い三日月。不毛な荒れた大地、そして赤い月。それが魔界。緑で溢れた空間、澄んだ青い空、白い雲。これが天界。山口の居た世界。


(こんなにも違うんだな・・・)


ベットから起き上がり、窓辺に立つ。赤い月が煌々と照らす。照らされた掌を見ると、それは赤色。魔界の月は血が溶けて染まってしまっているからだと、天使候補生として教育機関に通っている時に聞かされた事があった。


(何で血だと思ったんだろうなぁ・・・)


その教育機関もそれに携わっていた天使達の教えも、そして当時の上級天使達の話も。その教えの大半が嘘だったとわかったのは、200年程前の話。山口の、天使の感覚で言えばついこの間の話だ。全ては天界を善とし、魔界を悪とする為。


(スガは何で今この時期にこんな命令を出したんだろう?)


天界は今2つに分かれている。天界第一位の天使長の須釜寿樹を始めに、第二位の四大天使、第三位の座天使の上級天使で構成される現在の上層部と、200年前まで上層部に居た上級天使達、女神派と称する一派。表立った衝突は今の所無いが、一掃されずに位を落とされただけに止まった元上級天使は天界に数多く居る。200年前と同じようにいつクーデターが起きるかわからない。それなのに山口を須釜は魔界に送った。


(俺を送る事で上層部に隙が出来るとして、そこに付け込もうとする奴らを押さえる気か?)


悪くない考えだと山口は思い、考えを進める。


(・・・じゃあ、俺じゃなきゃ駄目だと言うのは?)


火の藤村には椎名と言う優秀な副官がいるので、魔界に降りた所でそれほど支障は無い。風の日生にしても、副官は優秀。水の横山もだ。


(俺が居なくても仕事は不破と天城がやるだろうからなぁ)


無口で愛想があまり無いが、優秀な2人の副官を山口は思い出す。


(誰でも良いって感じがするけど、そうではないようだからなぁ)


自分の能力を考えても魔界に及ぼす影響と言うのは、他の3人と大して変わらない。その後も色々と考えてみるものの一向にその理由に辿り着かず、時間だけが過ぎて行った。


(こういう時に相談相手が居たらなぁ。んー、あいつに相談してみるか)


山口の言葉に最も耳を傾けてくれた人物。黒須。魔王代行代理。200年前以前の天界にとっての最大の敵の地位に居る女。天使の相談相手としてはこの上なく不適切な肩書きを持つが、山口は自分に対する話し方や態度からが信用するに足る人物だと考えていた。


(俺の話をそのまま信じるって事は、信じるだけの根拠をあいつが持っている可能性がある)


直感で感じた事だったが、正解だと同じ直感が告げていた。時間は深夜1時。天界では全てが眠る時間だが、魔界は逆に今が活動時間だろう。魔力が最も高まる深夜2時が近付いているのだから。普段は寝ている時間帯、山口は欠伸を1つ噛み殺すと、部屋を出る。ドアを閉める際、部屋を一瞥してある事に気が付いた山口は思わず溜息を吐き出した。


(あいつら、俺の部屋散らかし過ぎてないと良いけど・・・)


騒がしい天界の仲間達は須釜から不在を聞いていなければ、今日もまた押しかけて来るだろう。いや、もしかしたら不在だと聞いていても押しかけて部屋で好き勝手やっているかもしれない。いつ戻れるともわからない天界の自室を憂いて、山口は深い溜息を吐くと部屋のドアを閉めたのだった。