部屋を出て、隣の部屋のドアの前に立ち、ノックを2回。天界では全てが眠る時間と言うのもあって、癖で遠慮がちに叩けば、しばらくしてドアが開いた。


「山口?」
「え?あ?あれ?寝てた?」


寝着と思わしきドレスの上にガウンを羽織った姿のに、山口は顔を赤くするが、は特に気にせず、「話か?」とだけ聞いた。赤みが引かない顔のまま頷く山口。


「いや、寝る所ならまた明日でも・・・」


と、山口は踵を返そうとするが、は、構わないと言って部屋に通した。







第七話 あくまで悪魔





勧められるまま応接セットのソファーに座る山口。しばらくするとが紅茶セット一式トレイで持って来て、紅茶の良い香りが山口の鼻腔をくすぐった。


「それで話と言うのは?」


が山口を促したのは、山口がの紅茶をそれなりに堪能した頃だった。紅茶の美味さに浸っていて、用件を半分忘れかけていた山口は、姿勢を正して改めてと向き合った。


「姫はどこまで掴んだ?」


ストレートな物言いには面白そうに微笑すると、目を伏せて考える仕草をしてみせた。


(あー、やっぱり可愛いな。・・・って、じゃなくって!)


思わず魅入りそうになる自分を叱咤して、山口は自分の考えから先に口にした。その話をは全て聞いた後、山口にどう思う?と問われて、


「そうだな。まず最初に言っておきたいのは、過去の歴史から見てわかる通り、我ら魔族、天界が悪魔と呼んでいる者達は、基本的に天界と魔界の関係に興味は殆ど無い。それから自己中心的で自分勝手で我侭な者が多い。相手によっては情報だけ引き出して、はい、さようならと言うケースもあるだろう。もし山口がこれから先も魔界に滞在するならば、大事な事を話す時は相手を選んだ方が良い」


と答えた。


「だから姫に話に来たんだけど」
「・・・仮初とは言え、魔族の中の魔族、悪魔の中の悪魔である魔王の私を信じる、と?」
「ああ、今までの態度とか見て信用出来るって思った」
「・・・魔族の中には狡猾な者もいる。信用して背中を見せた瞬間、グサリだと思うがな」
「姫に限ってはそれもないと思うよ。そうするつもりなら、とっくにやってるだろ?」
「・・・確かにな」


納得したようにが呟く。


「魔王城の者は魔王に忠誠を誓っている。城内の者は大丈夫だと思うが、それでも油断せずにいるように」
「わかってるって。仮に姫が天界に来てしまったら、俺も同じ事を言うと思うからな」


天界もそれなりに物騒なんだよ、と山口が言うと、ふっとが苦笑する。その自然な笑みにまた魅入りそうになるが、の真面目な声に山口の意識はそちらに向けられた。







「スガと魔王と魔神が手を組んだ、か。確かにそれならわかる話だな」


から話を聞いた山口は、腕を組み考えるように首を傾げた後、


「スガはこれを機に女神派を奴らの行動を縛るつもりなんだと思う」


と言った。予め山口から話を聞いていたは、女神派の情報が頭に入って居た為に山口のこの言葉にすんなり頷く事が出来た。女神派。天界を支える為に力を注いでいた女神を頂に掲げる天界を二分する一派。女神メリル。天使言語で絶対なる者を意味する通り、天使達には絶対の存在だった筈だ。その女神が何故、今、天界にいないのかわからないが、女神派はメリルの名の下、天界の主権を取り戻し、女神を探して再び頂に立って貰うつもりなのだと山口は言う。その言葉には眉を顰めた。


「魔界と違って、天界のシステムは女神抜きでは何も出来ないのか?」
「いや、魔界同様何でも出来る。ただ女神の力を借りれば簡単に事が運ぶから、女神派の天使達はその時代に帰りたいんだと思うんだ」
「何でも楽をすれば良いと言う物では無いと思うのだがな」
「あー、だから女神もそんな天使を見かねたんだと思う」
「女神の力で楽をする、か。楽ばかりすると堕落する。特に天使は名の通り堕ちるのだろう?」


の言葉に山口は肯定するものの、昔に比べて堕天使の数減っただろ、と自慢気に言った。過去のデータを見ると、確かに2000年前には年に数人堕天使が堕ちてきたが、今は数年に1人と言う割合だ。山口の言葉に今度はが頷くと、女神が居なくなってから頑張ったんだって、と誇らしげに山口は言った。


(女神は天界に今居ないのは、天使の自立を促す為かもな・・・)


はそんな山口の姿を見て紅茶片手にそう思った。







山口がの部屋に来てから1時間程経った頃。欠伸を噛み殺す回数の増えた山口に、が、「今日はこれくらいにしておくか?」と尋ねると、山口も素直に頷いた。そろそろ限界に近かったらしい。


「今は天界は眠っている時間だからさ」
「魔界は今が活動時間だから、逆だな」
「そうそう、まったくの逆なんだよな。・・・ん?姫はこれから寝るように見えるけど、悪魔ならこれからが活動時間じゃないのか?」
「私の場合、月の影響力が強過ぎて力が持て余し気味になるからな。寝ていた方が楽なんだ」


だから生活習慣時間は天使とそう変わらない、とは言った。


「え?じゃあ、朝の8時には起きてたりするの?」
「いつもは深夜0時前には就寝している。今日は仕事で長引いたから遅くなっただけだ。大体0時前に寝て、朝の6時7時は起きている」


その言葉に、「すげぇ天使と同じ生活パターンだ」と感心したように山口は言った。


「渋沢や三上・・・ここの宰相や軍団長はどうかわからんが、藤代は今から活動時間のようで遊びに行って来ると言っていた。他の者に用がある時は、急な用で無ければ夕方頃に行くと良い。大抵、その時間には皆起きているからな」
「わかった。姫、話聞いてくれてありがとな」
「礼を言うのはこちらの方だ。お陰で天界側のメリットもわかったからな。・・・それと」
「何?」
「魔界の者にとっては私は魔王の実妹で尊ぶ立場にいる為に、皆、姫と私を呼ぶが、山口は天使だから尊ぶ必要もなかろう。黒須・・・では魔王と同じ名だから呼び難いか。私の事はと呼んでくれた方が都合が良い」


「駄目か?」と聞くに山口は勢い良く首を振る。


「いやいやいや、そんな滅相も無い!そっちの方が都合が良いのなら、それならって呼ばせて貰うよ。あ、なんなら俺の事は圭介で良いから」


突然のの予期せぬ申し出に、山口は慌ててそう返す。


「そうか。では、これからよろしく頼む、圭介」


圭介、と綺麗なの声で呼ばれて、山口はポワンと気分がゆっくりと上昇して行くのを感じた。


(良いな、やっぱりこういうのって・・・)


天界に女が居ない訳ではないが、どうも気が強いタイプばかり揃いも揃ったようで、彼女達に苦手意識の方が先に芽生えた山口は今まで天界に居なかったタイプの(しかも自分の好みのど真ん中を行く容姿の)女の子(でも魔王代行代理)に名前を呼んで貰っただけで幸せな気分になっていた。







山口が部屋に戻った後、は眠らずに1人窓辺に立って外を眺めていた。赤い月がの白い頬を赤く照らす。時刻は深夜2時。魔力が最も増す時間。体中から漲るエネルギーを持て余し、気だるそうな表情だった。


(・・・これで山口、いや圭介は余程の事が無い限り魔界を出て行きはしないだろう)


謁見室の密談で辿り着いた結論をが話したのは、ただ相談されたからでも山口から女神派の話を聞く為でも無い。そこまではお人良しになったつもりは無いし、他の魔族同様、天界の動向など元より興味が無いのだ。自己中心的で自分勝手で我侭、そして狡猾な魔族の1人だとは自負している。


(悪い魔族と書いて、悪魔、か。確かにそうかもしれないな)


本や書物を読む事で長い時を1人で生きていたは、つい最近までは魔界の辺境中の辺境に住んでいたので、天界はおろか魔界の情勢についても殆ど知らず、魔界に関しては魔王城に来てから即座に頭の中に叩き込んだが、天界に関しては興味が無く、魔界の情勢の教育係としてついた藤代(を探して魔界の各地を放浪していたので城の中では実は1番詳しい)も重要視しなかったので、天界の200年前の情勢やクーデター、そしてそれ以降について初めて耳にした。つい先日までならば聞いて、そうか、と言って終わる内容だった。だが今のは魔王代行代理であり、魔界の統率者だ。そうか、と終われない立場にあった。


(今の私は魔王だ。だからこれで良い)


とは違う白い翼。裏表の無い性格、そして言動。目を瞑り、は山口を瞼の裏に映し出した。


(性格が悪かったら悩まなかったものを・・・)


を魔王の座に一時座らせ、天使長と組んで兄達が動き出した以上、の役目は兄達の計画遂行の為に動く事だ。事前に何も聞かされていないが、それとなくわかるように『偶然』を重ね、それを『必然』に変えて見せる事でがそれに気付くとわかった上で計画の存在を伝えて来ている。何も言わなくても伝わる。遠く離れていても繋がっていると感じられる。兄達との絆がが嬉しく感じられる一方で、が悩んでいたのは山口の存在。兄達の計画に必要不可欠な存在。計画に必要とあらば手放す訳には行かなかった。


(まずは接触、次は私と共に行動する事でアクションを起こして行くつもりか?)


兄達の思考を読みながら、は最善と思われる行動を取捨して行く。山口に天使長と魔王と魔神の狙いを話したのも、それが最善だと思ったからだ。嘘を見抜く能力が山口にあるかどうかなどにはわからない。ただ直感で、山口はその辺り鋭いような気がすると、漠然と感じていた。天界と魔界に利がある事、キーパーソンはと山口である事。が得た結論を山口に嘘偽り無く話せば、目が曇っていない限りは山口はそれを真と捉え、魔界に滞在する事を決めるだろう。決して天界から仲間が来ようと、須釜の意思では無い限りは戻る事も無い。それはにとっても好都合だった。しかし、は珍しく戸惑った。天界と魔界に利があろうと、兄達の計画であろうと、利用するには山口は人が良過ぎたのである。


(これも母上の血か・・・。いや、そんな事は関係ない。悩むのは私が魔王として立つには未熟過ぎる。ただそれだけの事)


窓に手をやり、は考える。


(これで良かったのだ。これで計画は順調に回る)


それは考えると言うよりも思い込むと言う方が正しかった。目を瞑り、良かったのだと何度も思い込む。それでも魔族であるの中に潜む良心は訴えるようにの中を掻き乱し、感情は乱れ、それは魔力の強まったこの時間帯、風となって部屋中を凪いでいたのだが、有り余ったの魔力の高さではそよ風程度では済む筈も無く、派手な音を立てての手にした窓は魔力の波動で割れて砕け散った。直接手にしていない窓も同様に。そして。


「えぇぇぇぇ?!窓が割れたぁぁぁぁぁ?!」


おそらくもう寝ていたのであろう。擦れ気味の声で、隣から山口の悲鳴が部屋の状況を克明に伝えて来たのがの耳に入った。


「あ、やってしまった・・・」


慌てて溢れ出した魔力の流れを押さえ込んだは、サッカーコートのある庭から外に出て、山口の部屋の前の窓に移動すると、見事に窓ガラスは全て砕け散っていて、それを呆然と眺める山口に、すまない、とこうなった理由を口にするのであった。




窓ガラスを割られると言う、過去に例を見ない早過ぎるモーニングコールで叩き起こされた山口は、と共にその後近辺の窓ガラスを確認し、マテリアルライズで魔力耐性の強い強化ガラスに変えて行ったのであった。2人の起床時間がいつもより数時間遅れたのは言うまでもない。