立候補者も無く、半ば押し付けられる形で1年任期を努めた生徒会長だったが、そのお陰で私の内申点はそれなりに高い。前々から担任に勧められていた、推薦の話。家から電車で30分と、磐田第一に比べると通学距離は長くなるけれど、T大やK大合格者も輩出していて、名の知れた進学校だ。


圭介と離れられるなら、どこでも良かった。私は担任に推薦の話をすれば、担任はやっとその気になったかと笑って、喜んで手続きをしてくれた。


これで良い、これで私は離れられる。








進路を変えた私は、それから1ヶ月、ただひたすら勉強に励んだ。推薦で決めるつもりだった。何か打ち込む物があって良かったと思う。お陰で圭介達を見なくて済んだのだから。


合格の葉書が来て、ようやく私は呼吸が出来た。生きている以上、呼吸はしているのだけれど、このところの私は息の仕方すら忘れてしまったような、息を吐く事に苦痛が伴うような、存在している事がとても苦しいような、そんな感覚で居たような気がする。呼吸の仕方を思い出した私は、ゆっくりと息を吸い、吐き出す。そんな私を見ては、ようやく昔の私が帰って来たと笑った。が言いたい事は良くわかる。私は圭介達が付き合い始めてから、上手く呼吸が出来ていない気がした。


に合格祝いにマルシェに行こうと誘われた。考えて見れば、入試勉強ばかりで、とここ最近どこかに出かける事もなかった。久しぶりにあの店のケーキセットを堪能してみるのも良いかもしれない。ずっと勉強ばかりしていたけれど、合格も決まった事だから少しは遊んでも罰は当たらないだろう。に頷いて鞄を持って、さぁ行こうと廊下に出ると、1組の教室を通り掛った時にその話は聞こえた。


「山口くんと加藤さんって最近上手くいってないみたいだね」







その時の私はどんな顔をしていたのだろうか。鏡を見ていないのでわからないが、酷い顔をしていたんだと思う。それを見たに心配されたのだから。


、大丈夫?」
「大丈夫。きっとまた上手く行くよ」


大丈夫は私の事。きっとまた上手く行くよ、は圭介達の事。上手く行って欲しかった。偽善・・・偽善なのだろうか、この気持ちは。少なくとも私は圭介達の事を思って、そう言っているんじゃない。私の入る隙が無いくらいの仲であって欲しいんだ。その方がいっそ諦めも付く。


私はもう圭介にとって、単なる昔遊んだ女の子でしかない存在だ。初恋はあの日の放課後に砕け散った。ジクジクと胸が痛いのは、その時の破片がまだ胸に残っているからだ。そのうち、この破片も消えて、圭介の事が好きだった事もゆっくりと忘れて行くのだろう。時々、何かの折に、ああそういえば圭介の事が昔好きだったと思い出すのかもしれない。それで良い。私は、高校が別々になった事で、圭介とは疎遠になる予定なのだから。


「行こう、。お店閉まっちゃう」


私は上手く笑えているだろうか。きっとぎこちない笑顔に違いない。


「溜め込んで爆発する前に言ってよ」


そう言うは良く私の事を理解していると思った。私はストレスを溜め込むだけ溜め込んで爆発させるタイプの人間だ。だからそうなる前にガス抜きをしなければいけない。だけど、失恋のガス抜きはどうすれば良いのだろう。今まで人間関係で疲れた時は好きな事をしたり、好きな物を食べれば解消されたけど、この気持ちを抱えるようになってからは、好きな事をしようにも集中出来ずに終わって、好きな物を食べるにも食欲が沸いて来なかった。


解消する術を知らないから何も見ないし何も聞かない。溜め込まないようにするしかないのだ。









子供同士の付き合いはもう無いのに、親同士の付き合いはしっかりある。毎年恒例の山口家のみかんのお裾分けは、今年も例に漏れずにお裾分けと呼ぶには数が多かった。


「今年は豊作だったからねぇ」


そう言うおばさんが持って来たのは、ダンボール2つ。それを見た母さんが目を丸くして、おどけた口調で「お返しが大変だわ」と笑ってみせた。


「良いのよ。いつもうちの圭介がちゃんにはお世話になってるんだもの」
「あーら、それを言うならうちのだって一緒よ。圭ちゃんにはお世話になっているわ」


世話になっているも何も、圭介とは辞書を返して貰ってからまともに話をしていない。以前なら、忘れた教科書や白紙のままの宿題の世話をしたけれど、今はまったく教室に来なくなったので、おそらく全て彼女にお世話になっているのだろう。それならばこのみかんは、圭介の彼女に届くべきなのかもしれない。そう思うと、ふっと笑みが毀れた。ああ、何だ、私、笑えるならもう大丈夫なのかもしれない。


「そう?ならお願いがあるんだけど?」
「何かしら?」
ちゃんに圭介の勉強見て貰って良い?」


ズキンと胸が痛んだ。呼吸するのが急に辛くなる。


何、これ。


もう大丈夫なのでは無く、離れて居たから忘れていただけなのか。私がリビングでどんな顔をしているのか、玄関で話す親達には見えないだろう。


止めて止めて。引き受けないで。まだ会いたくない。


叫べるものならどんなに楽だった事か。色んな物が、私の声帯を喉を口を塞ぎに掛かる。


「良いわよ。の入試は終わったから」


そんな母さんの暢気な言葉が、やけにクリアに聞こえた。