圭介の成績は進路変更した当初こそ伸びたものの、最近は下降の一途を辿っているらしい。圭介が何故進路を変えたのか、何故成績が落ち始めたのか、わからないと言ったけれども、それは明らかに私に気を使ってのおばさんの方便だった。


おばさんは私の気持ちを知っている。私が圭介に恋をした事も。圭介が私以外の子と付き合っている事も。私が圭介と距離を置き、離れようとしている事も。全て知っているならば、何故放って置いてくれないのだろう。私は圭介の間には、もう何も無いのに。


おばさんは穏やかにただ笑うだけで、「圭介をよろしくね」と言った。私は頷くしかなかった。







練習から帰って来た圭介は、リビングに居た私を見るなり、「ゲッ」と言った。流石にそこまで露骨な態度を取られると私だって傷つく。思わず今日は帰ろうかと思ったが、おばさんが問答無用で圭介の頭を叩いた。


「ゲッ、じゃないわよ。折角、あんたの勉強を見に来てくれたちゃんに失礼じゃない」
「本当にやるとは思わなかったんだよ」
「このままだと、あんた、本当に危ないわよ」
「わかってるよ。ってか、も同じ受験生なのに、俺の世話頼んで良いのか?」
ちゃんは終わったの。この前、推薦受かったから」
「へぇー。さすが。あそこ受かったか」
「そうだよ。さすが、ちゃんだね。黄葉学園受かるなんて!」
「へぇー・・・って待て、黄葉?」
「そうだけど」
「磐田第一は?」
「受けないよ」


「はぁ?何それ?俺、聞いてない」と言う圭介に「最近、忙しそうだから言う機会が無かった」と言えば、「忙しいのはの方だろ」と食って掛かって来た。珍しい。これはかなり怒ってる。けれど今更だ。私が圭介に推薦の話をしないように、圭介も私に彼女が居る話をしない。した所で聞く気などないけれど、隠し事はお互い様だ。最も圭介の彼女の話は付き合った翌日には噂になっているし、私の黄葉学園の推薦受験の話も教師と一部生徒の間では有名だから、言わなかっただけで本気で隠そうとはお互い思わなかったのだろうけれど。


「何で?何では磐田第一行かねぇの?」
「黄葉学園だと特待生で行けるから」


授業料とかその他諸々、学校が負担してくれるからね。尤もらしい事を口にしたものの、圭介は「嘘だ」と私の嘘をあっさり見抜いた。確かに黄葉学園の特待生制度は魅力的だったけれど、私がここを選んだ理由はそんな理由じゃない。圭介には絶対言えない理由だ。


離れたいからなんて言って、傷付く圭介は見たくない。・・・いや、違う。傷付いて欲しいんだ、本当は。離れたいからと言って、圭介が無反応なのが1番怖いんだ。だから傷付くから言わないと心の中で理由をつけて、美化する。


「嘘じゃないよ。それに良いじゃない。私が居なくても他に磐田第一行く子はいるんでしょう?」


例えば彼女とか。


これは言えない。照れ臭そうに顔を赤らめる圭介なんて、1度見れば充分だ。


私の言葉に圭介はほんの少し傷付いた顔をした。噂通り、余程彼女と上手く行っていないのだろう。ああ、また知る気が無いのに知ってしまった。








その場はおばさんが収めてくれて、私と圭介の間におばさんが入り、私は受験が終わるまで圭介の家庭教師になった。


「練習とかチームメイトとの付き合いとかあるんでしょう?帰って来て準備が出来たら呼んでよ」


敢えてチームメイトという単語を使った。彼女とか、そんな単語は使いたくないし、変な気を回されるの御免だ。そもそも圭介の彼女だって頭が良いんだ。学年で20番以内にはいつもいる。本当は彼女に教えて貰うのが1番良い筈なんだ。彼女にとっても、圭介にとっても。それなのに何故私はここに居るのだろう。


存在意義が見出せない。







ゲッと言った癖に、圭介は私が家庭教師をする事に異論はなかった。その辺、圭介は顔に出るタイプなのですぐわかる。得意な教科は英語。苦手な教科は数学。一概にそう言われても、科目ごとにどの分野が得意で苦手なのか、把握するのに時間が掛かりそうだと教科書片手に思っていたら、あっさりとそれについては片付いてしまった。


おばさんがどこからか箱を持って来た。見覚えがあるのだろう。圭介がそれを見て「ゲッ」と唸った。私の前に幾つも積み重なった白く少し厚みのある紙。通信簿、成績表と書かれたそれを見て、ほんの少しだけ圭介に同情した。


「流石にこれを見るのはプライバシーの侵害かと」
「大体の圭介の成績は知ってるでしょう?」
「順位くらいなら」
「なら平気よ。本気で磐田第一行くなら、形振り構っていられないでしょうし。それに・・・」


お風呂に一緒に入って裸だって見てるんだから、成績表くらい問題ないわよ。そう豪快に言うおばさんに、眩暈がした。圭介が「それ子供の時の話だろ」と苦虫を潰した顔で言った。


圭介の左の肩甲骨の所に、黒子が3つ集中してある。子供の時に一緒にお風呂に入った時に見た。印象的だったので今でも覚えている。


これも忘れよう。覚えていたって意味など無いのだから。