俺はあいつにキスされるまで、が今までどんな気持ちだったかなんて知らないで居た。


幼馴染だったんだ。幼稚園にはいつも一緒に行ってたし、小学校も良く一緒に登校したんだ。今思えば、幼い頃の俺の横にはいつもが居た。中学校に入り、性別の違いを嫌と言う程認識させられた俺は、いつの間にかと距離が出来ていた。新しい友達、新しい環境。それらに気を取られて、俺はちっとも気にしていなかった。


そして俺は3年に上がってしばらくして、告白された。







可愛いと学年でも評判の子で、俺も密かに気になっていた子だ。真っ赤な顔で告白する彼女をとても可愛らしいと感じ、俺も「ずっと好きだった」と言った。


笑うと可愛い子だった。サッカーをしている俺が1番好きと言ってくれて、教科書が無かったり宿題をやるのを忘れてた時にはいつも助けてくれた。気持ちは徐々に高まって、このまま離れ離れになりたくないと思った時、俺は彼女と同じ学校を受験する事に決めた。その事を彼女に話すととても喜んでくれた。


「ずっと一緒だね」


そう笑ってくれた彼女。いつまでも一緒だと思ったのに、この幸せがずっと続くと思ったのに、どこで歯車は狂ったのだろう。サッカーをしている俺が1番好きと言ってくれた彼女は、サッカーの試合や練習その他諸々で忙しい俺に不満を言う回数が増えた。多分、彼女の友達にも彼氏が出来たのが原因なのだろう。「あの子と彼氏は今週もデートなのに」と次第に比較されるようになり、俺の中で彼女に対する気持ちは少しずつ冷めて行った。








気持ちは今まで維持したやる気に直接反映された。


上昇傾向にあった俺の成績は、同じように受験勉強している奴らに追い抜かれ、先日のテストでは順位も点数も合格ラインを大幅に割る結果だった。流石にその結果に母さんも黙って見れいられず、家庭教師を付けると宣言した。家庭教師を雇う負担を負わせたくない俺は、断固として拒否したが、成績がガタ落ちの俺の言葉に説得力は無く、母さんの言葉に従うしかなかった。




母さんが言う家庭教師は、隣の家のだった。あいつ自身、受験があるのに俺の世話などしていられないだろう。そう高をくくっていたのに、翌日、リビングにあいつが居て、俺は思わず唸ってしまった。傷付いたように目を伏せる。不味いと思って言い訳を口にしようとした瞬間、母さんに成敗された。俺の勉強を見てくれるのは嬉しかったけれど、の受験はどうするのだろうか。確かに学年でもトップ3に入る成績なのだから、俺が必死で勉強しなきゃ入れない磐田第一でも楽々入れると思うけれど。


そこで俺は初めてが磐田第一に行かない事を知る。








何で今まで教えてくれなかったのだろう。彼女と同じ学校に行くのが確かに1番重要だったけれど、も同じ学校に行くから喜んでいたのに。は特待生の事を口にしたが、嘘だとすぐわかった。あいつは嘘を吐く時、決まって最初に目を動かす癖がある。小学校までずっと一緒だったんだ。その辺は良くわかっている。


俺がと同じ高校に行く事に喜んでいるように、も喜んでいると思ったんだ。でも、本当は違った。気遣うような目で、声では残酷に言う。


「嘘じゃないよ。それに良いじゃない。私が居なくても他に磐田第一行く子はいるんでしょう?」


なんだよ、それ。何で自分をいらない存在のように言うんだよ。何でそんな辛そうな顔するんだよ。そんなに辛いなら、俺に相談してくれたって良かったのに。


想いはぐるぐると回り、この時の俺はを見つめる事しか出来なかった。








俺の世界の大半はサッカーと彼女で占められていた。


家族は大事だけど、毎日意識する訳ではない。時々そのありがたみを感じる出来事があって、ああ、家族って良いなと思って、それの繰り返しだ。大事な事は大事だと思わなきゃ、そのありがたみを忘れてしまう事があると言うけれど、まさにそうなんだと俺は今回思い知らされた。




いつも一緒だった


大事だったのに、いつも一緒に居て、これからも一緒に居るんだと潜在意思のどこかでそう思って居たんだと思う。家族と同じ感覚。だから進路先を変えられて、溝が深まった事に俺は予想以上にショックを受けている事に気付いた。







最近、彼女と一緒に居ても楽しくない。


少しずつ冷めて行った彼女に対する気持ちは、あれだけ盛り上がっていたのが嘘のように小さくなってしまった。風前の灯火のように、残り少ない彼女に対する気持ちが危なげに揺れる。その事に彼女は気付いているのだろうか。多分、気が付いているのだろう。俺の態度は昔に比べると明らかに冷たくなっている。興味が持てないんだ。前なら彼女が好きな音楽、好きなテレビ番組、好きな芸能人、どんな事でも気になって何かの折にチェックしていたのに、今では彼女が何を話しても興味が持てなくなってしまった。




俺の頭の中の容量はそれほど大きくない。


その中にサッカーと彼女だけ入って一杯だったのに、受験が入った事でぎゅうぎゅうになり、そして久しぶりに会った幼馴染の一見穏やかに見えるその拒絶的な態度が心をやけにざわつかせた。早く何かに気付かないと手遅れになる。ざわざわと感じて心が落ち着かない。の進路先の変更理由を聞けば、この気持ちは落ち着くのだろうか。ハァと溜息を吐くと、横を歩く彼女が心配そうな顔で俺を見た。「大丈夫」と自分に言い聞かせるように答えると、俺はまた道の先を見た。「空が綺麗だよ」と彼女が言う。見上げるとオレンジ色が重なったようなグラデーションと、階段のようにも見える雲が目に映ったが、あいにくと綺麗だと思える程、心に余裕が無く、「そうだな」と心の篭らない言葉が吐かれてすぐに消えた。







前々から破局説は流れていたみたいだけど、今回大きくあからさまに流れたのは、やはり周囲からも俺達の関係が修正不能に見えるのだろうか。


彼女と付き合ってから1度も無かった呼び出しの手紙。それが今朝入っていた。その桃色の封筒がやけに腹立たしい存在に見えた。




わかってる。ただの八つ当たりだって事は。


だけど感情が乱れてコントロール出来ない。サッカーをする上で、メンタル面の強化はして来た筈なのに、何故こうも乱れてしまうのだろうか。俺は手紙を乱暴に掴むと、そのまま鞄の中に突っ込んだ。放課後、呼び出された場所に向かうも予想通りの展開しか用意されていなくて、俺はただ彼女が居るからと断るだけ。ただそれだけの事なのに、「彼女と不仲だって聞きました」なんて言われれば余計なお世話だと腹も立つ。思わず睨むと、走り去った相手の背中がどんどん小さくなるのが見えた。




わかっている。これはただの八つ当たりだ。


彼女と上手く行かないのも、受験勉強が進まないのも、いくら失礼な事を言われたからって睨んで怖がらせて逃げたのも、みんな俺が悪いのに、ずっとざわめいて落ち着かない気持ちが他の誰かに怒りの矛先を向けようとしていた。