気がつけばクリスマスはいつも一緒だった。


もう何年目になるのかわからない山口家との合同クリスマス会は、今年は圭介が不参加なので6人掛けのテーブルの私の前だけ空席だった。椅子を見る度、圭介が居ない事を思い知らされて、見ないようにテレビの方ばかり見ていた。普段に比べると数段に豪華な食事。シャンパンの蓋が開けられ、おじさんと父さんが上機嫌で高々とグラスを掲げて飲み始めた。そんなおじさん達を楽しそうに見つめた後、静かにおばさんと母さんもカチンとグラスを合わせる。乾杯。未成年である私の為にシャンパンを模したノンアルコールのシャンメリーが用意された。これ1本、私だけでは飲みきれないだろう。口にすれば、甘くパチパチと舌に感じる微炭酸が、少しだけ重い今の気持ちには心地良く感じた。




宴もたけなわと言う所で、私は山口家を後にした。豪華なご馳走はあまり喉を通らず、ひたすらシャンメリーを飲んでいた私は結局1本空けていた。アルコールが入って盛り上がる親達の中には入れず、テレビを見るにしても、どこもクリスマス特番かクリスマス絡みのドラマばかりで、唯一やっていたニュース番組をずっと見ていた。記録的大雪になる見込みだと話すアナウンサーの言葉に、この場に居ない圭介の事を思い出した。




帰ると聞いたおばさんは、手早くご馳走の数々をタッパに詰めると、手付かずだったケーキと一緒に手渡してくれた。後で食べなさいという意味なのだろう。お礼を言って買ったばかりのブーツを履いて外に出れば、シンシンと雪は積もり、アスファルトは真っ白になっていた。1歩踏み出せば足跡が残る。サクサクとハッキリと足跡をつける様にして帰ったのは、私なりの合図だった。


私はここにいるよ、と言うサイン。きっとすぐに消えてしまうけれど。








タッパとケーキを冷蔵庫に入れて、リビングに置いていた読み掛けの本を手に取った。部屋で読む気にはなれなかったのは、クリスマス独特の雰囲気のせいかもしれない。テレビの音をBGMにするには明る過ぎたので、リビングの隅に置かれた年代物のCDコンポの電源を入れた。CDラックを見れば、新しく何枚か追加されていて、その中の赤と緑のジャケットのCD、クリスマスソングのCDを入れて曲を流した。どれもこれも定番の聞き慣れた音楽だったけれど、今日と言う日が私をいつも以上に感傷的にしているのか、胸にゆっくりと染み込んで行った。




物語も終盤、探偵が真犯人を暴くシーンに差し掛かった頃、カチャリと玄関のドアが開く音がした。父さん達にしては早過ぎる。リビングのソファーから身を起こすと、玄関から靴を脱ぐような音が聞えた。音は1つ。そして近付いて来る足音も1つ。推理小説を読んでいたせいで、悪い事ばかりが頭を掠める中、身構えているとそこに現れたのは圭介だった。


「ちょっと、圭介!」


圭介は真っ白だった。この大雪の中、帽子も被らず長い時間歩いて来たのだろう。頭もコートも真っ白で、体温を根こそぎ奪われたのだろう、顔も真っ白だった。急いで脱衣所からタオルを取って来なければ。それからお風呂も沸かさなければいけないだろう。やる事が一度に沢山思い浮かんで、順番にこなして行こうと思ったけれど、私がリビングを出る前に圭介に捕まった。この場合は抱きしめられた、と言った方が正しいのかもしれない。


「圭介、こんな冷たくしてたら、風邪ひくよ!」


おそるおそる圭介の白い顔に触れれば、冷凍庫に手を入れたような冷たさだった。受験を控えているのに風邪をひかせる訳にはいかない。咎めるものの、圭介は私の言葉に耳を貸さず、ただ抱き締めるだけだった。震えているのは、寒いからなのか、それとも―――。




圭介に降り積もった雪が、暖房で溶けて私の服を濡らして行く。甘えるように抱き締められているのに、まるで私を拒絶するような冷たさだった。クリスマスに外出してまで会う相手なんて限られる。相手はほぼ間違いなく彼女だろう。何があったのかわからない。けれど、今の圭介を見る限り、あまり良い事では無さそうだ。



もしかすると私は彼女の身代わりかもしれない。圭介がこうやって抱き締めたかったのは、私ではなく彼女なのかもしれない。だけど、実際、こうして抱き締められているのは私だ。私が拒めない事を知っていて、こうしているなら、なんてずるいのだろう。だけど、身代わりでも良いなんて思う私もずるいのかもしれない。


私はあの子では無いけれど、こうして居たいならずっとこうして居るよ。


私の熱をあげる、圭介。








の顔を見たら帰るつもりだった。


雪が積もって真っ白な俺を見たは、慌ててリビングを出ようとしていた。きっと何か拭く物とか取りに行くのはわかっていたけれど、横を通り過ぎた時、何とも言い知れぬ恐怖に襲われ、求めるように腕を動かしていた。寒い訳じゃないのに、体が震える。これはきっと恐怖からだ。怖くて震えているのはわかっているのに、何が怖いのかがわからず、それが一層恐ろしく感じて体を震わせる事になった。




の着ていた水色のセーターが所々青色に変わって行く。俺の体に積もった雪が室内に効いた暖房で溶けて、腕の中にいるの服が濡れて行く。離さなきゃいけないのに、離したくないと思う自分がいる。何て愚かなんだろうと自嘲し、腕を動かすものの、俺の腕は欲求に非常に忠実のようで、抱き締めていた腕を緩める事しか出来なかった。がちょっとでも力を入れれば、抜け出せるほどの拘束だ。




ふっと視界での手が動くのが見えた。伸ばされた手は俺の頭の上に置かれ、パラパラと雪の残骸があの細く白い手によって払われた。雪が落ちて行く。優しい優しい手が払ってくれる。




お前の優しさに甘えて、ごめん。馬鹿な男でごめん。だけど、もう少しだけ今はこのままで居させて。








いつもは白い顔を真っ赤にしていた。


震えが止まり、ようやく我に返った時には、の体はすっかり冷えていた。慌てて風呂に入って温かくするように言うものの、は首を振って「圭介が風邪をひいたから困るから、今沸かすから先に入って」と言った。嬉しく思う反面、呆れてしまった。の優し過ぎる言葉と、自分自身に。


「俺は自分の家で入るから、お前もちゃんと入れよ」


「それから、ありがとな」と付け加えて言えば、は柔らかく慈愛に満ちた笑みを浮かべて笑ってみせた。


それが昨日の事。


俺は日頃鍛えているお陰で何ともなかったが、体力があまり無いは翌日見事に風邪をひいた。その事を母さんから聞いた俺は、またどうしようもなく自己嫌悪に襲われるものの、落ち込む暇も与えられずに母さんから手渡されたお見舞品を持っての家にやって来た。おばさんが台所に居て、お見舞い品を手渡すと、「ありがとう。が起きたら食べさせるね」と言った。どうやら今は寝ているらしい。起きていたら謝りたかったけれど、後にしよう。看病の邪魔にならないように早々に家に戻ろうとしたら、ピルルルルと軽快なメロディが鳴った。おばさんがエプロンのポケットから携帯を取り出す。どうやらメールのようだ。母さんは通話しか出来ないけれど、おばさんは色々と使いこなしているみたいだ。


「圭ちゃん、ごめんね。ちょっとだけ留守頼んで良い?」


おばさんの頼みを快く承諾すると、「1時間で戻るから」と言っておばさんは鞄を持って外出して行った。




やる事も無く、ソファーに寄り掛かるとテレビをつけた。まだ昼の時間というのもあって、どのチャンネルも主婦向けの番組ばかり流れていた。適当に何度かチャンネルを変えた後、通販番組を見る。先着30人と言っているけど、運悪く電話を掛けた31人目はどんな風に断られるのだろうか。そんなどうでも良い事を考えながらぼんやりとしていると、上から軋む様な音がした。立ち上がり廊下を見れば、階段をゆっくりと降りるの姿があった。どうやらゆっくり降りていたので、足音がしない代わりに古くなった階段の板が軋む音がしたようだ。


「大丈夫か?」
「うん」


頷いた途端、はゴホゴホと咳き込み始めた。起き抜けのまま降りて来たのか、上下パジャマ姿だった。暖房の効いたリビングに入れ、着ていたパーカーを脱いで、の肩に掛ける。


「大丈夫だよ」
「良いから、着てろ」
「でも、圭介が風邪ひいちゃう。・・・あ、近付いたら駄目だよ。うつるから」
「・・・そもそも、原因は俺だろ」


「原因は俺だろ」と口にした途端、心に広がるのは苦い思い。俺が我侭を起こさなければ、はこんな風に寝て過ごさずに済んだ筈だ。彼女、別れたからもう元彼女だけど、ずっと彼女を傷付けていた事に別れる間際になってようやく気が付いた俺は酷い自己嫌悪に陥った。苦い気持ちを抱えたまま、そのまま家に帰って寝てしまえば良かったのに、俺は少しでも楽になりたくて、癒されたくて、の顔を見に行ってしまった。そして、恐怖に駆られて抱き付いた。が俺に好意がある事を知っていて、拒めない事も知った上でだ。考えれば考えるほど、ずるい男だ、俺は。


はもしかしたらそんな俺を全て見透かしているのかもしれない。それでいてなお、俺を包み込むような優しさを見せるは、俺には勿体無いほど良い女なんだと思う。俺は彼女を傷付けて、泣かしてしまうような男だ。も・・・既にも傷付けて泣かせている。俺の愚かさのせいで。


の事が好きだ。だけど、俺は俺自身の愚かさで、きっとまたを傷付けるだろう。それが怖い。








苦い思いに囚われていたら、額にビシリと衝撃が走った。の手が指を弾いたような形をしていた。デコピンされた。しかも、不意打ちだったので、結構痛い。反射的に額を押さえ、「痛い」と言えば、「何、眉間に皺寄せているの?」と呆れた口調では言った。


「大丈夫だよ、圭介。私、平気だから」


明らかに風邪についての言葉だった。けれど、先程まであの苦い思いに囚われていた俺の頭は、非常に単純かつ都合良く出来ているようで、その言葉がまるで今の俺を後押しするように聞えた。


「本当に大丈夫なのか?」
「うん」
「本当に、本当に?」
「うん」


ふわりと柔らかく笑う。わかってる。は風邪が平気だと言っているだけだ。だけど、今の俺は耳も脳も心も壊れてしまったのか、自分に都合良いようにしか聞えない、考えれない、思えない。の「大丈夫だよ」の言葉が、俺の中で別の物に書き換えられた。はきっと俺の愚かさごと受け入れてくれる。そんなの身勝手だと言うのはわかっている。だけど―――俺は愚かだから。馬鹿だから。




悪い、。やっぱり、俺、馬鹿だから、お前の事、諦められねぇ。