合格通知が届いた翌日。
山口・家では合同で合格祝いが行われた。少し遅いけれど私の推薦合格祝いも行われ、互いにハードルの高い学校に無事に合格した私達の目の前には豪勢な食事の数々が並んだ。最初はめでたいめでたいと言っていた親達だったが、酒が入る事で次第に本音がボロボロと零れ始め、家庭教師を始めた当初は合格が難しかった圭介は格好の話の種になっていた。そんな親達に最初は苦笑いを浮かべていた圭介だったが、何度も同じ事を繰り返す酔っ払いに次第に疲れてしまっていた。
「」
「何?」
「ちょっと俺の部屋まで来いよ」
「・・・うん」
入試が終わり、その日の午後5時にインターネットで発表された解答を見て採点すると、合格ラインを余裕で超える結果に私は安堵の息を吐いた。あの日で私の家庭教師は終わりだった。山口家を訪れる回数は一気に減り、その事に寂しさを募らせながらも自分が選んだ道だと己を納得させる事が増えた。
だから、久しぶりに会えた事がこんなにも嬉しい。
半月振りに入った部屋は以前よりも散らかっていた。それは本人も自覚しているようで、入ってすぐに「お前が来なくなったから頻繁に片付けなくなった」と言った。
「それで何の用?」
何を言われるかわからず、内心ビクビクしていたけれど、それを出来る限り押し隠して、努めて冷静に言うと、圭介は机の上から綺麗にラッピングされた小さな箱を手にした。
「これ、俺から家庭教師のお礼」
「ありがとう」
両手で受け取り、お礼を言う。圭介からの贈り物。嬉しかった。だけど、もうこれで圭介とも終わりなんだと思うと悲しかった。合格通知も来たので、家庭教師としての繋がりはこれで完全に途絶えた。卒業式が終わったら、もう私達を繋ぐ糸はもう無い。
「ありがとう、大事にするね」
両手で箱を包む。中身は何かわからないけれど、大事にしようと思う。今は胸が痛いけれど、いつかきっとこれを見て圭介との日々を優しい気持ちで思い出せる日が来る筈だ。
ありがとう、優しい人。さようなら、大好きだった人。
踵を返して部屋を出ようとする。今なら離れられる、そんな気がした。今離れなければ私はずっと圭介の事を忘れず、圭介の居ない高校でずっと虚しい時間を過ごさなければいけない。離れたくないけれど、圭介にずっと纏わりつく訳にはいかない。私も圭介もこれからはそれぞれ独自の道を歩かなければ行けないのだ。
数歩進んだ所で、後ろで溜息を吐く音がした。けれど、私は振り向かない。向いてはいけないんだ。先に進まなきゃいけないのだから。ドアを開けようとノブに手を掛けた所で、私の視界はぐるりと回転した。あまり運動神経は良い方では無い。突然視界が揺れ動いた私は三半規管の弱さも手伝って、軽く目を回してしまい、気付けば圭介にキスされていた。
どうして?
その疑問すら口に出す事も出来ず、至近距離でぶつかった圭介の眼差しに恥ずかしさを覚えて反射的に目を瞑ってしまった。唇が1度離れた。それでも触れるか触れないかの距離にあって、圭介が漏らす小さな吐息がくすぐったくて、身動ぎすれば、ぎゅっと抱き締められた。クリスマスの時には拒絶するような冷さだったのに、今日は暖かい。
「」
「うん」
恐る恐る目を開ければ、目の前に圭介が着ていた白のセーターが見えた。声に弾かれて上を見上げれば優しい目をした圭介が居た。
「酷い事だとは充分わかってるけど、もう1回だけ俺の事を見てくれない?」
息を飲み目を瞬かせる。都合が良いように解釈しそうになる自分が怖かった。
「好きだ」
熱の篭った言葉が上から降って来た。夢でも見ているのかと掌を爪でつねるが痛い。あの時、私が無理矢理キスをした日に泣けるだけ泣いたのに、あれからずっと泣いてなかったからまた溜まってしまったのだろう。ボロボロと両目から涙が零れて来て、袖で何度も何度も拭いたけれど止め処なく涙は流れて来た。
泣き過ぎて思わず咳き込んでしまうと、ゆっくりと背中を擦る手があった。咳が治まるとポンポンと背中を叩いた後、髪を撫でられた。その柔らかい手の感覚にゆっくりと私の中の感情は落ち着いて行くのを感じた。
「圭介」
その名前を呼ぶだけでザワザワと落ち着きつつある感情の波がまた動き出す。
「圭介」
この言葉を口にするだけで自分がまたどうにかなってしまいそうだけど、伝えずにはいられなかった。
「ずっとずっと好きだった」
涙と共に零れ落ちたのは、私がずっと言えずに居た言葉だった。
「やっと言えた」
涙で顔はぐちゃぐちゃで、酷い顔だけど、心の奥にずっとしまって居た言葉はもう出番は無いかと思っていたけれど、ちゃんと言う事が出来て、すっきりとした気持ちが心の中に広がっていた。