人間、我侭になって行く生き物だと思った。
この所、ずっと良い天気が続いていた。だから油断していた。学校を出た時、いつもより辺りが暗く感じた私は日が短くなったのかと空を見ると、そこには今にも雨粒が降り出しそうな黒い雲が広がっていた。駅までの道を急ぐ。あともう少しと言う所で、まるで思い出したかのようにぽつぽつと降り出して来た。駅の中に駆け込んだ時には、さぁーっと降り注ぐように降って来た。濡れた髪をハンカチで拭く。急いだお陰でハンカチで拭き取れる程度で済んだ。急いで良かったとつくづく思う。この天気では圭介の練習も中止だろう。そんな事を考えて、すぐに思い出す。今日は火曜日。圭介の練習の休みの日である事を。
改札を潜るといつもの場所に圭介が立っていた。
「ただいま」
「おかえり」
「こっちも降ってるんだね」
「静岡全域、雨だってニュースで言ってたぞ」
「これは明日も練習休みかな」と圭介は少し残念そうに呟く。駅出口を見れば雨が先程よりも勢いを増して降っていた。
男物の青い傘に圭介と2人入る。お互いに濡れないよう、肩を寄せ合って歩けば、あまり濡れない代わりに窮屈さで少し歩き難い。恋人同士になって早3ヶ月。キスも何度もして、少しずつ慣れて来たけれど、こんなに近くにいると何だか落ち着かない。離れていれば寂しいって思うのに、人間って我侭な生き物だ。
「・・・我侭だなぁ」
「は?何が?」
考えていた事がつい口に出てしまった。隣を歩く圭介が呆気に取られたように、ぱちくりを目を瞬かせる。学校で授業中、気を張っているせいか、こうして圭介と一緒にいる時にはその反動でかなり気が抜けているようで、度々間抜けな姿を圭介限定で晒して来た。「お前って変な所で抜けてるよな」と圭介に言われた時には、かなりショックだった。慌てて今の言い訳を口にすれば、「俺の前だけにしておけよ」と嬉しそうな顔をされた。喜んで貰えるのは嬉しいけれど、間抜けな姿を晒している事には変わりは無く、何と言うか微妙な気持ちになり、素直に喜べなかった。
そんな事がつい最近あったばかりなのに、私は懲りずにまた圭介の前でやってしまったようだ。圭介もまたかと思っているに違いない。横を見ればふっと意味深に笑う圭介と視線が合った。「う・・・」と思わず唸ってしまった時点で私の負けはほぼ確定していたのだろう。あーだこーだと最近よくやる言い合いの後、数分後、渋々そう思った理由について喋る私が居た。
本当、圭介に関して言えば私は弱い。
我侭だと思う理由を手短に話せば、圭介はまたぱちくりと目を瞬かせると、ニッと笑って見せた。
「別に我侭って訳でも無いと思うけど、我侭だと思うのか?」
「我侭だと思うよ。だって近くに居たいと思うのに、近過ぎると落ち着かないなんて・・・」
「意識してるって事だろ、それ」
「そうだけど」
「恥ずかしがってるは見てて可愛いから良いけど」
「・・・恥ずかしい事、さらっと言わないでよ」
突然の言葉に顔を赤く染めつつも、圭介を反射的に軽く睨んでしまった。そんな私を見て、圭介は気分を害する所か楽しそうに声を上げて笑った後、ポンポンと2.3回私の頭をあやすように叩いた。何となく子供扱いされたような気がして、不服だった。
「はさ、もう少し我侭になって良いと思うよ」
「充分、我侭させて貰ってる気がするんだけどね」
「・・・どこが?」
「練習無い日に駅まで迎えに来て貰ってるじゃない」
「折角の休みなのに」と言えば、「こんな遅い時間に帰って来るお前を心配して待ってる方がしんどい」と返って来た。
「それにさ、1日1回はお前の顔見ておきたいんだよ」
「お前は?」と聞き返す圭介は実は意地が悪いんじゃないかと思ってしまう。毎日会いたいのは私だって一緒だ。
「私も同じだよ」
「だろ。だからさ、もう少しお前は我侭言っても良いんだよ。まー、俺もお前もサッカーとか勉強で忙しいんだから、時間ある時にはこうして一緒に居ようぜ」
「うん」
「と、言う訳で俺の我侭聞いて下さい」
「うん。な―――」
何を?と言う問いは問いになる前に圭介に飲み込まれた。傘の柄を持つ手をいつの間にか変えて居た圭介は、さっきまで柄を持っていた手で私の顎を掴むと、そのまま自分の方に引き寄せた。音も無く重なる唇。しとしとと雨の音。少し離れた所で車が通り過ぎる音がする。音がする。音が聞える。その音のお陰で私の意識は現実から切り離される事無く、むしろ嫌と言うほど意識させられた中で長いキスは続いた。離れる間際、わざとチュッと音を立てて圭介は唇を離した。その音に恥ずかしさで顔が火照る。
「ちょっと・・・」
「悪い、何か急にしたくなった」
「だからって・・・誰かに見られたらどうするの」
「大丈夫だって。周りに人が居ないの確認したから」
確かに圭介が言うとおり、周囲には人影は見掛けられなかったが、恥ずかしい事には変わりが無い。けれど、上機嫌で笑う圭介の顔を見ると怒る気も失せてしまい、「もう・・・」と呆れるしか出来なかった。
「俺は我侭なの。だから、も我侭言っておけよ」
圭介には一生勝てないかもしれない。その笑顔を見てそう思った。