卒業式から数日後、ナショナルトレーニングセンター、トレセンという全国から選抜されたサッカー選手が集まる講習会に参加した圭介は、少しだけ落ち込んだ顔で帰って来た。サッカー絡みだという事はすぐに見当が付いたけれど、わかった所で私に一体何が出来るのだろう。「頑張れ」とか「負けるな」なんて言うのは簡単だ。簡単だけど、頑張っている人に「頑張れ」と言うのは時に重荷になるのではないかなと思う。実際、私自身重荷だと感じた経験があった。




「好き」「私も」と言い合ったあの日から、早半月。講習会から帰って来た翌日、部屋で勉強していた私の所にやって来た圭介は無言のまま私の背中に抱き付いて来た。


「圭介?」


返事は無かった。私の肩に顔を埋めているので、圭介が今どんな顔をしているか見る事は出来ないけれど、多分、本人曰く『情けない顔』をしているんだと思う。幼馴染と言うのは便利だけど、時に厄介だ。隠したいと思っても隠し切れなかったりする事が多い。この場合、圭介の今の感情を理解出来たので、私にとっては便利だったけれど、圭介にとっては厄介なのかもしれない。


「圭介」


呼び掛けた訳ではない。ただ急に口に出してみたくなった。







以前、たまたま行った書店でジュニア向けのサッカー雑誌が置いてあった。パラパラと目的も無く捲ると、聞いた事のある名前が飛び込んで来た。清水エスパルス、横山平馬。その後ろに横浜マリノス、須釜寿樹。最後のページ、他の2人同様にカラーの写真付きの記事で紹介されているのは、間違いなく圭介だった。激ウマサッカー少年、10年に1度の選手、未来の日本代表。気になって家に帰った後、ネットで『山口圭介 サッカー』で検索すれば、圭介を褒め称える文章を沢山目にした。


それを見た日の夜、部屋にやって来た圭介が急に別の人に見えた。




最もそれは単なる錯覚だとすぐに気付いた。もし、その事を圭介に話したら「何だそりゃ」と言って笑い飛ばした後、「俺は俺だよ」と言うに違いない。私の知る山口圭介と言う人間はそういう男だ。みかんが好きな癖に白い筋を取るのが面倒で私に「取って」と言ったり、白い恋人が欲しくて北海道選抜の人と仲良くなろうかと目論んだり、私が冷蔵庫の中にしまっておいたケーキを勝手に食べたりする、ただサッカーが並外れて上手い事を除けばどこにでも居る男だ。私にとって圭介はそれで充分だと思う。激ウマサッカー少年?10年に1度の選手?未来の日本代表?だから何?そんな理由で好きな訳じゃない。


「圭介」
「おー」


生返事だったけれど、今度は反応があった。少しだけ低い圭介の声が私は好きだ。


「圭介」
「・・・何だよ、さっきから」


少しだけ呆れた顔で圭介が私の肩から顔を上げた。「何となく呼びたくなった」と言ったら「何だ、そりゃ」と言って圭介は苦笑いを浮かべた後、少しずつ話し始めた。


「俺がサッカー始めた理由覚えてるか?」
「確か・・・・・・好きな選手のビデオ見たからじゃなかった?名前はえっと・・・『しみず』じゃなくて『しおの』・・・も似てるけど違う。えっと・・・」
「しおみ、な。潮見謙介。ジュビロがまだ別の名前で呼ばれていた頃の選手なんだけど、あの選手と同じような選手がトレセンに居たんだよ。技術やフィジカルは全然なんだけど、目が離せないプレイする奴で。お陰で俺、色々と思い出したよ。考えてみればあんな選手みたいなプレイしたくて技術磨いて来たのに、気が付いたら技術一辺倒になってた」


「情けねぇー」「1回戦で負けたー」と言って圭介はまた肩に頭を乗せたので、数回撫でると「お前と居るとほっとする」とぽつりと圭介は漏らした。


「お前と居ると俺は俺に戻れる気がする。俺は俺なんだから、俺に戻れるって言うのも変な言葉だけどさ。お前、サッカーに関しての俺、殆ど知らないだろ?」
「まったくもって申し訳ないけど、知らない」
「・・・申し訳なく思ってねぇだろ、お前」


「俺って凄いんだぜ」と陽気に言ったと思ったら、「でもさー」と力無い声で圭介は言った。


「この間、雑誌に『激ウマサッカー少年』とか色々書いてあったんだ。注目されるって事は、実力を認められたんだから嬉しいんだけれど、だんだんサッカーやってる俺が一人歩きし始めてるって言うのかな。サッカーやってる俺ばかり必要とされ過ぎて、それ以外の俺が必要とされてない事に俺は多分寂しく感じているんだろうな。だから最近家に帰ると凄いほっとする。サッカーやっているのは楽しいし、サッカーは俺にとって生きる事と同じ事になってしまっているんだけど・・・ああ、ゴチャゴチャして来た」


そう言って圭介は片手で頭を抱えて肩にまたポスンと頭を置いた。


「圭介」
「何だ?」
「圭介は圭介だよ」
「そりゃ、そうだな」
「私にとっても圭介は圭介だよ」
「・・・もう少しわかりやすい言葉で頼む」
「他の人から見れば圭介は凄いサッカー選手かもしれないけれど、私にとって圭介は・・・」
「圭介は?」


耳元で囁かれ鼓動が早くなる。平常心を装ったものの、きっと圭介にはバレているだろう。顔が耳が熱い。


「お前にとって俺は何なんだ?」


面白そうなからかうような声がすぐ傍で聞える。「意地悪」と言えば、楽しそうに笑う声。


「親孝行で、曲がった事が嫌いで、優しくて・・・その・・・格好良い自慢の彼氏」


最後の方は恥ずかしくて声が小さくなったけれど、圭介にはしっかり聞えたようで、肩に掛かっていた重みが消え、代わりに後ろから腕が回された。


「そう言って貰えてマジで嬉しい。サッカー抜きで俺を必要とされるのって凄い幸せだ」


いつもより強い抱擁が、圭介の『嬉しい』と言う気持ちをダイレクトに伝えて来る。少し苦しいけれど、伝わって来る気持ちが嬉しくて、その腕の中で幸福感に浸った。







「次は勝つからさ。勝ったら何かご褒美頂戴」
「ご褒美・・・?」
「そ。ご褒美。何を頼むかなぁ」
「私が出来る範囲内なら良いけど」
「あ、ご褒美、お前からキス1つで」
「無理無理無理無理!」
「何でだよー。あの時はお前出来たじゃん」
「あれは火事場の何とやらと言うか、自暴自棄になったと言うか、ああ、もう恥ずかしくて出来ないよ!」
「ええー」