翌朝、起きて下に下りると、いつものように母さんが朝食の支度をしていた。


「おはよう、母さん」
「おはよう。今日、出発するの?」
「出来たらね・・・」
「そうね」

私の答えに母さんは困ったように笑った。私も困ったように笑って見せる。すんなりとこのまま旅に出れるとは思わない。何も言わずにこのまま旅に出ても良いが、物凄い血相で追い駆けて来るのは目に見えている。圭介の追撃をずっとかわせる自信も無く、それどころか話をしないまま勝手に旅立った事を盾に取られそうだ。私が1人で旅に出るには結局のところ圭介を説得させる以外無いのだが、思い込んだら一直線の圭介を説得させる材料は今のところ無い。昨日使い切ってしまった。説得出来ず喧嘩別れしても私の後をついて来るくらいの事はやりそうなので、やはり圭介に納得して貰うしか無い。撒いたり振り切ったりしてもあの手この手で私を探すだろう。最悪、ジムを見張っていれば私はやって来るのだから。

ああ、面倒だと溜息を吐けば、母さんは「きっと大丈夫よ」と励まして来た。根拠の無い言葉ではあったが、悲観しても仕方無いと思えるくらいの気持ちにまでは回復し、「ありがとう、母さん」と返すと、笑顔で母さんは冷める前に朝食を食べるように勧めた。






この日の為に用意した黄色のリュックを背負い、靴もランニングシューズに履き替えた。リュックの中には最低限の生活必需品やポケモングッツが特殊ケースに圧縮されて入っており(モンスターボールと同じ原理だそうだ)ランニングシューズもこの日の為に準備し、既に履き慣らしておいた。


「それじゃ、母さん。行って来るね」
「行ってらっしゃい」


圭介の説得が上手く行けば、私は今日この街を出る。次はいつこの街に戻れるかわからない旅に出るのだ。玄関前で母さんが私をぎゅっと抱き締めた。行ってらっしゃいの言葉が酷く優しく、そして頼もしく聞こえた。







研究所に向かうと圭介が入口の前に居た。服装は私と似たり寄ったり。腰に下げたポーチに全て入っているのだろう。あちらは男だから生活必需品が少ないのかもしれない。


「おはよう」
「おはよ」
「お前、その格好で旅に出るのか?」


圭介が不思議な顔で私を上から下まで眺めた。


「うん。一応、妙な体質持ってるからさ。こういう格好している方が良いかなと思って」


私の今の格好は下は濃い目の色のジーンズ。靴は赤が基調のランニングシューズ。上は黒の半袖シャツ1枚に、赤のウィンドブレーカーを羽織っている。髪はばっさりと切り、ボブよりも短いショートヘアにした。美容師さんに「せめて中性的に!前髪とトップだけは長くさせて下さい!」と言われたのでされるがままにされたが、それに赤のキャップを被ればどこから見ても男の子と言った姿の私が鏡に映っていた。胸がつるぺったんなのがこんなところで役立つとは・・・・・・。


「まぁ、お前の体質は確かに珍しいけどな・・・」


何故か私はポケモンに好かれる体質らしく、草むらに入らずに近くでぼんやりとしていればポケモン達がわらわらとやって来るのだ。この体質は悪用しようと思ったらいくらでも悪用出来るらしく、山口博士にも口酸っぱく気をつけろと言われていた。


「私もそうだけど・・・圭介も気をつけなよ。あれ」
「わかっているよ。・・・お前こそ気をつけろよ」


あと1つ。私と圭介には他の人には無い共通の特技がある。口にしたところで大抵の人間が作り話としか思わない特技なので、今は2人だけの秘密だ。母さんや博士も知らない。


「じーさんが奥で待っている。行こうぜ」


圭介は昨日の話には一切触れず、さっさと研究所の中に入って行った。頭の中で如何にして圭介を説得するかそればかりを考えていた私は出鼻から挫かれる形となり、上手く行くのだろうかと不安になりながらもその後を追った。


「さて、圭介もも今年で11歳。トレーナーになれる歳になった。わしから取って置きのポケモンを贈ろう!さあ、好きなのを選んでくれ!」


研究室の奥に居た博士はそう言うと3つのモンスターボールを机の上に並べた。1つ1つポケモンの説明をした後、選ぶように私達に促した。ここは孫の圭介から選ぶべきだろう。横に立つ圭介に「先に選びなよ」と言えば、意外や意外、圭介は私に先に選ぶように勧めた。


「いや、ここは孫からでしょう?」
「お前も孫みたいなもんだろ。レディーファーストだよ」
「レディって・・・・・・」


普段女の子扱いされては居ないのに、レディファーストとはこれ如何に?・・・いや、されていた。奴の過保護の根本には私が女の子であり、守らなければいけない対象という考えから来ている。これが私が男ならここまで圭介も過保護にならなかっただろう。とは言え、普段遊んでいる内容を考えるとやはり男の子同士の遊びとしか思えないのでいきなりレディファーストなんて言われても違和感を感じてしまうのが正直なところだ。


「圭介もそう言っておる。気兼ねせずに先に選びなさい」


博士からもそう言われては先に選ぶしか無い。ボール越しに3体を見る。赤、青、緑。わかりやすい属性の肌を持つ3体。赤いのは期待するような眼差しでこちらを見、青いのは尻尾をこれでもかと振り、緑のは興奮の余りボールに突進して頭を打っていた。どうやら初見でかなり懐かれてしまったらしい。私は3体の中で1番大人しそうにしていた赤いポケモンの入ったボールを取った。


「ヒトカゲで良いのか?」
「はい。この子にします」


手持ちのポケモンにするなら大人しい子か賢い子と経験上決めていた。以前、わんぱくな子ややんちゃな子に思いっきり好かれ、その結果、愛情表現と言う名のタックルを食らってあばらを折った。わんぱくな子もやんちゃな子も嫌いじゃないが、もう少し私の体が成長してからでなければまた同じ目に遭うだろう。残念そうな目で見る2体にゴメンと視線を送れば、そのうちの1体のボールが視界から消えた。


「じゃ、俺はゼニガメ。よろしくな」


片手に取ったボールに向かって圭介が話しかければ、青いポケモンは嬉しそうに体を動かせてみせた。私も同じように選んだヒトカゲに話しかければ、ヒトカゲも嬉しそうに鳴いた。


「さてと、じゃあ、昨日の話の続きでもしようか?」


圭介の言葉に私はボールから顔を上げた。にんまりと何かを企む圭介と視線がぶつかる。こういう顔をする時の圭介は大抵禄でも無い事を考えている。前に見たのは廃工場にピカピカ光るポケモンが居るなんて噂話を聞いた時。誘われて街から少し出た所にある廃工場に向かったが、案の定、鍵が掛かっていた。周囲を軽く散策すると、2階の窓が開いていて、奴はにんまり笑って「じゃあ、あそこから入ろうか」と言ったんだ。ドラム缶の上に圭介が立って、肩車をされた私が2階に忍び込んで1階の窓の鍵を開けたんだ。あの時はスカートじゃなくて良かった。そもそも圭介と遊びに行く時にスカートで出かけたら最悪スカートの裾が切れる。本当、圭介とは男の子の遊びしかしてないな。いや、圭介以外に遊び相手居ないから女の子の遊びをした事がないな。女の子の遊びって何だろう?ママゴトするくらいならポケモン探索の方が全然良いから、圭介が遊び相手に居て良かったけれど。


、俺、昨日一晩考えた。そのヒトカゲで俺に勝てたら希望通り、1人で旅に出ろ。だけど俺に負けたらわかってるな?」


なんて昔を回想したら圭介がとんでも無い事を抜かした。


「せこい!!」
「・・・悪かったな」


思わずだだ漏れになった本音に不貞腐れたように圭介は横を向く。私のヒトカゲ火属性、対する圭介のゼニガメは水属性。ポケモンにも様々な属性があり、得意苦手の属性があるのだ。私のヒトカゲは水に弱い。しかもちょっとじゃなくてかなり。どちらも物理攻撃と防御力弱体の技しか覚えていないのが幸いしたが、水属性のポケモンの爪は火属性の皮膚にかなり有効的なのだ。そして火属性の爪は水属性の皮膚にはそこまで有効的では無く、この場でバトルしても与えるダメージが違うのだから、まず私が負けるだろう。

あの馬鹿みたいに真っ直ぐな圭介がここまでしたのだ。それだけ私の事が心配なのだろう。あの時の圭介の事を考えればわからなくもなかったが、やはりこればかりは私も譲れない。私にとって不幸だったのは先にポケモンを選んだ事だが、1つ幸いした事があった。それは私が圭介より誕生日が先だった事である。伊達に1ヶ月圭介の誕生日を待っていた訳では無いのだ。この状況を打開する手が無い訳ではない。しかし、これは私にとっても大きな賭けだった。必ず勝てるとは限らない手なのだから。


「わかった。じゃ、手加減無しでやろうか」
「当たり前だ」
「ヒトカゲ、お願い!」
「来い、ゼニガメ!」




こうして私達の初めてのポケモンバトルの幕は切って落とされた。勝つか負けるかわからない。けれど勝てば間違いなく圭介は私の1人旅を認めてくれるだろう。ボールから勢い良く出て来たヒトカゲは炎の尻尾を振ると、指示通り相手に向かって体当たりをかました。