「これで良し」
携帯を閉じてそれをカウンターの上に置いた結人さんは、目の前のグラスに半分残ったチェイサーを一気に飲み干した。ぷはぁーと息を吐く仕草は結構親父臭い。
「てか、2人共来ねぇし。ちゃん、あいつら知らない?」
「英士さんは20時に東京駅に着くって言ってましたから、もう少しで来るんじゃないですか?一馬さんは知りませんよ」
半分本当で半分嘘だ。本当は一馬さんの居場所も知っている。けれど私は決して口に出さない。プライバシーの侵害以前の前に守秘義務が生じるからだ。今頃、6階で彼女と楽しく過ごしているだろう。変装して人ごみに溶け込むのが異様に上手い結人さんや存在感を隠すのが上手い英士さんに比べて、変装してもしなくてもファンに見つかりやすい一馬さんはうちの良いお得意さんだ。今度彼女とここに来たらカクテルでもご馳走しようと思う。
「良いよなー、一馬。彼女の胸でかくて」
「結人さん、一馬さんに聞かれたら怒られますよ」
「ヘタレかじゅまに怒られたって怖くなーい」
「あはははは〜」と笑い飛ばして、結人さんはグラスを指で弾いた。キンと綺麗な高音が鳴るのは、値の張る良いグラスを使っているからだ。
「ちゃん、おかわり〜」
「お2人が来る前に潰れちゃいますよ」
「大丈夫、大丈夫」
「潰れなくても、帰るの大変ですよ」
「その時は上に泊まるから、良いだろ?」
「一応、4階を用意しておきますからね」
カウンターの下に設置された内線電話でフロントに繋ぐと、仲の良い受付担当の子が電話に出た。4階を1室押さえるように頼むと、楽しげに笑った彼女は「了解」と答えて「またね」と言う言葉と共に電話は切れた。
結人さんの1番のお気に入りを作ってカウンターの上に出す。来店当初からカパカパと早いピッチでグラスを空にして来たけれど、落ち着いたのか結人さんは慣れた手付きでグラスを持つとカクテルに少しだけ口付けた。騒ぎながら酒を飲む結人さんはその辺の居酒屋に居る大学生と大して変わらないようにしか見えない。けれど今みたいに落ち着いてグラスをゆっくりと傾ける姿は洗練された男そのものなのだから、結人さんは本当に面白い人だと思った。
「ねぇ、ちゃん」
「何です、結人さん?」
「ちゃんも胸でかいよね」
「結人さんは口さえ開かなきゃ良い男だと思いますよ」
洗練された男の雰囲気は口を開いた瞬間に台無しになった。「俺は喋っててもカッコイイ男なの!」と言う結人さんはあからさまに私の胸に視線を落とした。ご自慢のスカウターで計るつもりらしい。本人曰く、結構当たるらしい。けれど詰め物やウォーターブラと言った偽装は見抜けないみたいだけど。
計られては堪らないので、後ろ向きになってやり過ごす。後ろでブツブツと結人さんが「E・・・いや、Fか・・・?」と呟いていた。
「ねぇ、ちゃん。胸のサイズってE?F?」
その直球な質問をした瞬間、結人さんの頭はカウンターにぶつかった。どうやらやって来た待ち人が問答無用で結人さんの頭を殴ったらしい。
「何、に聞いてるの?」
憤怒のオーラを背負って登場したのは、黒でほぼ統一した格好の男性。黒のキャップに黒のシャツ、白の細いラインの入ったスラックス。唯一サングラスだけが濃い青色が入っていた。
「痛てぇよ、英士」
地毛である茶色の頭を押さえて結人さんは涙目で英士さんを見た。「結人が悪い」としれっとした表情で英士さんは言うと、結人さんの隣の席に腰掛けていつものカクテルを頼んだ。
「今日は何時まで?」
「23時ですよ」
「そう。じゃあ、俺の部屋に後でワイン届けて」
「では、そのように手配しておきます」
出されたカクテルに口付ける英士さんに頷くと、私は内線電話でフロントに繋いだ。今日は完全に仲の良い子が1人で回しているので、電話に出たのはまた彼女だった。
「ワイン、オーダー入ったのでお願いします」
「了解しました。アクアルーム、今、空いてるから押さえて置く?」
「よろしくお願いします」
「色々サービスしておくから」
「程々で良いですよ」
「んふふ、遠慮しないで。それじゃあ、来たらすぐに鍵を渡しておくから」
そんな会話を電話で同僚としている後ろで、結人さんが「お前ら本当あっさりしてるよな」と言う声と「俺達は公私はっきり区別してるんだよ」と言う英士さんの声が聞こえた。