目を開けたらすぐ傍に、それはそれは端正な顔立ちがありました。




「高瀬くん」
「はい」
「助けて」
「無理です」
「そこを何とか」
「無理です」
「良いから助けろ」
「む・り・で・す」


主任に目を付けられた(と言っても仕事が出来ると言う意味で、別に深い意味は無い)(深い意味があって堪るか)(あったら速攻私は企画部の須釜さんの所に転属願を出してやる)期待のルーキー高瀬準太は、私の今の状況を把握しながらも無情にも何度も同じ言葉を繰り返すだけだった。お前は、お役所仕事のお役人か!


私の方を一度も見ないまま、パソコンで黙々と作業する彼の背をギリリと睨めば、視線に気がついたのだろう。彼は慌てて立ち上がると、電源コードを抜いてパソコンごとどこかに行った。


「・・・あいつ、忘年会でセーラー服に猫耳決定」


パワハラだと言われても構わない。上司の危機を目の当たりにしながら、逃げる男がどこにいる。文句は言わせない。絶対、絶対、絶対、忘年会にあいつにセーラー服に猫耳に眼鏡(1個増えた)で余興やらせてやる!


「それにしても、どうしよう、これ」


ソファーで仮眠を取っていたのだが、目が覚めると、私の体を拘束するように、男が1人抱き付いて眠っていた。気持ち良さそうに見える寝顔が何とも腹立たしい。


「主任、起きて下さい」


主任、と何度も繰り返すが起きる気配が無い。


「主任、起きて!起きて!!」


ゆさゆさと揺さぶってみると、不機嫌極まりないと言う唸り声を上げた。よっしゃ、いけると思ったのだが、入社数年で主任に就任したエリートを舐めてはいけなかった。


「うるせーよ、さくら」


そう言って主任は私の肩を掴むと、ぎゅっと抱き締めた。寝息が耳元を掠める。ちなみにさくらと言うのは、主任の家に住むさくらちゃんの事だ。雨が降る寒い夜、拾われた小さな黒猫。拾ったのが主任では無く、同期の渋沢くんと言うのが何とも彼ららしい。


「起きて下さい、主任!ここ、どこだと思っているんですか!」
「んー。天下の笛振商事のオフィスだねぇ〜」


女性にしてはかなり低い。男性にしてはやや高めの声が上から降って来た。


「はろー?オフィスラブなんて、やるじゃないの、ちゃん」
「うげっ・・・」
「人の顔見て、うげっ・・・って酷いわね〜」


あからさまに傷付いたと言う顔を作った後、彼、中西秀二はカラカラと笑った。


「ここに来るなんて、珍しいじゃない」
「ああ、お宅のルーキーに言われたの。『助けてあげて下さい』だってさ。可愛いじゃないの、彼」


ああいう子好みだわ、と中西くんが言う。オネェ口調だが、彼は身も心もオトコと言うのは社内でも有名な話だ。だから、おそらくは冗談なのだろうけれど。


「何で、よりによって中西くんを呼ぶかなぁ」


ここは渋沢くんだろうと中西くん本人の前で主張すれば、渋沢をこんな所に連れて来たって大して役に立たないよ、むしろ、見られたら最後、ボケた言葉しか返って来ないね、交際おめでとうとか、結納はいつだ?とか、と返って来た。主任と渋沢くん、それに中西くんと言う、情報、総務、営業の主戦力3人が、中学からの腐れ縁と言うのもかなり有名な話だ。仕事を離れると渋沢くんが天然発言を繰り返すのは、総務の他の部下のお陰で社内でも1部の人間しか知らない事だけど。


「ま、俺で多分正解なんだと思うよ、っと!」


そう言って中西くんは思いっきり主任の尻を蹴った。あの長い足で!痛そう!!


「いっつー・・・誰だよ?」
「俺」
「中西、何しやがる!」
「何しやがるは俺の台詞なんだけどね」


うっすらと眦に涙を浮かべた主任が、声のした方向、中西くんの方を向いて睨んだ。腕の中、よーく見てみなよ。呆れ顔の中西くんの言葉に、自分の腕の中を見る。


!・・・何で?」
「それはこっちの台詞です」


昨日の雷による停電で、一部、システムがおかしくなった。システムの復旧に借り出されたのが、私と主任、それに高瀬くんと他数名の部下達。終電30分前に復旧の目処が立ったので、上役である私と主任の他、アパートが遠い高瀬くんの3人が泊り込み、他は全員帰宅させた。早朝の4時を過ぎた頃に何とか復旧が完了し、白いソファーに私、黄色のソファーに高瀬くん、黒いソファーに主任の3人がそれぞれ倒れこみ、仮眠を取った。仕事柄、パソコンと向き合う時間が多く、社内では泊り込む回数が最も多い部署ので、部屋にやたらソファーがある。来客用では無く、社員用なのも、その統一感の無い色彩を見ればわかるだろう。


今、私が横になっているのは白いソファー、そして主任が横になっているのも同じ白いソファーだ。白いソファーはこの部屋には1つしか無い。これで主任が、が・・・なんて口にした日には、異議アリ!と言ってその綺麗な顔にパンチの1つや2つは見舞ってやらなければならない。私以上に寝不足な主任に、折角この部屋で1番寝心地の良いソファーを譲ったのに。


「わりぃ・・・」


そう言って主任は頭を下げた。


「良いですよ。どうせ寝ぼけただけでしょうから」
「相変わらず寝ぼけ癖治らないねぇ、ミカちゃん」
「・・・うるせーよ、中西」


カラカラと中西くんが笑い声を上げる。中西くんがやって来て、主任が起きて、一気に部屋の中が明るくなった気がする。主任に腕の拘束を解いて貰うと、起き上がり伸びをする。3時間程度の仮眠だったが思いの他、悪くなかった。だけど、少しだけ頭の奥が重い。定時にはきっと悪化しているだろう。今日は出来るだけ定時帰りと頭の中で繰り返す。


「メイクセットは良いとして、メイク落としはある?」
「あー、無い。コンビニで買ってくるかな」


1階まで行くの面倒、なんて思っていたら、横からすっと伸びた手に握られていたのは小さな袋。


「はい、メイク落とし」
「え?くれるの?」
「うん。泊まりって聞いてたから、念の為に買って来たよ」
「きゃーーー、中西くん、愛してる!」
「うんうん、俺も愛しているよ」


感激の余り抱きついたら(だってここ25階だよ)嬉しそうに中西くんが頭を撫でてくれた。うぜぇ、と不機嫌な主任の声に我に返る。


「あーと、・・・じゃあ、顔洗って来ますね」


不穏な空気を感じ取り、理由をつけてそそくさと私はその場を後にした。にこやかな笑顔(こういう時には大抵裏がある)を浮かべる中西くんと、ソファーに座り不機嫌な表情のままの主任に見送られ、情報システム部マネジメント室のドアを潜って、まだ薄暗い廊下を小走りのまま突き進んだ。




「んふっふ、高瀬ちゃんには今度お礼しなきゃなぁ」
「お礼って・・・こっち?」
「ゲンコの方じゃなくて、ご飯の方かな。ちゃんの危機を知らせてくれたし」
「あいつ・・・余計な事を」
「それにしてもミカちゃん、大胆だね。寝てる所、襲うなんてやるぅ!」
「・・・・・・どうせなら、もっと手を出しておけば良かったっ!」
「コラコラ、一応、高瀬ちゃんも同じ部屋にいたんだから控えなさい」
「・・・普通、そこは止めないか?」
「オフィスでエッチって1度やってみたいんだよね、俺」
「やるなよ・・・」
「大丈夫、ちゃんとちゃんでやるから☆」
「やるな!てか、人の部下に手を出すな!」
「えー、自由恋愛に茶々入れないでくれるー?上司ってだけのオトコがさ」
「・・・・・・中学の時からお前と同じ女を好きになるのだけはゴメンだと思っていたけど、まさか社会人になってからなるとは思わなかった」


心底嫌そうな三上の呟きに、中西はにんまりと笑顔を浮かべた。






鈍感オンナとオトコの純情





「高瀬くん、中西くん呼んでくれてアリガト。お礼に忘年会は猫耳だけで許してあげるわ」
「それってお礼になってませんよ!主任補佐!!」



(言い訳)
おお振りも高瀬も実はまったく知らないのに、書いてみた☆