「幼馴染が居るって何か羨ましい」
「そう?」
「俺、小学校上がるまで親父の転勤で各地を転々としてたから」
「幼馴染と再会して恋に落ちるって漫画で良くあるよね」
「あるな」
「幼馴染と恋してみたい?」
「それ、今の俺に聞くかよ」


呆れ顔の友人が大袈裟に肩を竦めて見せる。私は少しだけ意地悪く笑った。


「一馬くん。おめでとー。彼女出来て良かったね」
「あ、うん。・・・ありがとな」


既に中身が半分失われたウーロン茶の入ったグラスを持ち上げれば、こちらの意図を察した一馬くんもグラスを持ち上げる。澄んだ高いグラスの音が心地良かった。




一馬くんに彼女が出来た。同じ高校に通う子で、クリスマスの日に奇跡的な出会いがあったらしい。その出会いが如何に素晴らしく、奇跡的で運命的なものだったのか熱く語ったのは、一馬くんでは無く結人くんだった。照れ隠しで怒る一馬くんに「羨ましいんだよ、コンチキショー!!」と結人くんがマジ切れし掛けたのは記憶に新しい。


「そういうはどうなんだ?あいつらと恋してみたいと思うのか?」
「ううん、全然」
「即答かよ」
「クリスマスの時から私なりに考えて来たから即答出来るだけだよ。色々考えて見たの。英士と付き合ったらどうなるのだろう?潤慶と付き合ったらどうなるのだろう?・・・どれだけ考えても家族や今まで通りの幼馴染としての付き合いしか思い浮かばなかった」
「付き合いが長くなるとそうなるか」
「うん。英士なんて小学校の時は『頼りになるお兄ちゃん』だったからね」


同い年なのにおかしいよねと自嘲すれば、あいつは昔からしっかりしてたから俺も結人も頼ってたと一馬くんは苦笑いを浮かべた。私も同じように笑う。


幼稚園、小学校の頃の英士は頼りになるお兄ちゃんだった。そのままの関係を続けられたなら、私も頼りになる英士に恋心を抱いたかもしれない。しかし、実際の英士は中学校から冷たい態度を取るようになり、私はそんな英士からゆっくりと離れて行った。


英士が私を好きだと言う。それが理解出来ない。私は英士の事を嫌ってないけれど、好きでも無いからだ。私達の気持ちには温度差があり過ぎる。理解しろと言う方が難しい。まして英士と潤慶の気持ちを聞いたあの日からそれ程時間は経っていない。溝を、温度差を埋めるにはまだまだ時間が必要だった。




「正直、もう少し時間が欲しいわ」
「・・・気持ちはわかるが、難しいな」
「そうなの?」
「ああ」


一馬くんは真っ直ぐな人だ。真っ直ぐすぎて傷付いて強がっていた時期もあったけれど、彼の本質は変わらない。一馬くんは必要が無い限り嘘は吐かない。


「そっか。私、英士の事、全然わかってないんだ」
「うん?」


脈絡の無い言葉に一馬くんの目が猫のように細くなる。


「英士が私の事好きって言うけれど、私、昔の英士ならともかく今の英士に関しては全然わからないのよね。何で急に冷たい態度取ったのかすらわからなかったし。わからない人を理解するなんて無理だよ」


半ば愚痴のようなものだった。英士の気持ちを私よりも理解している一馬くんの顔がくしゃりと歪む。


「そんな顔しないで。こればかりは私と英士の問題だからさ」
「だけどよー。遠回りって言うか、英士ももうちょい上手くやれば今頃は・・・」
「ほら、時間がきっと解決してくれるから、ね」
「・・・うん」


後悔の色を浮かべる一馬くんを見て、やはり優しい人なのだと繰り返し思う。一馬くんは英士の親友だから愚痴を話すにしても言葉を内容を選ぶべきだった。僅かばかりの後悔。その中に英士に対する気持ちは無い。幼馴染に対して冷た過ぎるのでは無いかと思ったが、出来る限り客観的に見ても冷たい態度を取られては仕方が無いと思う私が居る。優しかった分、悲しかった。反動は大きかった。故に大好きから大嫌いにならなくても、どうでも良いまで落ちてしまったのだろう。


どうでも良い。そう、どうでも良い。英士が誰と付き合おうと、どこのチームに行こうとどうでも良いのだ。私の英士に対する気持ちは中身がどこまでも無い。引越し前の部屋のように、すっきりとしていて、そこに好きだと言う言葉を放り込んでもコロンと転がるだけ。心に染み渡る事も、吸い込まれる事も、響き渡る事も無く、ただそこにあるだけ。冷たい態度を取った事を謝ってくれたなら。昔と同じように接してくれたなら。少しずつ溝を温度を埋めた後、好きと言ったなら私の心に響いたかもしれないけれど。そこで私は気付く。私から英士に歩み寄ろうという気持ちが無い事を。そしてもう1つ気付いた事は心の底から湧いた私の本音であり、意識せずにするりと零れ落ちた。


「一馬くんみたいに英士も」


わかりやすいならまだ私も理解出来たのに。


その言葉は一馬くんに伝わったのだろうか。会話の途中で荒々しく扉が開けられたせいで、一馬くんの意識はそちらに向けられた。





かなりご立腹のようだ。一馬くんがその場を取り持とうとするが、英士は目で出て行くように促すだけだった。ちらりと心配そうに一馬くんがこちらを見る。英士の怒りがどれだけのものか、長い付き合いで理解しているらしい。


「大丈夫だよ」


安心させるよう、務めて優しい声で言う。ここまでは問題なかった。


「だってこれは私と英士の問題だから」


声を作ろうとするものの、苛立ちがそれを上回り、出て来たのは自分でも驚く程冷え冷えとした声だった。どうでも良い私が英士にどれだけ怒られようとどうでも良いのだ。だってコロンとその場に転がって、響かないから。英士の怒りが理解出来ない。英士の行動が理解出来ない。心配そうにドアの傍で窺う一馬くんに私は軽く手を振って、渋々と言った様子で彼はドアを閉めて階段を降りて行った。




私と彼の100日戦争






数年の間に出来た溝はぶつかり合う事で埋まるならば、きっとこうやって本音で向き合う事が必要なのだ。好かれないならばいっそ嫌われた方が良い。自業自得なのだと郭英士は自嘲した後、恋した愛した相手と向き合った。停滞していた時間がようやく動き出した。