勉強しているとドアをノックする音が聞えた。夕食後、たまに母さんがコーヒーを淹れて持って来てくれるから、てっきりそうだと思って「どうぞ」と机を向いたまま言うと、ドアの開く音に続いて「お邪魔します」と言う声がした。低い男の声。思わず振り返ると、お盆を手にした幼馴染が立っていた。




紡ぐ




「へーま」
「ん」


「久しぶり」と言ってローテーブルにお盆を置くと、平馬は絨毯の上に座り込んだ。お盆にはカップが2つ。どうやら母さんが用意してくれたらしい。カップを手に取り、口を付けた平馬を一瞥した後、机の上を簡単だが整理し、向き合う形で私も座った。この前のバーゲンで買った絨毯は毛が長く触り心地が良い。つい座る度に触るのが癖になってしまったが、さわさわと絨毯を撫でる私を見て、平馬も同じように手を動かした。猫の毛のような感触がする絨毯を平馬も気に入ったようで、少しだけ目を細めて何度も撫でていた。


「家に来るなんて久しぶりじゃない。どうしたの?」


気が済むまで絨毯を撫でた後、カップのコーヒーに口を付ける。数年前、飲み始めた頃は苦いと思っていたブラックも、今ではこの渋みが良いと思うようになっていた。そういえば、コーヒーを飲み始めた頃から、平馬がここにあまり来なくなった。


「相談したい事があって」


見返す眼差しは以前見た時に残っていた幼さが消え、大人びたものに変わっていた。それから以前よりも髪が伸びていた。ぼんやりとしているようにも見える表情は相変わらずだけど、成長したせいでアンニュイな表情にも見えて、相俟って格好良く見えた。


(はて、へーまってこんなに格好良かった?)


最後に会ったのはいつだっただろう。それすら思い出せない程、今となっては遠くなってしまった幼馴染の姿に少しだけ戸惑いながら、「何?」と聞けば、少しだけ照れたように目元を伏せると、「女ってどんな物貰うと喜ぶの?」と言った。







夢かと思って何度も瞬きをしたり、机の影に隠れた太腿をつねってみたけれど、目の前には間違いなく平馬が居て、痛みもちゃんとあった。面倒臭がりな平馬が、ただの女友達の為にわざわざ幼馴染の所に相談しには来ないだろう。周囲が恋だ好きだと騒ぎ始めた頃、興味が無いと告白して来た女の子を片っ端から振っていたのに、平馬にもついに好きな子が出来たなんて!


少しだけ複雑な心境だった。


(へーまに先を越された・・・)


身勝手なのは百も承知だけれど、まさか平馬に先を越されるとは思わなかった。そんな私は彼氏居ない暦イコール年齢で、初恋は幼稚園の若先生だったけれど、その後は気になる人は居たけれど、好きと言う所まで思える人が居なかった人間である。


「うーん、女の子の性格とか趣味によって欲しい物が違うからね」


「言える範囲で良いからどんな女の子か教えて貰える?」と尋ねれば、急に平馬は顔を顰めた後、「性格は・・・謎」と答えた。


(謎って・・・一体、どんな子好きになったのよ・・・)


変わり者と周りから言われる平馬に、謎と言わしめた女の子は一体どんな子なんだろう。興味が沸いたけれど、聞いた所で平馬が教えてくれるとは思えなかった。湧き上がった好奇心をコーヒーの苦味で押し留めて、ゆっくりと消化させて行く。


「謎、ね。趣味とかわかる?」
「趣味・・・。あ、良く本読んでる」
「本か」


本と一概に言ってもジャンルは多岐に渡る。余程親しく無い限り、欲しがっている本なんてわからないだろう。もしわかったとしても、渡す時に相手が買ってしまっていてはあまり意味が無い。そうなると複数個あっても困らないもので、実用的な物が良いかもしれない。好きな異性にプレゼントなんて贈った事が無いから、思いつく物はどれも色気の無い物ばかりだけど、それは仕方が無い事だと割り切るしかない。平馬も私に色気なんて無いの知ってるだろうし。


「ちょっと豪華なしおりとか贈るとかどう?」
「しおり?」
「うん」


思いついた物の中でこれはと思える物を挙げれば、いまいちピンと来なかったのだろう。しきりに首を傾げる平馬に、机の引き出しから取り出したしおりを見せれば、興味深そうに手に取って眺め始めた。


「綺麗でしょ。京都に行った時に一目惚れして買ったんだ」


銀色の縁に、ステンドグラスのような淡く透明な色合いの蓮の花。ハードカバーの本ならしおり代わりの紐がついているけれど、自分好みのしおりを挟んで読書すると何だか楽しいのだ。手の中でくるりくるりと何度も回して眺めた後、「こういうのどこで売ってる?」と平馬は尋ねた。平馬もどうやら気に入ってくれたらしい。自分が好きになって貰った物を気に入ってくれたので、かなり嬉しい気分になった。


「大きな本屋とか雑貨屋なら売ってるんじゃないかな。しおり以外にもブックカバーとか色々読書グッツ売ってると思うから、今度行った時に見てみたら?」
「そうするか」


私の言葉に1度深く頷くと、平馬は「ありがとう」と言って笑った。







少しだけ平馬が羨ましかった。私には好きな物を考えて贈る相手はまだ居ない。いつかは出来るのだろうけれど、いつになるのかわからない。17歳。花の女子高生なのに、枯れてるような気がする。養分が欲しいかも。恋愛って言う養分が。


「良いなー。私も恋人欲しいー」


頬杖を付いてそう言えば、眠そうな平馬の目が驚いたように見開いた。珍しい物を見たかも、なんて思っていれば、向こうもどうやら同じだったようで、「お前、ちゃんとそういうのに興味あったんだ」と意外そうな声音で言った。


「失礼な。この人に恋してるなーって思える人が居ないだけで、恋愛自体にはちゃんと興味ありますよーだ」
「そうだろうけど、お前からそういう話、聞いた事なかったから、ビックリした」
「へーまだって今までそういう話、言った事ないじゃん」
「まぁな。・・・まぁ、俺も恋人って訳じゃないけれど」


「俺の完全な片想いだし」と平馬があまりにサラッと言うものだから、驚いてコップを落としかけた。慌ててテーブルの上に置き、平馬をまじまじと見る。


「えっと、もしかしてクリスマスに勝負掛けるとか?」
「勝負になるかわかんないけど、クリスマスに一緒に過ごしたいからプレゼント用意して誘ってみるつもり」
「普通、誘ってOK貰ってから用意するものじゃない?」
「それもそうか」


小首を傾げて納得するものの、途端にに平馬の表情が曇った。視線を宙に漂わせ、思案気に眉を寄せて少しの間黙り込む。クリスマスに勝負なら、クリスマスグッツでも良かったかもしれない。スノーマンの人形とか、小さいツリーとか。再び頭の中にプレゼントを思い浮かべていると、呼ぶ声が聞えたので意識を平馬に向け直した。


「なぁ」
「何?」
「どうやったら好きだって意識させれると思う?」
「うーん・・・」


かなり難しい質問だった。何せ私には一切そういった経験が無いので、言えるのは見聞きした事だけ。その中でも上手く行ったケースと言えば半分くらいのもので、その大半が告白なのだから、やはりここは―――。


「好きって気持ちを伝えれば良いんじゃないの?」




私の言葉に眉間に皺を寄せ、再び黙り込んだ平馬は、しばらくすると「やっぱりそれしかないよな」と呟き、猫背だった姿勢を正して表情を引き締めた。覚悟を決めたその表情の鋭さに気圧され、平馬に名前を呼ばれて思わず声が上擦った。



「は、はいっ」
「あ、やっぱり自覚はあったんだ?」
「じ、自覚?」


繰り返し言葉にすれば、途端に「期待して損した」と平馬は苦虫を潰した表情に変わった。しかし、すぐに気を取り戻したのか、表情を改めて直して私の横に座り直すと、間を置かずに言い放った。


。俺、お前の事、好き」
「へっ?!」


至近距離で発せられた告白の言葉は、私の心に急速に広がり、困惑とは違う、もう1つ別の感情がゆっくりと浮上して来た。


「え・・・あの・・・その・・・」


しどろもどろな言葉しか出て来ない。急に平馬が幼馴染じゃなくて、1人の男の人に見えてしまって、混乱する頭を抱えて座ったまま、訳もわからずに後ろに下がった。背中に強い衝撃と痛みを感じ、机に背中をぶつけてしまったのだと理解した時、「危ない!」と言う平馬の言葉が耳を掠めたが、その理由を知る前に視界が遮られた。


何かが落ちる音が数回聞えた。








「大丈夫?」
「う、うん・・・」


覆い被さっていた平馬が私の上から少しだけ身を起こした。明るくなった視界。辺りを見渡せば、本が数冊床に落ちていた。机の上の棚に置いていた本だ。どうやら私が机にぶつかった時に落ちたらしい。


「へーまこそ、大丈夫?本、頭に当たらなかった?」
「大丈夫。背中に当たっただけで、大して痛くなかったから」
「良かった・・・」


平馬の言葉に安堵の息を吐く。バクバクと激しく脈打つ鼓動はゆっくりと落ち着く筈だったのに、一向に落ち着いてくれない。久しぶりに会って大人びた男の人になったと思っていたけれど、こんなに近くで見るとそれはより一層強く感じてしまう。


「へーま」
「何?」
「いや、何じゃなくて。いつまでくっついてるの?」


一度、上体を起こした平馬だったが、何か思いついた顔に変わった後、ぴったりとくっついて私から離れなかった。過去最大級の接近に心臓は一向に落ち着かず、むしろ激しさを増すばかりだ。


「へーま、恥ずかしいから離れてよ!」
「やだ」
「可愛く言っても駄目!」
「えー」


最初、何の話をしていたか忘れてしまいそうだった。ああ、そうだ、平馬がプレゼントを贈る話をしていたんだ。クリスマスに誘うとか、平馬の片想いとか聞いていたのに、何でこういう展開になったのだろう。


「平馬、もしかして、プレゼントあげたい相手って私の事?」


そう告げれば、こっくりと深く深く平馬は頷いた。








その後、平馬から半分愚痴のような説教を受けた。何年片想いしてると思ってるのだとか、いい加減気付けとか、普段頭良いくせにこういう所は鈍いとか、鈍いとか鈍いとか。それに対して謎な性格ってどういう事よ、と私も反論し、良い雰囲気などどこか遠くに吹き飛んでしまった。言い争いは徐々に低次元化して行き、最終的にはお互いの恥ずかしい思い出をぶちまけ、あーもう何やってるんだろうなぁと思う頃には、向こうも私と同じような顔をしていて、「こんな女のどこが良いのよ?」と溜息と共に吐き出せば、「ん。全部」と何とも器の大きな言葉が返って来た。








「仕方ないだろ。離れていても好きだって思ってて、近くに来たらもっと好きだって思ったんだから。」


そう紡いだぶっきらぼうな言葉にやられて、「俺の事、好き?」と言う平馬の質問に考える前に頷いてしまい、我に返った時に「撤回はナシ、な」とまた意地悪そうに笑った顔が格好良いと思った私は,もう恋に落ち掛けているのかもしれない。






「良いよ。本当に好きになって貰うまで、何度でも好きって言うから」