!俺!俺だよ!」
「兄さんはいつからオレオレ詐欺を始めたの?」




久しぶりに兄から電話が入った。開口一番、興奮気味に話す声。思わず携帯から耳を離して着信相手を確認し直すが、そこには間違いなく兄の名前が表示されていた。


「始めてないぞー」


私の言葉を笑い飛ばす兄は相変わらず陽気な人だった。しかも、何か良い事でもあったのか、いつも以上にテンションが高い。そのくせ、自分から電話を掛けて来た癖に、世間話ばかりで一向に話を切り出さない。こういう所は昔から変わっていないと妙な安心感を覚える一方で、いつまで経ってもこれでは話が進まない事に気付いて私から話を切り出した。


「それで何か良い事あったの?」


待ってましたとばかりに兄は私の言葉に食いついた。変な所で勿体振る所も相変わらず健在だ。聞いてくれよと切り出された兄の話は、終始ハイテンションのまま続いた。


「・・・で、やっとあいつと付き合う事が出来たんだよ!」
「へー」
「感動が薄いぞ、!」
「いや、これでも今猛烈に感動してるよ」


兄さんに。と、そこだけは敢えて言葉にしなかった。






親しい仲にも礼儀ありという言葉があるように、人間、どんなに親しかろうと踏み込んではいけない領域がある。そんな訳で幼い頃ならともかく、中学生にもなれば2つ年上の兄の想い人など普通は知る筈も無い。まして兄の片想いならなおさらだが・・・。


「15年頑張った甲斐があったよ」


しみじみと幸せを噛み締めるように兄は言った。




この兄の凄い所は、初恋の女の子を15年間思い続けたという事だ。俺、将来、あいつと結婚する。小学校の頃、そう家族の前で宣言してから早15年。高校時代、別の女の子とお付き合いしたから、てっきり諦めたかと思ったけれど、どうやらただ燻っていただけらしい。


(そう言えば3ヶ月持たなかったね・・・)


兄の最初の恋人を思い出す。下校途中に兄の横を歩く姿を1度だけ見たが、纏う雰囲気は兄の言う『あいつ』とは違うけれど、顔の造りは良く似た人だった。


「おめでとう」


短いけれど、最大限の祝福の言葉のつもりだった。


「ありがとな」


少し照れくさそうな声が受話器越しに聞こえる。


「今度、紹介するからな」
「いや、知ってるし」


あいつこと、兄の同い年の彼女は、実家の斜め向かいに住んでいた、所謂幼馴染さんだった。同性という事と年が近いあって、昔は私とも良く遊んでくれたお姉さん的存在だった。


「義姉として紹介するからさ」
「気が早いんじゃない?」


付き合い始めたばかりでもう結婚の話とは。なんて気の早い。だけどあの兄の事だ。絶対、逃がしはしないだろう。今後、兄に振り回される彼女の事を考えると、正直、掛ける言葉が思い浮かばない。強いて言うならば、『頑張って』が1番しっくり来る。今度、会ったら一言言っておこう。兄の惚気話から解放されるまでの間、そんな事を頭の奥でぼんやりと考えていた。










そんな兄の浮かれた電話があった翌日。幸せボケが伝染したせいか、厄介な事が残っていた事をすっかり忘れていた。


「ねぇー、いいじゃーん、ちゃん、付き合おうよー」


かったるそうに呟く声にうんざりしながらも、それを表に出さなかった私を褒めて欲しい。大体、私は語尾をゆるく伸ばして喋る男は嫌いなんだ。後、小汚い長髪も嫌いだ。いつ染めたかわからない髪の色も、まだらに生えた髭も嫌いだ。いや、前は平気だった記憶がある。おそらく目の前のこの男のお陰で嫌いになったのだろう。視界にあまり入れたくないのだが、ずっと無視する訳にもいかない。勝手に内気な女だと勘違いしてくれたお陰で、顔を伏せていても向こうは怒りもしない。むしろ照れているんだ、可愛いと勘違いな妄想を頭の中で展開してくれちゃったりする。


「困ります」


そう言って伸びて来た手を避ける。いい加減、この男の相手をするのもうんざりなのだが、聞く耳を持たない相手にどうやったら諦めて貰えるのだろうか。誰とも付き合う気が無いと言っても駄目だったし、好みのタイプじゃないと言っても駄目だった。こうなるともう付き合っている人がいるからと言って諦めて貰うのが1番なのかもしれない。


「私、お付き合いしている人がいるから無理です」
「・・・・・・誰?」
「誰だって良いじゃないですか」


断った私に対して、少しの間を置いて男が尋ね返す。その声にほんの僅かにだが剣呑さが混じっていた。思えば今まで何度断っても男はにやけた顔で軽口を叩いていたような気がする。


「良くないよ。流石に俺も嘘で断られたくねぇもん」


語尾こそ可愛気のあるものだったが、目がまったく笑っていなかった。前に今は誰とも付き合う気が無いと言ったから、流石に嘘と気付くか。このまま嘘がばれたら、目の前の男はどんな態度に出るのやら。少しだけ怖いもの見たさな好奇心が疼く。もっともそんな代償の大きい事を実際にやろうとは思わないけれど。


「嘘じゃないです。・・・ちょっと隠してはいたけれど」
「何で隠すの?」
「・・・恥ずかしいから」


実の無い会話だと嘆息しつつも、男に諦めて貰うように会話を進めるが――。


「会わせてよ」
「嫌」
「会わせて」
「嫌です」


予想通りと言うか、やっぱりと言うか、想像通りの展開になった。絶対会わせろとしつこく男が言うのが目に見えていたからこそ、今の今までこの断り方だけはしたくなかったのだ。他にもう方法が思い付かないこの状況が酷く腹立たしい。


「嘘じゃないなら会わせて。会わせないなら、俺、諦めないから」


上から私を見下ろす形で男はそう宣言した。この男は私が彼氏を会わせない限り、諦めはしないだろう。内心で大きく溜息を吐く。しかし、逆を言えば私が彼氏に会わせさえすれば、この男にしつこく付き纏われる事も無くなるのだ。そう考えれば決して悪い話ではない・・・筈。


「・・・わかりました。聞いて見るので少し待って下さい」


飽くまで不本意さを装って携帯を取る。手早くメール作成。送信先は兄だ。元々シスコ・・・私に対して過保護な所がある人だから喜んで協力してくれるだろう。変装して『サッカー日本代表』の『山口圭介』だとばれないようにして貰うけれど、もしもの為にばれた時の対応も考えておこう。同じ苗字だと言われても、兄と私で示し合わせて従兄だと言い張れば良いのだ。


同じ大学の男にしつこく付き纏われている事。断る為に彼氏が居ると嘘を吐いたら、会わせろと言われている事。会わせなかったらこのまま付き纏われる事。彼氏役として会って欲しい事を綴って兄に送信。時間から見て今は昼休みの時間だろう。運が良ければすぐに返信が返って来るかもしれない。


――なんて考えていたら、着信音が軽やかに鳴った。嫌そうに男は眉を顰める。その顔に口元が緩むのを感じながら、届いたばかりのメールを開いた。



OK
今週の金曜の午後で良い?



簡潔な了承の内容に、また顔が緩みそうになった。きっと私の表情を見て目の前の男は更に険しい顔になっているだろう。澄ました顔で男と向き合えば、予想通りの表情に内心ほくそ笑む。


「今週の金曜の午後なら良いですけど、どうします?」


最後の一手とばかりに告げれば、不機嫌さを露にしながらも極力抑えた声音で男はそれで良いと同意すると、足早と私の目の前から立ち去った。






「すっきりした」


清々した。今まであの男の軽口に悩まされて来たのだ。ようやく追い払う事が出来て、今まで憂鬱だった気持ちが恐ろしい程軽い。まだ金曜日にご対面が残っているが、それさえ過ぎればまた心穏やかに毎日が過せるのだ。何て素晴らしいのだろう。


「そう言えば・・・」


やけに兄のメールの内容が簡潔だった事が気に掛かった。普段は殆どその兆候を見せないが、私の周辺に男の気配を感じるとやけに過保護になるのに。メールにはまったく心配する言葉が無く、改めて考えると酷く物分りが良いとしか思えない。嫌な予感がして携帯を弄る。メールの本文は何度見ても変わらない。スクロールの先に意図して隠された文字が並んでいる訳でも無く、簡潔に彼氏役を引き受ける事と日時だけが記されていた。おかしいと首を傾げて視線を上に向ける。その直後、思わず顔を片手で覆ってしまった。――あまりの恥ずかしさのせいで。


「よりによって!」


うっかり叫んでしまい、慌てて口元を押さえた。何度見ても送信先には『山口圭介』の文字は無く、代わりに『横山平馬』と表示されていた。こんな事になるなら兄は『兄』と登録しておくべきだった。それならば1桁違いで誤送信しなくても済んだのに。バカバカと自分の迂闊さを呪いながら、急いで誤解を解かなければいけない状態に溜息が勝手に口から漏れた。








「・・・出ないか」


携帯を耳から放して呼び出しを止めると、私はそのままベットの上に倒れ込んだ。誤解を解くにも謝るにも、メールでは失礼だと思って直接電話で話すつもりだった。けれど話の内容が内容だったので、アパートに帰ってから電話を掛けてみたものの、結果は空振り。早く誤解を解いて楽になりたい身としては、早く電話に出て欲しいけれど、こればかりは相手次第な訳で。見慣れた布団の掛布団カバーの柄を眺めながら、ぼんやりとしていれば、いつの間にか転寝していたらしく、鳴り出した携帯の音でふと目を覚ました。


「あ、はい」


ぼんやりとした意識を起こしながら電話を取る。機械越しに聞こえたのは低めの声。


「あれ?寝てた?」


クスクスと低く忍び笑う声が心地良い。何かとテンション高めで話す兄は嫌いでは無いのだが、耳障りが良いかと言われたら黙るしかない。どちらかと言えばテンションが低いこの人が、あの兄と親友というのも面白い話だと今でも思う。


「大丈夫です。すいません、突然、電話してしまって」
なら構わないよ」


名前を呼んで貰えて、じんわりと心の中が嬉しさで満ちる。思えば彼と話すのは何時何時振りだろうか。


「そう言って貰えると助かります。・・・横山さん、すいません」
「そんな他人行儀にならなくて良いよ」
「・・・すいません」
「謝らなくて良いから。それから横山さんって言うのも無しな。昔からの知り合いにそう呼ばれると、何か背中がムズムズする」


くすぐったそうな横山さん――平馬くんの声に、思わず笑い声が微かに漏れる。それが聞こえたのか、平馬くんも嬉しそうに笑う声が聞こえた。


は礼儀正しく成長したようだな。・・・・・・正直、圭介そっくりになってたらどうしようかと思った」
「そんな事を言うと兄さんがまた泣きますよ」


別に泣いても平気だと言う平馬くんに、兄は相変わらず良い具合にからかわれているのだろう。




考えてみれば最後に話したのは平馬くんが高校生の頃ではないだろうか。兄と言う繋がりが切れたので、そう滅多な事では会う事も話す事も無い人だ。私も今回の誤送信が無ければわざわざ電話しなかっただろう。電話したところで何を話して良いのかわからないし、用が無いのに電話するには躊躇われる相手だ。だからこそこうして昔のように話してくれる彼の気持ちがとても嬉しい。


「・・・それでメールの件なのですけど・・・」


懐かしさのあまり、本来の用件を忘れていた。昔話に話を咲かせている場合ではなかった。慌てて本題を切り出すと、平馬くんは予想に反してあれこれと聞いてくれた。


・・・あれ?平馬くんってこんなに聞き上手だった?




「ふーん。・・・つまりは今好きでも無い奴に言い寄られている訳か。それで彼氏が必要なんだな」
「ええ、1人で撃退出来たら良かったのですが、敵もなかなか諦めが悪くて・・・」


お恥ずかしい話ですと苦笑して見せれば、電話越しに呆れとも付かない溜息が1つ聞こえた。


「そんな呆れないで下さい。恥ずかしながら、この手の事は苦手なんですよ」
「ん?・・・ああ、呆れているのはそっちじゃなくて・・・・・・下手に怒らして酷い目に遭う前で良かったと思ったんだ」
「酷い目?・・・まぁ、確かにまだ殴られたりはしてないですね」
「・・・それもあるが、無理矢理襲われたりとかしてないだろ?」
「・・・怖い事言わないで下さいよ・・・」


あんな男にそんな目に遭わされた日には!想像しようと頭を動かす気にすらならない。思わず両腕に出た鳥肌を撫でると、再び溜息が1つ聞こえた。


「・・・お前、やっぱり圭介の妹だ。妙にお人好しと言うか、無防備って言うか・・・。お前は圭介と違って頭良いからそこまで考えていると思ったのに・・・」


電話の向こう側の彼は何だか酷く失望したような、そんな声音だった。そんな風に言わないで欲しいと思う一方で、そんな風に言わせてしまった自分にも呆れそうになる。気が付けばすいませんと一言口にしていた。


「・・・いや、そういう事が無くて良かった」


溜息では無く、安堵から来る吐息。心配してくれたという事実と、その吐く息の音に何だかくすぐったさを覚える。


「それで時間は金曜日の午後で良いのか?」
「あ、その事なんですけれど、・・・平馬くんにそこまで迷惑掛けれません。兄さんに頼んでみようと思います」
「それは止めとけ」


今までの穏やかさが嘘のように、強い口調で平馬くんに止められた。常がどちらかと言うと静かな人なので、決して大声で言われた訳では無いのに何故か心にズシリと響いた。


「どこで圭介とお前の繋がりがばれるかわからない」
「・・・兄さんには変装させますし、そこは従兄と言うつもりなので」
「もし、お前に言い寄っている男が圭介に気付いて、雑誌にその事を売ったらどうする?」
「えっ?」


まったく予想しなかった内容に言葉を失った。動揺する私を他所に平馬くんは言葉を続ける。


「雑誌記者がその事を調べたとしよう。あいつらもそれが飯の種だからその辺はあっと言う間に調べるだろう。実は兄妹でしたなんて事が明らかになったら、男はその事実をお前に突き付けて関係を迫ると思うぞ。ばらされたくなければ、付き合え・・・なんて言いそうな奴なんだろう?」
「良い評判はあまり聞かないので、充分有り得る話です・・・」


話の内容のおぞましさに思わず悲鳴に似た呻き声が漏れた。否定出来なかった。むしろ男がもしその事実を得たなら確実にその話を使って来るだろう。それくらいの狡猾さは持ち合わせている男だった。その危険性を拭えない時点で兄を彼氏役に立てる事は不可能。血縁上、まったく関係の無い平馬くんに頼んだ方が余程安全ではあったけれど・・・。


「でも、平馬くんも危なくないですか?プロ選手なんだからそう言った女性問題は・・・その・・・」


あの男が平馬くんに気付いて、仮にそういう狡猾さを持っていれば雑誌に売り込みに行くだろう。以前あった水野竜也という選手の隠し子騒動のように(最も彼の場合は年の離れた弟だったけれど)雑誌に熱愛発覚と書かれるのではないのだろうか。不安をそのまま言葉にすれば、電話口で微かに笑う平馬くんの声が聞こえた。


「心配要らないよ。今、誰とも付き合ってないし。そもそもずっとフリーだからね、俺」
「でも・・・」


だからと言って決心の付く筈のない私に、平馬くんは大きく溜息を吐いた。ああ、また失望させてしまったのだろうか。


「まったく気にしなくて良いよ。こんな美味しい役、他に譲る気もないから」


クスリと忍び笑いを1つ漏らして、さらりと平馬くんはとんでもない事を言った。







恋は嵐のように





「え?・・・・はいー?!」


そのとんでもない発言に気付いて奇声を上げた私と、今までにないくらい楽しそうに電話口の向こうで笑う平馬くん。本来立てる筈だった彼氏役としてでは無く、『本当』の彼氏として平馬くんが金曜日の午後にあの男とご対面する事になるなんて、当日、隣に立つ彼を何度見ても夢ではないのかと思うのだった。




「まぁ、俺に間違ってメール送っちゃった時点で諦めなよ」


珍しく茶目っ気たっぷりでそんな風に言われた私に勿論反論の余地などない。


「今度、圭介に挨拶に行こうかな」


ぼそりと言ったこの台詞は敢えて聞かなかった事にした。きっとシス・・・いえ、過保護な兄は平馬くんの想像通りの反応をする事が見えていたので。







恋は嵐のように
おるふぇ 濃縮のど飴
昨年のO-19FES投稿作品、季節を抱える腕(山口圭介)の続編