一言で彼を表すならば、アイドルだった。
そして、今、私はそのアイドルと向き合っていた。
事の始まりは、今朝の教室。本当はもっと前だったけれど、それを私が知るのは大分先の事なので、今朝としておく。
教室に入り、机の中に教科書を詰め込むと、奥で何か紙のような物が潰れる音がした。プリントの類は毎日持って帰っているし、提出用はクリアファイルに入れて居る。誰かが間違って入れたのか。提出用だったら不味いと教科書を全部出すと、綺麗な桜のイラスト付きの封筒が半分潰された形で出て来た。綺麗な分、申し訳なさも一杯で、朝から誰とも知らぬ差出人に心の中で謝りながら、封を切った。中から出て来たのは、1枚の便箋。こちらも桜のイラスト付きで、そして皺だらけだった。
(ああ、誰か知らないけど、ごめんなさい)
朝から精神的ダメージを受けながらも、便箋の皺を伸ばす。
『今日の放課後、屋上に来て貰えませんか? 筧一弥』
驚きのあまり、便箋を持つ手に力が篭り過ぎてビリッと破いてしまい、意味も無く周囲を確認すると、急いでそれを鞄の中にしまった。
屋上に続くドアは開けると鈍い音がする。錆びた鉄製のドアはまるで私を待っていたかのように、押す度にギギギギギィと低く鳴った。フェンスの傍で外を見ていた男子生徒が、その音に気付いて振り返った。髪をかきあげてニコリと笑う彼は、自分の魅力を良く知っているのではないのかと思った。こうして1対1で向き合うのは初めてだったが、長い前髪で隠れがちな大きな瞳が印象的な顔立ちはクラスの女子が騒ぐとおり、下手なアイドルよりもかっこいいのでは無いのかと思われた。
「こんにちわ」
「こんにちわ」
「さんだよね。初めまして。俺、3年の筧一弥って言います」
「知ってます。いつも設楽と鳴海と一緒に居ますよね」
「うん。同じサッカー部だからね。さんは2人と親しいの?」
「設楽とは1年の時に同じクラスだったので。鳴海とはずっと一緒ですけど」
「そっか。今日は突然呼び出してごめんね」
「いえ。ビックリはしましたけれど」
「それでなんだけどさ。俺、君の事」
『好きなんだけど、付き合わない?』
その筧先輩の言葉を私は予想しながらも、その衝撃を完全に回避する事が出来なかった。
眉目秀麗。成績優秀。スポーツ万能。性格二重丸。女子の間での評判だよ、と私と良く話すクラスメイトに話せば、皆騙されてるんだよ、と、彼、鳴海貴志はそう言い返した。ふーんと気の無い返事をすると、鳴海は急に面白い玩具を見つけたような表情に変わり、ニヤニヤと笑い出す。
「何、お前、あいつに惚れた訳?」
「何でそうなるの?」
「今までの会話を聞く限り、お前、あいつに惚れてるからそういう事言い出したんじゃねぇの?」
鳴海の指摘に対して、私は鳴海との会話を遡って考えてみる。
「あー、確かにそう思われても仕方が無い話をしてるね」
「で、実際どうなんだよ?」
鳴海が椅子ごと近付いて来る。ガタンと力任せに椅子が引き摺られ、その音が悲鳴のように聞こえたのは鳴海の体格のせいだろう。デカイ体格で急に近付かれると、結構迫力あるなぁなんて考えていた私は、再び考えてみるが、その答えが出る前にガラリと教室のドアが開いた。
「鳴海、部活は?」
「この話が終わったら行く」
「何、告白?」
隣のクラスの設楽は心底意外だと言わんばかりに、その猫のような目を大きくさせた。
「と恋愛トーク中」
「いつからそうなったのよ」
最初は音楽の話をしていたのに、鳴海が、そういえば3組の古川さんが剣道部の奴と手を繋いでタワレコに来ていたと言い出し、そこから学校の恋愛事情の話に変わり、話はお互いの話にまでなっただけなのに。
「鳴海はどうなのよ?」
「そういうお前はどうなんだよ?」
「何も無いよ。ああ、そういえば鳴海と同じサッカー部のキャプテン、偉い騒がれてるみたいだね」
「きゃーきゃー言われてるな。うぜぇ」
「どっちが?」
「言われてるあいつが」
「鳴海、私以外の女の子には優しいものね」
「何、ちゃん、俺に優しくされたいのか?」
「キモイんで、止めて」
「はっきり言うよな、お前」
先程までの会話を設楽に伝えると、設楽は興味深そうに目を一度細めると、こちらにやって来て私の横の席の椅子を引き寄せると、それに腰掛けた。
「じゃあ、俺も参加しようかな」
「部活出なくて良いの?明星FWコンビ」
「こっちの方が楽しそうだし」
「滅多に聞けないからな」
「筧先輩に怒られても知らないよ」
「大丈夫」
「平気だし」
秘策があるのか、鳴海も設楽も強気だった。結局、促されるまま、私と鳴海と設楽しか居ない教室で恋愛トークが始まった訳なのだが、その殆どが鳴海と設楽による質問ばかりで、逆に2人はどうなのよと聞き返しても曖昧に笑うだけ。そんな態度に馬鹿正直に答える気も失せて、好きな人は居ない、恋愛にはまだ興味は無いの一点張りで通したのだった。
それが数日前の出来事である。ニコニコ笑う筧先輩に、失礼します、と告げた私は、背後にあった鉄製のドアに足音を消して近付き、そして思いっきり引っ張った。ギィィィと抗議するようにドアが開くが、そこには誰の姿もなかった。
「おかしいなぁ・・・」
屋上の人が隠れる事が出来そうな場所を全てチェックするものの、鳴海も設楽も誰も居なかった。
「おかしいなぁ・・・」
最後、配水塔の上をチェックした私は呟くと、下から
「何がおかしいの?」
と筧先輩は楽しそうに尋ねた。
「先輩、設楽と鳴海はどこですか?」
「今頃、部室だと思うけど」
「おかしいなぁ。絶対、ドッキリ大成功って看板持ってスタンバイしてると思ったのに」
今、私の目の前に居るのは、あの学校のアイドル、筧一弥先輩である。顔良し。頭良し。運動良し。性格良し。強いて弱点があるならば、その身長の低さだろうと言われている先輩が私に告白である。顔、ふつー。頭、上の中。運動、見るのは好き。性格、鳴海曰く物事をハッキリ言う女。どう考えても好かれる要因が見つからない。そもそも会話らしい会話などした事が無い。存在どころか名前を知っていた事にすら驚いたくらいである。そんな先輩が私に告白した。この有り得ない状況を『鳴海貴志プレゼンツ サッカー部一同によるドッキリ告白大作戦』と思っても仕方ないと思って欲しい。そう私が言うと、筧先輩は盛大に笑い出した。
「なるほどね」
「すいません。疑ったりして」
今までの経緯を話すと、筧先輩はニヤリと笑った。ニコリとしか笑った所しか見た事が無いので、その表情に少し背筋がざわりとする。
「それで、話は戻るんだけど、俺、に関しては本気なんだけど?」
さんからと呼ばれた事に、嬉しさよりも恐怖が勝ったのは筧先輩からゆっくりと溢れ出す怒りのオーラのせいか。
(ああ、なんか見えるよ。真っ黒な何かが見えるよ)
世の中知らなくて良い事、見なくて良い事は沢山ある。その中の1つと私は向き合いながら、私は謝るか、逃げるか、泣くか、その三択に迫られていた。数日前にそんな事があったのだから、私が取った行動も大目に見て貰いたい。そう目の前に立つ筧先輩にお願いするものの、可愛いと評判の笑顔で駄目と一蹴された。謝ってこの問題の解決は無理のようだった。次に逃げるだったが、これは論外。強豪サッカー部を束ねる長と文学部では勝負にならない。そうなると泣くだが、性格上、泣ける性格ではない。
「三択、全て全滅か」
「・・・謝る以外に何があったの?」
「逃げる、と、泣くです」
「逃げたら捕まえた後、ちゅーするよ」
「逃げません」
「泣いたら抱き締めて頭撫でた後、ちゅーしてあげる」
「泣けません」
「・・・俺さ」
告白して即座に失礼しますなんて言われて、ドア開けられた時、かなりショックだったんだけど。そう告げる筧先輩は少しだけ悲しそうな表情をした。
「先輩・・・」
「と、言う訳で傷心の俺にちゅーして」
「・・・先輩、キスしたいだけじゃないんですか?」
「あったりまえじゃん」
好きな子と一緒に居るんだから。そう言って少しだけ照れた筧先輩のその表情は、アイドルが万人に向ける表情ではなく、その顔をその表情をもっと見てみたいと思った私は、
「先輩」
「何?」
「私、キスは3回目のデートの帰り道って決めているんですけど」
と、回りくどい言い方ではあるけれど、筧先輩の告白に応じて見る事にしたのだった。
「1回目はどこに行こうか?」
そう筧先輩は優しく笑った。
さあ、君が望む所に行こう