イリオン=クリークはドイツ人である。現在、15歳。専門分野の教育が他国より発達しているドイツでは、15歳で義務教育を終えると高等学校に通うか専門学校に通うか選択肢が出て来る。大好きな兄や将と出来るだけ同じ道を歩み、同じ物・同じ夢を見て、時に助けになりたい。そう考えたイリオンは、スポーツ医学の専科に進む事を決め、学校が始まったらなかなか会いに行く事を出来ない将の居る日本に、中学校を卒業してからしばらくの間、滞在する事にした。


そんなある日の事。



私の好きな人



「あ、イリオン?将です。明日、時間空いてるかな?空いてたら、紹介したい人が居るからスタジアムまで来て欲しいんだけど」


現在はジュビロの選手として活躍中の将。忙しく、昔に比べると頻繁に会えない分、一緒に居られる時間が何よりの楽しみだった。そんな大好きな将に『紹介したい人が居る』と電話で言われ、即答で「行く」と答えたイリオン。電話を切るといそいそとクローゼットを開け、明日着る洋服選びに勤しんだ。将が好きな服装。将が好きな色。鏡の前で忙しなく服を体に当てて考える。ようやくコレと言う服が決まったら、次はアクセサリー決め。いつもより早い時間に眠り、早く明日にならないかとイリオンは待ち遠しかった。


そして、翌日。指定された時間にスタジアムの傍まで来たイリオンは、言われた通りに将の携帯に電話を掛けた。「今行くから」と言って切れた携帯。しばらく辺りを見渡しているとユニフォーム姿の将がやって来て、その姿にイリオンは胸のときめきを感じた。早まる鼓動を抑えて、歩く事数分。選手や監督と言った関係者しか通れないやや薄暗い通路を歩き、出口付近まで辿り着くと、出口佇むシルエットに将は手を振った。


「連れて来ましたよー!」


少し大き目の声で将が言う。振り返りこちらに向かって歩いて来たシルエットは、徐々にはっきりと見えて来る。格好はメーカー物の黒いジャージ。すらりとした身長。揺れる黒髪。銀色の眼鏡を掛けていて、非常に理知的な雰囲気があり、イリオンから見ても綺麗で『大人の女性』だった。




呼び出した場所が場所だった為、てっきり選手の人だと思っていたのだが、将に呼ばれて現れたのは女性。美人で、イリオンに無い大人の女性の雰囲気を持つ人。将と並んでも様になっていて、イリオンはあまりの出来事にショックで頭が真っ白になっていた。




「イリオン、この人はさん」


将がそう紹介する。将がドイツに来てからU-19の召集の時まで、ずっと一緒にいたイリオンである。小島さん佐藤さん鈴木さん山田さんと、日本女性は皆苗字で呼んでいた将。そんな彼が親しげにさんと呼ぶ姿に、思わず涙が毀れそうになったのだが・・・。そんなイリオンの涙を引っ込めたのは、将でも無くと呼ばれた女性でもなく、突如現れた1人の男性。


さーん!!」
「え?高山くん?!」


大型犬を彷彿とさせる雰囲気を持つ大柄な男性。身長は兄である燎一と同じくらいと、かなり高い。そんな男がこちらにダッシュで駆け寄ると、将の横に立っていたに思いっきり抱き付いた。


「久しぶりたい!」
「え?あ?久しぶり?」


突然の出来事に状況が把握しきれて居ないのだろう。混乱状態の。横に居る将が「駄目だよ!」と諌めるも、高山と呼ばれた男性は聞こうとしない。イリオンもハラハラしながらこの状況を見ていると、猛スピードで何かが近付いて来る音が聞こえた。




バキリ。


嫌な音がイリオンの耳にも入る。


「こら!昭栄!何してるたい!」


帽子を被った男がジャンプし、思いっきり拳を高山昭栄なる男性に向かって振り下げた。反射的に顔を背けるイリオン。しばらくして恐る恐る見れば、高山は余りの痛みに頭を抱えて唸っていた。ふん、と鼻を鳴らすと「すまんかったな」と帽子の男性は帽子を脱ぎ、とイリオンに向かって謝罪した。


「この阿呆が迷惑かけたな」
「功刀くん、お陰で助かりました。・・・今日はグランパスとの試合なんですね」
「おう!お前の旦那にも負けんばい。しっかり俺の活躍を見とけよ」
「はい。楽しみにしてますよ」


功刀と呼ばれた男が不敵にがにこやかに笑うが、イリオンの頭の中では先程の功刀の『お前の旦那』と言う単語が反芻されていた。旦那。夫。Husband。Ehemann。徐々に状況を理解して行くイリオンの横を背の高い男が(と言ってもイリオンにとって将より背の高い男は皆高いと分類されるが)通り過ぎ、目の前の女性、に抱き付いた。


!大丈夫か?何もされてないよな?」
「功刀くんが何とかしてくれたから大丈夫」
「何とかしたって何を?」
「そこの阿呆がお前の嫁に抱き付きおったんたい」


功刀がそこの阿呆とようやく復活した高山を指差す。やって来た男は大きな溜息を吐くと、ガゴンと、ようやく痛みが引いて立ち上がろうとした高山に拳骨を1つ見舞った。その音に痛みの程度を想像してしまったイリオンは思わず目を瞑る。そんなイリオンに気付いたのだろうが小さく「ごめんね、騒がしくて」と苦笑いを浮かべて謝った。


「いえ。ちょっと驚いたけれど」


展開について行けず、イリオンはそう答えるのが精一杯だった。







「イリオン。改めて紹介するよ。こちらさん。そこにいる山口くんの奥さんだよ」
「初めまして、山口です」
「君が天城の妹さん?俺、山口圭介。カザとは同じチームなんだ。よろしく」
「あ、イリオン=クリークです。よろしく願いします」


将に紹介された女性が既に既婚者で、その事にほっとしながらイリオンは2人に挨拶をする。


さんはナショナルチームでスポーツドクターをやってるんだ」
「と、言ってもまだ見習いだけどね」
「イリオンの将来の夢もそっち方面だろう?良いアドバイス貰えたらって思って、帰国前に会わせようと思ったんだ」


自分の事を考えてくれた将にイリオンは嬉しさを隠し切れないと言った表情で、


「ありがとう!」


と言った。それを見たと圭介がアイコンタクトで何かを伝え合い、


「試合が終わったらどこかゆっくりした場所で話さないか?折角、彼女にも来て貰えたんだし。あ、今日、試合後に用事とかある?」


と、圭介がイリオンに尋ねた。


「あ、遅くなっても大丈夫です。その、将が居ますから」


頬を染め、ちらりと将を見るイリオン。将の方は泣き付く高山を宥めていて、その視線には気が付かなかったが、それをバッチリ見ていたと圭介は再びアイコンタクトを交わし、


「じゃあ、試合終わったら俺の車で4人移動って事で。じゃあ、、イリオンさんの事はよろしくな」


と、圭介が言い、頷いたはイリオンに「こっちで見ましょうか?」と誘った。


「ほら、カザも昭栄もそろそろ準備しないと不味いぞ」
「あ、本当、もうこんな時間だ。ほら、高山君行こう!」
「カズさんも圭介さんも酷いたい!」
「会う度に俺のに抱き付くお前が悪い」


そんな会話を交わしながら、3人はイリオン達を見ると「じゃ、また後で」と言って奥のロッカールームに消えて行った。


「行きましょうか?」


そう誘うの隣をイリオンも歩き始める。すると後ろから肩を叩かれ、振り返るとそこには先程ロッカールームに消えた将の姿。


「ごめん、言い忘れてた。イリオン、絶対勝つから!」


昔も今も変わらない笑顔に、イリオンは再び胸の高鳴りを感じながら「うん!」と強く頷いたのだった。そんな将の姿に感化された圭介が、に抱き付き、に小声で嗜められていたが・・・イリオンと将は気付かずにニコニコ微笑みあっていた、とロッカールームのドアから首を出して様子を窺っていた高山は後に語った。


「俺もさんみたいな素敵な嫁さんが欲しいばい!」


そう語る昭栄の話を聞いた(聞く羽目になった)チームメイトの小田千裕は、


「お前、その台詞何度目だよ」


と言いたいのを堪え、心の中に留めた。言ったら最後、喧しいのが目に見えているからであった。