私のクラスには『山口くん』が2人います。1人目は校内は勿論、校外でも有名人。皆に優しくて、運動神経が抜群に良くて、クラブ所属のサッカーの選手で、成績もそう悪くない。3拍子揃っている上、顔も良くて、そんなかっこいい人を同年代の女の子が放って置く筈が無く、頻繁に告白されている凄い人。名前を山口圭介くんと言います。


そしてもう1人の山口くんは、どちらかと言うと目立たない人。元々目立つタイプではないけれど、山口くんのお陰で余計影が薄い気がします。今風の言葉で言うなら草食系男子。大人しくて本を読むのが好きな人で。本当、人気の高さで言ったら山口くんとは比べ物にならない人だけど、そんな大人しい彼、―――山口和(なごむ)くんの事が私は好きなんです。


この間、クラスの女子が影で『もう1人の山口くんってぱっとしないよね〜』と言っているの聞きました。そんな事無いよって言いたかったけれど、私は臆病で、女子の反感が怖くて。もう1人の山口くんは山口くんと比べても遜色がないくらい、かっこいいのに!そう何回も何回も心の中で熱弁を振るいました。・・・ややこしくて混乱して来ました。私の好きな人をこの場では山口和くん、サッカーをしている山口くんを山口圭介くんと言いますね。え?何で下の名前だけで呼ばないのって?山口くんがクラスに2人居るから、山口圭介くんは皆に圭介くんと呼ばれていますけど、山口和くんは皆に苗字で呼ばれているんです。それが私1人下の名前で呼んだら、絶対周囲に気付かれちゃうじゃないですか!それに心の中の声とは言え、この場で名前で呼ぶなんてそんな恥ずかしいじゃないですか!フルネームが今の私の精一杯です!!何を名前1つでガタガタ言ってるんだと思われるかもしれませんが、私の中で名前と言うのはそれだけ重要な物なんです。だから、山口和くんの事を下の名前で唯一呼ぶ、山口圭介くんがずっと羨ましかったんです。


山口圭介くんは私にとって、言わばライバルのような存在でした。勿論、3拍子も4拍子も揃った山口圭介くんに私が敵う筈もなく、心の中でそう思っていただけに過ぎません。皆が圭介くんと呼ぶ中、私だけが山口くんと呼ぶのが唯一の抵抗でした。大好きな山口和くんの名前を呼ぶ前に、彼の名前を呼びたくなかったのです。別に大した事では無かったのでしょうが、私にとってこの行為は大きな意味がありました。






さて、季節は移り変わり、樹は新緑から深緑、そして紅葉を経て、舞い落ち、雪で枝が真っ白になる頃。私達の生活は受験勉強一色に染まり、忙しくなって行く中、学年でもトップクラスの成績を誇る山口和くんにわからない所を聞きに行く人が出て来ました。切欠は山口圭介くんからで、次第にクラスの男子が聞きに行くようになり、最近では女子もちらほら聞きに行く姿が目立つようになりました。山口和くんが注目されるのは嬉しいです。最初は山口圭介くんに感謝していましたが、彼の周囲に女子がいる姿を良く目にするようになってから、モヤモヤとした気持ちが胸を締める事が増えました。女子が必要以上に彼に近付くのは見ていて気分の良いものではありません。私はそう――とても心の狭い人間なのです。このままでは山口和くんに告白してくる女子も出て来るかもしれません。その思いは日に日に大きくなって行って、女子と話す彼を見る度に苦しくなって。臆病な私はなかなか行動に移せないままでいましたが、ようやく決心が付いて、今日行動に移そうと思ったのです。






それなのにどうしてなんでしょう?
何故なのでしょう?


あれだけ区別して混合させないようにして来ました。それなのにそれなのに、私の書いた手紙は山口和くんの下駄箱ではなく、山口圭介くんの下駄箱に入っていたのです。おそらく緊張のあまり、間違ってしまったのでしょう。下駄箱に入った手紙を見て山口和くんがどんな反応をするのか、こっそり私は窺っていたのです。選びに選び抜いたレターセットの水色の封筒。彼より先に登校して来た山口圭介くんが下駄箱から取り出した時、私がどれだけ驚いた事か!すいません、間違えました、と言えば良いのでしょうか?それとも慌てて入れ間違いました、の方が良いのでしょうか?何と言い訳するか迷っている間に、山口圭介くんは裏の宛名を見た後で鞄の中に手紙を入れてしまいました。適当にポイっと入れるのではなく、大事にしまってくれたのは嬉しかったです。


手紙には今日の放課後、16時30分に裏庭で待つ事を書きました。私に残された時間はそう多くありません。どうしようどうしようと頭を働かせるので精一杯で、授業中の先生の話などまったく頭に入りません。黒板に書いた内容はノートに写して、後で友達か先生に聞こうかと思います。授業そっちのけで考えていますが、良いアイディアが思い付きません。1番良い方法は山口圭介くんに謝る事ですが、如何せん、山口圭介くんは人気者です。うっかり話しかけてクラスの女子に勘違いされるのは非常に危険です。そうなると別の方法を取るしかないのですが、妙案は思いつかず、どうしようかと山口圭介くんの横顔を見ていたら、不意に彼がこちらを見ました。思わずびくりと体が小さく跳ねました。山口圭介くんの目には滑稽に映ったかと思います。しかし、彼は微笑ましいような物を見る目で柔らかく笑いました。普段の笑い方をにっかり、にかっと爽やかに笑う彼には珍しい表情です。何だか山口和くんの笑い方に似ていて、迂闊にも、ときめきそうになりました。いやいや、待て待てと頭を振って雑念を振り捨てます。私が好きなのは山口和くんの方なのですから。






あっと言う間に昼休みの時間になってしまいました。しかし、未だ打開策は見つかりません。わいわいがやがや。賑やかな教室で昼食を取りますが、悩み事のせいで一向に食が進みません。はぁ、と溜息を吐くと一緒に食べていた友人に心配されました。しかし、何と言えば良いでしょう。ラブレターを入れ間違えたなんて、恥以外の何物でもありません。唯一の救いは彼女には彼氏がいて、その彼氏は山口圭介くんの友人で、山口圭介くんに大して一切そう言った感情を持っていないと言う点でしょうか。心配する彼女に胃がもたれたと適当な嘘を吐くと、保健室に行くように言われました。確かに悩み過ぎて若干胃が痛かったので、薬くらい飲んでおいた方が良いかもしれません。胃薬は苦いから苦手なのですが、喉元過ぎればと言う奴です。立ち上がり、行って来ると友人に伝えると、その視界の隅でまた山口圭介くんと目が合いました。反射的に逸らしてしまったのは、きっと恥ずかしさと罪悪感から来ているのでしょう。






廊下に出れば騒がしさはあっても人の姿は疎らでした。おそらくまだ皆食事が終わってない無いのでしょう。ざわめきの中、保健室に向かって歩きますが、階段を降りようとした所でふと足を止めました。この階段を降りれば保健室ですが、上れば図書館があります。今日は山口和くんが図書当番の日です。彼が図書当番の日は、彼は図書準備室で昼食を取ってから当番に入ります。今日もきっと図書準備室に居るでしょう。別に準備室に入って顔を合わせようとは思いませんし、本を借りようとも思いません。ただ、何となくすれ違い様に見れたら幸せなんて思って階段を降りずに上りました。






・・・今日の私はとことんついていません。山口和くんには会えました。ええ、運良くすれ違いましたよ。ただ、人気の無い時間帯だったからでしょう。一緒に昼食を取った後と思われる女子と仲良く手を繋いで歩いていました。私の足音に気が付くと、2人とも慌てて振り返り、繋いでいた手を離しました。恥ずかしかったかのか、内緒にしたかったのかわかりません。ただ、その態度で確信を持ってしまいました。失恋確定です、私。出来れば昨日の段階で知りたかったです。


どんな顔で立ち止まる2人の横を通り抜けたのかわかりません。ただ、一刻も早くこの場所から離れたくて、足早に廊下を通り過ぎました。階段を降り切って、保健室のドアが見えて。ああ、胃薬貰いに来たんだっけとフラフラとドアを開けます。きっと今にも倒れそうな顔をしていたのでしょう。生徒の仮病と日頃戦う保健の先生から見ても、体調が優れない表情に映ったらしく、体温計も問診もなく、そのままベットに横にされました。どこか痛かったり、気持ち悪かったりする?そう尋ねる先生に、胃が痛いです、と私は伝えました。食あたりの可能性を聞く先生に、今日買ったばかりのパンと言う事と、朝から体調が優れなかった事を伝えました。胃薬を飲んでとりあえず1時間寝るように言われました。痛いと言って私が押さえた場所は心臓の上です。これを飲んだら痛みは和らぐのでしょうか?銀色の袋を一瞥した後、私は一気に粉末を飲み干しました。薬よりも胸の中に広がる気持ちの方が苦いです。これが大人になるって事なのでしょうか?今の私にはわかりません。わかりたくなかったです。悲しくて切なくて、自然と視界が歪み始めます。目を閉じれば、頬を伝う水。拭うのも億劫で、そのまま布団に潜り込んでしまいました。






呼び起こされる声で目が覚めました。開けた視界の中に映るのは、ぼんやりとした人らしき物。徐々にはっきりと形を成し、誰なのか確認出来た瞬間、私は慌てて上体を起こしました。

「や、や、や、山口くん?!」
「お?起きたか?」

ベットの脇に立っていたのは山口圭介くんでした。驚いて彼を凝視すると、彼は困ったように笑いました。

「ああ、ごめんな。本当は保健委員の女子が来れば良かったんだけど、今日、休みで男子の俺が様子見に来たんだ」

ああ、そう言えば今日同じクラスの佐藤さんが風邪で休みでした。保健室のベットで休ませて貰うなんて初めてだったので、クラスの誰が保健委員だったなんて覚えていませんでした。しかし、人気者の山口圭介くんがクラス内のお役目とは言え、クラスの一女子に過ぎない私の所に来るなんて。女子に変な因縁を付けられなきゃ良いのですが。いや、それよりも保健室にわざわざ山口圭介くんが来てくれるなら、仮病の1つや2つ使いそうな女子が続出しそうな気がします。

「いえ。こちらこそ、ごめんなさい。わざわざ来て貰って」

ぺこりと頭を下げると、山口圭介くんは柔らかく笑いました。笑い顔が重なり合うくらい、その笑い方がもう1人の山口くんと良く似ていました。じんわりと目頭が熱くなりますが、今は人前、具合が悪い振りをして、手で目頭を覆いました。

「大丈夫か??」

心配そうに山口圭介くんが話し掛けます。いきなり上体を起こしたので眩暈がしたと、大した事は無いと伝えましたが、彼の声に落ち着きは戻りません。人が良いのは知っていましたが、実際に体感すると申し訳なさで一杯になります。落ち着け落ち着けと念じたお陰でしょうか、目頭の熱が冷めたので、覆っていた手を剥がし、もう大丈夫と言いました。

「あ、あのさ・・・
「はい?」
「手紙の事なんだけどさ」
「手紙・・・あ・・・」

何と言うことでしょう。そうです。すっかり、すっかり、すっかり忘れていました。今日、うっかり間違えて山口圭介くんに手紙を渡しちゃったんです。失恋のショックで忘れていました。どうしようかと思い、ちらりと顔を上げると、少しだけ顔を赤くして困ったような顔で笑う山口圭介くんが居ました。その顔を見て、決意しました。

「ごめんなさい。私、間違えてお手紙入れちゃったんです」

山口圭介くんは誠実な人です。その誠実な人に嘘でも告白して困らせたくありません。告白され慣れているかもしれませんが、それでも誠実な彼はきっと心が痛むと思うんです。

「そっか・・・」
「はい。ごめんなさい・・・」

この時点で私の好きな人は山口圭介くんには丸分かりですが、きっと彼は言い触らしたりはしないでしょう。確信はありませんが、彼ならそうするような気がします。

「本当、変に気を使わせちゃってごめんなさい」

山口圭介くんはきっと手紙を見た瞬間、どうしようか真剣に考えてくれたんだと思います。特に私は同じクラスだから、色々と気を使って告白に答えようと思ったに違いありません。そういう意味でこの謝罪の言葉を口にしたのですが、深々と頭を下げた瞬間、がっしりと両肩を掴まれました。顔を上げれば、真剣な表情の顔の山口圭介くん。至近距離に恥ずかしさを感じましたが、目に宿る真剣さに押さえれ、恥ずかしさは一瞬でどこかに飛んで行きました。どうして同じ年なのにこうも違うのでしょう。目が離せない、相手に飲み込まれるなんて初めての経験です。








「俺、の事、好きなんだ」

何て言ったら良いのでしょう。生まれて初めてこんなにも真剣に好きと言ってくれたのに、私の心はまだ別の人を想っているのです。叶う恋じゃないって事はわかっているのに。でも、山口圭介くんにもこんな痛い思いをさせなければいけないのでしょうか。好きだと言ってくれた人を辛い目に合わせるのは本意ではありません。だけど、こんな気持ちで頷いて良い筈もない気がします。言葉を紡ごうとしてもなかなか形にならず、気持ちばかりが逸り、つい上擦った声が出てしまいました。

も今こんな状態でOKしてくれるとは思ってないよ。本当はもっと後に言おうかと思ってたんだけど、誤解される前に俺の気持ち伝えようと思って。・・・その、あー、なんだ、急に恥ずかしくなって来たかも・・・」

そう言うと山口圭介くんは髪を乱暴にかき上げました。照れ隠しのようにも見えるその仕草は、山口圭介くんを幼く見せて何だか可愛らしく見えるから不思議です。

「あー、つまり、の気持ちが落ち着いてからで良いから、俺の事、考えてくれると嬉しいんだ。俺、待つから」

照れながら笑う山口圭介くんにありがとうと笑い返せば、山口圭介くんは今まで見た事が無い柔らかい、まるで甘い物を食べた時のような蕩けそうな表情で笑いました。




密かな恋の終わりと始まり




私にとって『山口くん』がただ1人になる日はそう遠くない気がしました。その顔は反則です。何ですか、ちょっとだけときめいちゃったじゃないですか。









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