「これからよろしくね」


笑顔でそう言った彼の目は笑ってなかった。





廻るルーレット





何故、こうなったんだろうと思い返しても仕方ない。こうなった原因を巡り巡って考えれば、私が小学4年生の頃まで遡る事になる。遡ってあの頃の事を後悔したってどうしようも無いし、今までやって来た事が無駄だとは思わない。実にこの作戦は当時の私が考えた以上に効力を発揮したと思う。事実、あの時から数年経った今でも私はぴんぴんしているのだから。敗因は目の前のこの男、中西秀二。『普通』と呼ぶには規格外のこの男に目を付けられてしまったと言う事だろう。


「何、溜息吐いてるの?」
「貴方に何故目を付けられてしまったのか、その理由を考えている所です」
「君のその性格も理由の1つだけど」


右の人差し指を立て、『1つ』と指で示すと中西は楽しそうに目を細めた。指が長い。ピアノを弾いたらさぞかし似合うだろう。


「ねぇ、今、何、考えてる?」
「指が長いので羨ましいなぁ、と」
「身長が高いせいかもしれないねぇ。・・・他には?」
「ピアノ弾いたら似合いそうですね」
「ピアノは弾けないよ。その代わりヴァイオリンなら弾けるけど」


「意外?」と聞く彼に首を振ると、「そう?」と拍子抜けしたように小首を傾げた。中西ほど意外性に溢れた生徒を他に私は知らない。時々、授業をサボるくせに、学力は学年トップクラス。卒なく何でもこなし、苦手な物など無い男。それが中西に対する私のイメージ像だ。最もクラスが違うので話の大半がクラスメイトが話していた内容をそのまま伝え聞いただけなのだけど、あながち嘘でもないようが気がする。目の前に立つ男から感じる威圧感は、同級生から感じる物とは異質だ。




「やっぱり、君って楽しいね。さん」
「中学校に入って男子にそう言われたのは初めてですよ」
「あはは、そりゃそうじゃん」


ケラケラと中西が笑う。ほぼ初対面の人間にその言葉は失礼だと思う。けれど彼は決して嘘は言っていない。目元まで伸びた前髪と、黒縁の眼鏡の顔の私。クラスメイトの男子の付けたあだ名は貞子。もしくは不気味ちゃんと言う。暗く大人しい影の薄い少女、それが私だ。親友であるの傍に居ると、彼女の美少女オーラが私の影の薄さに拍車を掛け、余計存在感を出さない。貞子や不気味ちゃんに楽しいと言う男子がどこに居ようか。


「だって、君、自分隠したままじゃん」




飄々とした笑顔を崩さずに、中西はそう言った。笑顔なのに目だけ良く見れば笑って無かった。図星を突かれ、私は息を飲む。


「へぇ、意外と冷静だね」
「心当たりが無いもので」


努めて冷静に言おうとしたが、声が裏返る。「ククッ」と楽しそうに中西は笑うと、私の顔に手を伸ばした。逃げろ逃げろと本能が警鐘を鳴らすのに、体が動いてくれなかった。中西の目がまるで私に動くなと命じるように、上から見下ろす。逸らす事が出来なかった。急にクリアに視界。中西が長い指が私の黒縁の眼鏡を取ると、しげしげと私の顔を眺めて来る。




「っ! 返して!」


眼鏡を取られて、中西の右手に手を伸ばす。私の手は眼鏡を取り返す前に、中西の左手で引っ張られ、バランスを崩した私は数歩たたらを踏んだ後、前にのめり込むように倒れた。




「大丈夫?」
「・・・お陰さまで」


倒れる私を支えたのは中西だった。右手の黒縁眼鏡をちゃっかり自分の顔に掛けると、両手を私の背中に回して来た。


「やっぱり度が入ってないね」


にぃっと笑う中西に私は何も答えなかった。そんな私を中西は面白そうにただ見つめるだけだ。


「うん、やっぱり綺麗な顔してる」


中西の長い指が私の前髪をかき上げた。おでこまで上げられた髪。不愉快そうに睨むものの、1ミリも動揺を見せない中西に、いい加減、我慢の限界がやって来た。




「貴方、何がしたいの?」


至近距離で中西を睨みつけ、問い質す。中西は顎に手を当てて考えた後、しばらくして「興味持ったから知りたいと思った」と答えた。


「でも、私は暴かれるのは好きじゃない。それに目立つ事もね」
「うん。でも、俺は知りたいと思った」
「放っておいて貰えない?」
「無理だよ」


中西が苦笑して、だけどはっきりと断言する。


「俺が人に興味を持ったのこれで2人目。女の子ではさんが初めて。だから無理」


中西が私の顔に手を伸ばす。長い指が私の顔の輪郭を捉えた。背中にザワリと悪寒を感じたのは、彼の冷たい指先のせいだろうか。




「俺、他人に基本的に興味ないみたい。昔から興味持てないんだよね。親とか家族は別みたいだけど。多分、昔の出来事が影響してるんだと思う。でも、その時の事を思い出そうにも、思い出せないんだよね。自己防衛機能って奴?記憶が封印されちゃってるの」
「昔?」
「そう、昔。・・・多分、さんも同じなんじゃない?」


答える前に、「俺に似てるからさ」と中西が答えた。似てるのだろうか。確かに私が貞子とか不気味ちゃんと言われるような格好をし出したのは、小学4年生のあの事件が切欠だけど。私には記憶を失う程の辛い経験は無い。


「自分で言っておいて何だけど、気にしないで。記憶が無いのは事実だけど、無いのが当たり前だから気にならないんだよね、これが」


頬を軽く抓られた。「痛い」と言えば「ごめん、ごめん」とまったく反省の色の無い声が返って来た。




「ねぇ、俺を助けると思って付き合って。俺、もっとさんの事を知りたいし、話したり遊んだりしてみたい。・・・駄目?」
「でも、私は・・・」
「一緒に頑張ってみない?もうこんな物には頼らないでさ」




私の拒絶の言葉をやんわりと受け流した中西は、手にした眼鏡を私の前にヒラヒラと見せながらそう言った。何故、答えてしまったのかわからない。気が付けば私は「良いよ」と彼に答えていた。




「これからよろしくね」




例え、笑顔で言う中西の目が笑って無くても、私はこの男に自分が変われる可能性を賭けたのかもしれない。私を見出した彼に。