中西秀二に恋人が出来た。名前は。その名前に聞き覚えが無い人間でも、『不気味』と言う何とも不吉なあだ名を聞けば、どのクラスの誰なのかわかるというくらいの有名人である。一昔どころか二昔前に流行ったホラー映画の女のように前髪を垂らし、愛想の欠片も無い、大概の人間はその姿を見た瞬間に敬遠する事を決めるような女だった。中西がそんな女と付き合うと聞いた時、大半の人間が耳を疑った。2年C組の中西秀二と言えば、長続きはしないが付き合う女はどれもレベルの高い美人と言うので有名だったからである。しかし、噂が広がった日から不気味ことの元にやって来るのは間違いなく中西本人で、様々な憶測が流れたものの、それも翌週には解消される事になった。


トレードマークであった目元まで完全に隠れていた前髪をばっさりと切った。ただそれだけの変化ではあったが、休日明けに不気味、の席に座ったのは、誰が見ても美少女と太鼓判が押せる少女だったのである。


最初は正気かとせせら笑っていた者も彼女の劇的な変化に中西に嫉妬の眼差しを送るようになり、それは中西の心を酷く満足させた。だが、それも数週間の事で、次第に周囲も変化後の彼女に慣れ始め、中西もすぐに飽きるかと思われていた。


しかし、付き合い始めて数ヶ月、当初はいつものように1ヶ月で別れるかと思われていたのだが、状況は周囲の、そして中西の予想を大きく裏切った。季節は冬に変わり、周囲がクリスマス色に彩られても、彼らは付き合っていたのである。








「今年のクリスマス、もしかしたら一緒に過ごせないかもしれない」


12月も半ばに差し掛かった頃、中西は部活後に恋人を呼び出した。肩を落として話す中西。その表情は端から見ればクリスマスに恋人と過ごせない不幸な少年そのものの姿であるが、彼の本質をよく理解しているチームメイト、その中でも人を良く見る三上や笠井が見たら鳥肌を立ててこう言うだろう。「白々しい」と。例えそう言われてもなお不敵に笑う。得体が知れない、不可思議、大胆不敵。おおよそ褒め言葉とは思えない言葉が似合い、年齢詐称疑惑が常に付いて回る渋沢とは別の意味で中学生に見えない男、それが中西秀二と言う男だった。


チームメイトから見れば中西の恋人は狼に騙された羊のように見えた。以前は不気味と言われていた彼女も、今では中等部有数の美少女の1人に数えられ、その秀麗な姿に憧れる男も少なくない。実際、彼女に告白した男が何人も居たが、その全てを「中西くんと付き合っているから」と袖にし、余計騙されていると言う印象を与えていた。


中西の言葉にはコクリと深く頷く。その物分りの良い姿は聞き分けの良い恋人そのものだが、と付き合って早数ヶ月の中西にはそう見えなかった。良くも悪くもこの数ヶ月で中西は思い知ったのである。隣に座る恋人が強敵である事を。


(や、納得するの早くない?)


何で?と理由を聞くのが普通だ。そう中西は思っているし、実際、今まで付き合った女達も予想に反せずにそう聞いて来た。それなのにこの恋人と来たら聞きもせずに納得する。名門サッカー部の1軍に所属し、忙しい毎日を送っている中西にとって、この物分りの良さのお陰で今までの恋人達に感じた鬱陶しさを感じる事は無かったが、時々面白くないと思う事もあった。サッカーやそのほか色々な事で中西がデートを土壇場でキャンセルしたのは、1度や2度では無い。しかし、その全てを「わかった」の一言で済ますはありがたくもあったが、同時に面白くなかったのである。まるで今までの自分にとっての恋人達のように、自分がにとって大した存在では無いと暗に言われている気がしたのだ。


自身のプライドを守る為、中西もを大した存在では無いと見なし、別れると言う選択肢もあった。しかし、それを選ぶ程、中西のプライドは低くなかったのである。その為、周囲が、そして中西自身の予想を大きく裏切る形で彼ら2人の交際は続いているのである。


「折角、付き合い始めて最初のクリスマスなのに、ごめんね」


その姿をもし三上が見たら「随分と殊勝だな」と言うだろう。脳裏に悪友の姿を思い描きながらの返事を待つと、はふるふると首を振ってから「忙しいのはわかっているから」と言った。声音には恨み辛みは一切無く、優しい響きだけがあり、それが余計中西のプライドを刺激した。


「クリスマスは寮を抜け出す奴が多いから、見回りが厳しくて。身動き取れそうに無いんだ。あ、でも、後で一緒にケーキ食べようね。プレゼントも交換したいし、今度の週末空けて貰える?」
「予定は無いから大丈夫だけど。プレゼント交換?」
「うん、折角だからやらない?お互いがお互いの好きな物を贈り合うの。」
「良いけど・・・その・・・好きな物、外したら、ごめん」


まだ外した訳でも無いのに申し訳無さそうな顔をする。これだから始末が悪いと中西はつくづく思う。寮を抜け出すくらい、中西には造作も無い事だ。方法などいくらでも考え付くし、主要なチームメイトを抱え込もうと思ったらいつだって抱え込める。そんな彼がクリスマスに会えないと言ったのは、恋人の恨み言が聞きたい為。クリスマスくらい一緒に過ごしたい。少なくてもそう思ってくれている筈だと思って動いたのだが、見事に当ては外れてしまった。ここまで来ると聞き分けが良いのでは無く、本当に自分が彼女にとって大した存在では無いかと中西は思ってしまいそうだった。


(あーあ、今回も失敗。これで俺、何回負けているのかねぇ。しかも、嘘吐いた相手に申し訳ない顔されちゃうし)


嘘を吐く事は中西にとって日常茶飯事なので、いちいち良心の呵責を感じるような性格では無いが、それでも――。


(罪悪感を時々感じる程度には好きかもね、この子の事)


らしくない芝居がかった言葉を吐く自分を見たら、あの悪友は指を指して笑うに違いない。それでも良いかと思う程度には、今の恋人の事を気に入っていて、きっとこれからもまた面白くないと思う度にまたもがいて。まるで底なし沼のようだと中西は笑う。切り捨てればきっと今までのように自分のペースで物事が進む日常にまた戻るだろう。戻りたいと思う気持ちが無い訳では無い。だけど―――。


(底なし沼、上等。飲み込んで見せるよ)


こうして自分はどんどんはまって行くのだ。客観的に物を見る目は失われず、今の自分もはっきりと見る事が出来るのに中西は自らそこに落ちて行く。プライド以上に大事な物を彼が手に入れるのはまだ先の話であるが、そう遠くない未来に手にするだろう。




今はまだこのままで





「何?」
「やっぱり、俺、頑張って寮抜け出して来るから」
「え?でも・・・」
「大丈夫、頑張って、根岸とか三上とか渋沢とか辰巳とか、皆丸め込むから」
「うん。でも・・・」
「でも?」
「無理しないでね」
「うん。・・・しないから」


そっと両手で頬を包みキスを落とす。額に一つ落としただけなのに、相変わらず慣れない彼女は恥ずかしそう目を閉じる。


(まったく俺を振り回すなんて、大した女だよ)


何度目になるかわからない呟きを隠して、中西は愛しそうに目を細めた。