12月24日。クリスマスイブ。クリスマス当日よりもイブの方が盛り上がるのは、最早日本の常識とも言える話だが、そんな日に私は1人部屋で過ごしていた。
母はクリスマスディナーショーに友人と出掛けている。父親はアメリカに赴任中。栄転で仕事は忙しいようで、大晦日に帰って来るらしい。核家族のモデルケースのような3人家族。父母共に現在不在により、家は娘の私が家に残っていた。別に留守番では無い。彼氏無し、そして友人達は彼氏有りと言う状況により、過ごす相手が居ないだけの話である。
さて、ここまで話すと流石の私も少しだけ虚しさを感じた。別に彼氏がいない事に特に不満を感じた事は無いし、友人ともそれなりに仲良くやっているとは思う。母も10代の頃から応援している俳優のディナーショーがイブに無ければ、私と一緒に過ごして居ただろう。ただクリスマスと言う特別な日が、私をいつもと違った私に変えているのか、普段感じないような一抹の虚しさが小波のように胸の中で何度も凪いだ。
こうなれば少しでもクリスマスらしい事をしよう。そう思って冷蔵庫からケーキを取り出せば、うっかり会った隣の家の息子の顔を思い出した。同年代の中では私は比較的落ち着いているとされるが、私以上に落ち着いた、言い方を変えればクールな隣の家の息子、郭英士。サッカーで色々と活躍している彼と数時間前に近所のコンビニで出くわしたが、私が手にした1人分のケーキを見て小馬鹿にしたように笑うと、「何、今日、1人なの?」と尋ねて来た。下手な見栄は余計恥をかくだけだ。しかも、英士はそう言った類の事は見破るのが得意と来ている。素直に頷けば、もう1度英士は小馬鹿にした表情で笑い、「うちに来る?結人達も来てるけど?」と言った。純粋に同情していると言い切れない笑みに「邪魔するのも何だし、見たい番組あるから良いよ。誘ってくれてありがと。じゃあ、また」と言ってコンビニを早々と後にした。途中、何故か英士が追って来たけれど、適当にあしらった。何がしたいかわからないけれど、追って来るくらいなら最初から小馬鹿にするなと言いたい。
ケーキを食べて少しずつ気分が少しずつ晴れて来た。やはり疲れた時には甘い物に限る。少しだけ贅沢をして、コンビニで1番高いのを買って正解だった。生クリームの蕩けるような味に浸っていれば、来訪者を告げるチャイムがなった。何となく邪魔された気分だった。クリスマスに誰だ、一体。立ち上がるのも億劫だったが、続け様に鳴ったチャイムにハイハイ誰ですかとインターフォンの受話器を取れば、小さな画面に先程見た顔に良く似た顔が映った。
「!来たよ!」
普段の英士には無い陽気さ。瞬時に英士では無く、1歳上の彼の従兄だと理解する。李潤慶。御歳、18歳。中学卒業と同時にスペインに渡り、先のオリンピックで韓国代表に選ばれ、その活躍によって兵役が免除されたとか。そんなニュースを半年前に見た記憶があった。
「来たよって、潤慶、何でここに?」
リビングに通し、疑問をそのままぶつければ、「に会いたかったから!」と眩い笑顔で言った。今風の言葉で表すなら、ツンデレの英士には出来ない芸当だとつくづく思う。最も英士のデレを見た事が無いので、彼はツンツンの可能性も否定できないが。英士にデレを足したら潤慶になるのかもしれない。いや、この場合、潤慶の方が早く生まれているから、潤慶からデレを引けば英士になるのか?
「何、考えてるの??」
「英士について」
「折角、僕が目の前にいるんだから、僕の事を考えてよ」
あはは、と笑って潤慶が手を伸ばす。スペインに行ってからも年に1.2回は日本にやって来て、英士の家に来る度、ここにも顔を出す彼と会うのは半年振りだった。今でこそ英士とはっきり区別が付くが、子供の頃は本当にそっくりで、良く騙しに私の所にやって来たものだったと昔を思い出す。あの当時は身長なんて大して変わらなかったのに、今では見上げなければ行けない。ツンツンに跳ねた髪はあの頃はウニのように見えて、触ったら痛そうなんて今考えると失礼な事を思っていた。その髪もすっかり伸びて、笑った顔が何だか猫みたいだと今では思う。
「潤慶を見たら、英士と昔そっくりだったって事思い出したの」
そう言って伸ばされた手を左手で捕まえて握手を交わす。潤慶が韓国に帰る時、握手した以来、会う度、別れる度にその手に触れたけれど、手に感じる力強さに、ああ、男の人の手だと思ったのはいつだっただろう。長い関節、大きな掌、骨ばった手、力強い握力。どれもこれも私には無いもので、密かに憧れたものだった。
「久しぶり、潤慶」
「うん、久しぶり、」
握手を交わせば、「は綺麗になったね」とさらりと潤慶が言う。スペインに行ってそう言う所も上手くなったかと関心しつつ、「潤慶は相変わらず格好良いね」と返せば、「本当?」と嬉しそうに笑った。
「にそう言われると嬉しいよ」
「そう?」
勧めたソファーに腰掛け、にこにこと笑う潤慶を見ながら紅茶の缶を取り出す。日常的に嗜んでいたお陰で、もたつく事無くカップを差し出せば、香りを楽しんだ後、潤慶はカップに口を付けた。こういう優雅な所は英士と良く似ている。「まあまあだね」と言う英士と違って、「美味しいよ」と返す所は違うけれど。むぅ、英士ももう少し私に優しくなったって良いのに。昔は少し冷めた所はあったけど、私には優しい人だったのに、中学に入った頃から少々ぞんざいな扱いを受けるようになった。英士の親友、結人や一馬はは「あれは、照れてるだけだって」と言うけれど、何を今更照れる事があるのか不思議で仕方がない。
付けっ放しのテレビはニュースからクリスマス特番に変わった。オープニングだけ見たが、特段面白いとも思えず、チャンネルを適当に変え続けると見覚えのある顔がアップで映っていた。
「あれ、これ、確か」
潤慶が少し考えるが名前が出て来なかったので、「サッカーの藤代誠二選手だよ」と言えば、「あー、東京の9番!」と潤慶は思い出したように叫んだ。現役高校生でありながら東京ヴェルディに入団した藤代選手は、確かに東京ではあるが、入団当初からエース番号を背負ったとは聞いていない。いつの頃の記憶かわからないので首を傾げるしかないが、おそらくどこかで会ったのだろう。潤慶もこんな所でお茶を飲んでいるが、韓国代表の主軸選手で、スペインでも日本でも名の知れた選手なんだから。
「ところで潤慶」
「何?」
「折角のクリスマス、こんな所で油売ってて良いの?」
クリスマスにわざわざ我が家に顔を出したと言う事は、今回は英士宅で過ごすつもりなのだろう。結人達も来るって英士が言っていたし。・・・今思えば、英士も男友達と過ごすなら、私とあまり変わらないじゃないか!今度、この話掘り起こされたら指摘してやる!
「良いの。あっち行っても男ばかりだからね」
「4人全員集まったの?」
「うん。結人も一馬もヨンサの所に来てるよ」
「何であんた達に恋人が居ないか不思議だわ」
テーブルに頬杖を付いてしみじみと呟けば、潤慶は意外とばかりに目を見開いた後、面白そうに目を細めた。
「僕としてはに恋人が居ない方が不思議だけどね」
「告白はされてるんだって?」と決め付ける口調に、思わず唸ってしまった。誰だ、そんな事、言ったのは。
「そんな目で見られても、誰から聞いたかは教えないよ。ねぇ、教えてよ。何で付き合わないの?」
「何で・・・って、別に付き合いたいって思わなかったからよ」
「じゃあ、の好みのタイプってどんな人?」
「え?さっきからどうしたのよ、潤慶」
今まで潤慶とこんな話をした事はおろか、話自体振られた事もなかった。唐突な質問の数々に困惑し潤慶を見るが、潤慶はニコニコと笑いながら「教えて」と強くねだるだけ。
「ねぇ、早く」
「いや、だから・・・」
何とかして話題を変えなければ。私ばかり質問されるなんてズルイし、昔馴染みの、特に男に聞かれるのは恥ずかしい質問だった。
「ねぇ、」
「わわわっ、ユン、ストップ!ストップ!!」
すっと傍に近付くと、潤慶は私の頬に両手を添えた。そのまま私の顔を自分の方に引き寄せる。潤慶を意識せざる得ないその近さに、顔が火照り、制止の言葉を口にした。
「あはは、にそう言われるのって久しぶりだね」
「久しぶりかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、とりあえず、顔を近づけるのやめて!」
「えー」
「えー、じゃない!恥ずかしいんだ、こっちは!」
「あ、にもコレ効くんだ」
「あんたの中の私は一体何者なんだ!」
「ヨンサでも落とせない難攻不落なお姫様」
「それは無い」
ばっさりと切り捨てるように断言する。予想外過ぎる言葉ではあったが、同時に現実味の無い言葉だった。最初の前提からして間違っている。ヨンサ、英士の好きなタイプは物静かながら芯の強い女の子だ。私とは全然これっぽっちも違う。
「良いから離してよ」
はぁ、と溜息を吐くが、返って来るのは潤慶の笑い声。何がそんなに楽しいのやら。吐いたばかりなのにまた溜息が出そうだった。「良いよ」と潤慶は言う。けれど離さない。それどころか顔を更に近付け、私の目を覗き込んで言う。
「僕に落ちてくれたら離してあげるよ、」
その言葉の意味を私は1つしか知らない。
恋は唐突に降って来る
「僕の事、好きになってよ、」
誰も居ない1人きりのクリスマスだった筈なのに、振って沸いた突然の告白に私は目を白黒させるしかなかった。その後、コンビニに行くと行ったきり戻って来ない潤慶を探しに外に出た英士がやって来て、事態は更に悪化した。
「何、やってるの、ユン。を放しなよ」
「嫌だよ。折角、僕を意識してくれるようになったんだから」
「・・・だから何?」
「睨んでも駄目。大体にしてヨンサの方がチャンス一杯あるのに、何でまったく進展してないの?」
「むしろ退行してない?」と言う潤慶と、絶対零度の眼差しで潤慶を睨む英士の会話に少しだけ間が開いた時、「あの、会話だけ聞いていると英士が私の事好きって事になるんだけど?」と尋ねれば、心底おかしそうに笑う潤慶が「もうヨンサ、諦めたら?」と告げ、英士はむっと表情を変えた。その後、素早く私の腕を引っ張り、頬を押さえる潤慶から逃れられたものの、今度は英士の腕の中に押し込まれる。目の前に広がるのは黒。相変わらずタートルネックの黒が好きだなーとか、見た目細いのにがっちりしてるなーとか、どうでも良い事を考えてしまうのは、頭上で交わされる言い争いについて行けなくなったからだ。
人生初めての1人だけで過ごすクリスマスに、サンタクロースからとんでもないプレゼントを貰ったのかもしれない。
「あ、結人、一馬、久しぶり。とりあえず、この2人何とか出来ない?」
「出来たら苦労しねぇ」
「結人に同じく」
「そっかー」
(言い訳)
英士は120%照れて、ヒロインに気持ちとは逆の態度で接してましたが、この一件で色々と吹っ切れて、デレを見た事が無いからツンツンかと思われていた彼は、一気にデレデレに変わります。ヒロインがどちらに転ぶかは皆さんの予想にお任せしますね。