2月11日、PI(公認探偵)協会、応接室。




10畳程の広さだろうか。青いリノチウムの床にコンクリートの壁と言う、硬質な印象を与える空間。そこに応接セットが1組と、殆ど使われていない隙間だらけの本棚。唯一、窓に付けられたブラインドの色だけが柔らかい色合いだが、その部屋の持つ印象をほんの少し和らげる程度の物だ。ここに植物でも置いたら、雑風景なこの部屋も少しはマシになるだろう。そんな事を考えていると、ドアを2度ノックする音が聞えた。


「失礼します」


笠井の先導で、1人、男が部屋に中に入る。10代後半と言う所だろうか。顔にまだあどけなさを残す少年だった。身長は165〜170センチ。一見して感じた印象は、素直な少年ではあったが・・・。


「風祭将と言います」


これが、マシンガントークの異名を持つ椎名翼が手を焼く助手の少年か。頭を下げる姿は素直で聞き分けの良い人物に見えるのだが、印象通りならばこの場に彼は居ないだろう。人は見かけによらないと言う事を十二分に理解していたは、対面の席を勧めると軽い自己紹介の後、今回の話を進めた。








「研修ですか?」
「そう、研修」


笠井から受け取った書類に一旦目を通した風祭が、恐る恐る口を開いた。手にした書類は2枚。1枚は研修の受講者、教官、日程、場所を記載した物。もう1枚は何故、今回研修を受けなければいけないのか、その詳細が記されていた。


「このまま、君の悪癖が続くと、最悪、PIS(探偵助手)の資格が剥奪の恐れがあります」


笠井が事務的に告げる。風祭の表情が一気に暗くなったのを見て、話を続けた。


「PISの資格が剥奪されても、再度受験する事は可能です。しかし、剥奪にまで至った問題点が改善されない限り、合格は難しくなります。また、剥奪されなくても、現状のままではPI(公認探偵)の受験条件が満たされないので、PIの道は遠いままです」


その為に今回の研修で、悪癖を治して頂きます。笠井の言葉に、風祭が驚いたようにぱちくりと瞬きの後、目を大きく開いた。


「悪癖ですか?」
「ええ、書類に書いているかと思います」


その言葉に風祭は慌てて書類を見直した。間隔を空けて数回、首を傾げる仕草を見せる。


「これって悪癖なんでしょうか?」
「・・・君が悪癖だと思っていなくても、少なくても協会は悪癖と見なしたようね」


自覚ゼロか。内心溜息を吐きながら、今まで口を挟まなかったが口を開いた。


「椎名くんの所に居なかったら、最悪、貴方、ここに来れなかったわよ」
「それってどういう・・・」
「墓の下に居てもおかしくないって事」


ぶつけられた厳しい言葉。息を飲み、しばしの間、の顔を見つめる


「言いたい事はわかります。でも、僕には才能が無いから、頑張らなきゃいけないんです!」


意欲に満ちた言葉、揺ぎ無い信念。こんな目で見つめられたら、さぞ言い難かっただろう。目の前の少年の上司に同情すると同時に、ほんの少しだけ別の気持ちも生まれた。


(私もあんまり得意じゃないんだから。指名しないでよ、椎名くん)


教官役に指名した椎名をちょっとだけ恨みながらも、目の前のまっすぐ過ぎる少年には向き合った。


「早くPI(公認探偵)になって、ご両親の事件を自分の手で解決したいから?」


ぽつりと落したの呟き。それは風祭の心を大きく揺さぶった。驚愕と表現できる程、目を剥いた顔で、どうしてそれを、と繰り返す。


「あの事件に私も多少関わりが―――」
「教えて下さい!」


自ら問い掛けておきながら、最後まで聞かずに風祭は言った。叫んだ、と言った方が良いかもしれない。今にもに飛び掛りそうな勢いだった。剣呑さを感じ取った笠井がと風祭の間に入る。


「君はどこまで知っているの?」
「父さんと母さんが事件に巻き込まれて殺された。ただ、それだけです!」


犯人も、動機も、何もかも、他は知らないんです。風祭は肩を落とし俯くと、手を握り締める。握り締めた手はそのきつさの余り白くなっていた。


「だから早くPI(公認探偵)になりたいんです。情報を集められるから」


悔しさを滲ませた声で、風祭はそう呟いた。しかし、は哀憐の表情を浮かべながらも首を振った。


「今のままでは無理だよ。例え頑張っても、ね。今の君にはPIS(探偵助手)として知る事が出来る情報すら教える事は出来ない」
「どうして!」
「仮に君が私からご両親の事件について情報を聞いたら、次はどうするの?」
「勿論、調べます!」
「だから教えられない」
「何故ですか!」
「・・・危ないから」


そう答えると、は立ち上がった。車椅子から。心配そうに見つめる笠井に目配せした後、車椅子に取り付けた杖を突いて歩き始める。一歩、また一歩。その歩みは緩やかで、常人の2倍以上の遅さであろう。


「こうなってからでは遅いんだよ、風祭将くん。・・・いや、潮見将くんと呼ぶべきかな」


かつて名乗っていた名前。今はもう呼ばれる事の無い名前を呼ばれて、風祭は全身に電流が走ったような衝撃を受けた。すぐ傍に立つをまるで遠くに居る人のように、遠い目で眺めた後、全身から力がどっと抜け落ち、椅子に倒れ込むように座った。


「今回、私が君の教官になった理由はね。私のような人間を2度と出さない為だよ」


そう言っては右足の付け根撫でた。