16時を少し過ぎた頃、最後の2人組の女子高生を見送って今年の俺達の文化祭は終了した。労わりの言葉を掛け合う声が教室中に広がる。


俺、は、今まで手にしていた銀色のトレイを手でくるりを回して机の上に置くと、今まで感じていた息苦しさを解消すべくワイシャツのボタンを1つだけ外した。軽く1度深呼吸すると、それだけで幾許か楽になる。


それなりに動いているので疲れているはずなのに、時田さんは相変わらず元気だった。隣で疲れ切った顔の田中がいるから、余計にそう見えるかもしれない。彼女の指揮の下、教室内の片付けが始まった。だけど、その片付けがなかなか進まなかった。


「あっと言う間だったね」
「そうだねー」


教室の飾り1つ1つがクラスメイトの手作りなのだ。当然、役目を終えて外される時、感慨深い顔で作者が手に取り、眺め、話に花が咲く。普段ならばてきぱき物事を進める時田さんもそれを見て困ったような笑みを浮かべると、黒板の飾りをゆっくりと外し始めた。誰しもが達成感に浸りながらの作業。人数の多さも手伝って、30分後には本来の教室の姿に戻りつつあった。


さん、これ、準備室までお願い」
「あ、はーい」


布巾で机を片っ端から拭いていると、時田さんとさんのやり取りが見えた。教室の隅に置かれた暗幕の束にさんは近付くと、一気にその束を持ち上げた。暗幕1枚ならそれほど重いものでもない。女子の力でも持ち運べる代物だが、まさか全部一度に運ぼうとするとは。流石に代わろうかと思い、布巾を置いて駆け寄ろうとするが、その前にさんはドアの向こうに消えて行った。


、どうした?」


呼び掛けられ振り返ると、ダンボールを持った山口が後ろに立っていた。状況を話すと、山口は苦笑いする。


「あー、あいつの事だから代わるって言っても聞かないと思うぜ」


結構あいつ力あるとか、頼るのが下手だと山口は言う。確かにそうかもしれないが、頼るのが下手なら彼女に頼られるように頑張ってみるべきだろうと言うお節介な考えが浮かんで来る。折角、さんとの仲が進展したのだから。言っておくべきかと口を開こうとすると、その前に別の声に阻まれた。


「あの、山口くん・・・」


簡単に掻き消されそうな程、か細い声。山口の背後に目をやれば、背に半分ほど隠れる位置に千葉さんがいた。山口が振り返り、何?と問い掛ける。あの、その、と口籠もる彼女は、徐々に顔を赤くして行き、俯いた後、返事、と小さく呟いた。


「ああ、えっと・・・今?」


困惑しながら山口が聞き返す。こくりと頷いた千葉さんを見た後、山口は頬を指で数回掻いて、俺の方を見た。アイコンタクトと多少のジェスチャーを交えて、俺は山口からダンボールを受け取ると、教室を出て行く山口を見送った。




ダンボールの中身を検めると、レシーバーやCDプレーヤーなど生徒会から借りた物品が入っていた。時田さんに確認し、そのまま生徒会室に向かう。返却時間が決まっていたらしく、のんびり片付けていたお陰で時間に遅れてしまったようだが、応対した生徒役員がどうやら俺がさんの友人である事を知っていたらしく、特にお咎め無く返却受理して貰った。


「会長に、たまには顔を出してくださいとお伝え下さい」


そんな言付を頼まれ、教室に戻り、前生徒会長だったさんの姿を探したがどこにも見当たらなかった。暗幕の返却先は視聴覚準備室の筈だ。ここから歩いて3分程度。返却に手間取っているのか、それともまたどこかに何かを返却しに行ったのか。バスの時間の都合上、先に下校したクラスメイトもいるので、閑散してしまった教室内を見渡していると、時田さんに話し掛けられた。


くん、お疲れさま。先に着替えしてね」
「ああ。更衣室って今使えたかな?」
「この時間、更衣室は男女どっちも大丈夫よ。あ、山口くんと高柳くんに会ったら更衣室使える話伝えて貰える?」
「わかった」
「それから千葉さんとさんにもお願い」
「皆、まだ戻ってないの?」
「殆どの子は片付けが終わったら帰ったんだけど、ウェイターとウェイトレスの子だけ小早川さんとくん以外、戻って来ないのよね。あの格好だからどこかで捕まってるのかしら。あ、千葉さんとか大丈夫かしら!」
「千葉さんなら他の人と一緒に行動してるから大丈夫だよ」
「ああ、それなら良かった」


ほっと息を吐く時田さん。昨日あんな事があったから気が気で無いのだろう。千葉さんに呼ばれた山口は今頃屋上にでもいるのだろうか。学校内でメイド服の女の子が執事服の男に告白の返事を聞く。メルヘンなのかどうかいまいちわからないなと思いながら、俺は今の自分の格好を見た。


「そう言えば、この服、どうすれば良い?クリーニングして高柳に返却?」
「高柳くんが全部クリーニングに出してくれるって」


クリーニング代は売り上げから出すからと言った時田さんは、何の気無しに、そういえば高柳くん準備室から戻らないわね、と呟いた。


「準備室?どこの?」


普段ならそのまま聞き逃して終わっていた会話だが、急に不安になって、聞き返せば、時田さんはそんな俺の不安を他所に視聴覚準備室と答えた。


「機材返しに行ってからそう言えば見てないわねー」


その言葉に弾かれ、着替えしに行くと一言告げて廊下を出た瞬間、俺は急いで準備室に向かった。サッカーで鍛えた足のお陰ですぐに着く筈だったのだが、血相を変えて走る俺を見て何事だと思ったのだろう。通り掛かったさんに呼び止められた。


くん、どうしたの!」
「俺の悪い予想が当たってないか確かめに」
「それっての事?」


さんも俺と似たような危惧を抱いていたのだろうか。一緒に走り出し、準備室のある並びの廊下に出ると、さんが準備室のドアの前に立っていた。


!」
「あ・・・・・・」


擦れた声が廊下に静かに伝わる。名前を呼ばれ、項垂れていた顔を一度は起こすものの、さんは俺達の姿を確認すると再び俯いてしまった。項垂れた顔、力無く落ちる両腕。手に何か付いている。ゆっくりと近付いて確認すると、さんの左手の甲が切れ、血の筋が出来ていた。


!手、一体、どうしたの!」


驚きのあまり声を張り上げるさんに対し、さんの視線は床に注がれたままだった。気が動転してしまったさんの肩を何度か軽く叩き、落ち着かせる。


さん、さんを保健室に。付き添い、頼めるね」


なるべく冷静に、言い聞かせるように言えば、さんははっとした表情に変わると神妙に頷いて見せた。差し出した俺のハンカチを受け取り、さんの手に巻く。今のさんの状態では俺よりもさんの方が良いだろう。そう判断し、さんに後を任せるが、さんは俯いたまま、何も無かったとだけ呟いた。その言葉に俺はただただ呆れ果てた。


「大丈夫。俺に任せて」


安心出来るようになるべく穏やかな声音でそう告げると、さんは顔を上げて俺を少しの間見つめていたが、しばらくして1度頷くと、さんと共に俺達が来た方向とは反対の方向に歩いて行った。ゆっくりと力無くふらふらと危なげな足取り。その原因はきっとこのドアの向こう側に居るのだろう。


階段を下りて行ったさん達の気配が完全に消えるのを確認してから、俺は目の前のドアを開けた。