通りすがりの人間からジロジロと容赦の無い視線を受ける。好奇心が混じったそれの殆どが、好意的なものである筈も無く。例外と言えば通りかかった50歳くらいの品の良い女性で、「どうしましたか?」「怪我でもしましたか?」「体調でも崩されましたか?」と尋ねて来たくらいか。「足を挫いてしまって」「大丈夫です」「もうじき自宅に着きますから」と返せば、心配そうにこちらを窺った後、「お大事に」と言って女性も立ち去った。そうしてしばらくしてようやく家が見えて初めて、俺は警戒心を緩める事が出来た。自分の家かそれとも行き慣れた隣の家か。どちらに先に行くべきか考えていたのに、気が付けば家のインターフォンを押していた。インターフォンの映像で気付いたのか、慌しい足音が聞こえる。勢い良くドアが開き、中からおばさんが血相を変えて出て来た。


「圭介君!」
「おばさん、ごめん。・・・守れなかった」
「話は中で。入って」


家の中に入ると廊下に緊迫した表情のおじさんが立っていた。をじっと眺めた後、左手をすっと取る。おじさんの大きな手に乗ったの手には包帯が巻かれていた。


「いつ・・・?!」


俺がから目を離したのはそう短い時間ではない。後片付けの最中、呼び出されて屋上に行って、戻った時にはの姿は無かった。鞄片手に校内を見回り、ようやく見つけた時には昇降口で見知らぬ男に支えられていて。その後からはずっと一緒に居たから、それ以前の短い合間に負傷したのだろう。1度にそんな目に遭っては流石にも耐え切れる筈が無い。


の手の傷には俺も今気付きました。俺がを運んできたのは、最初からその現場に居なかったから詳しくはまだわからないけれど、どうもうちのクラスの女子に階段から突き落とされたみたいで・・・」







ゆっくりと俺はつい数十分前の事を思い出す。校内を探して歩いていた時、女子同士が争うような声が昇降口の方から聞こえて、何事かと足を運んだら、そこで見たのは今まで見た事の無い表情を浮かべると、を支えるように腕を貸した男。千葉さんとさんがその事で口論していて、高柳が心配そうにを眺め、は言い争う2人の仲裁にいつ入るか窺っていた。言い争う会話で千葉さんがを突き落とした犯人だと言う事はわかった。その事実との姿にあっと言う間に心は凍て付いた。


「煩い、黙れ」


言い争う声すら耳障りで、腹の底から湧き上がる怒りをそのまま吐き出した。自分の声に怯え、挙句泣き出されてしまったが、正直どうでも良かった。





そうに比べれば。名前を呼ぶも、は何の反応も見せなかった。それが酷く悲しく、同時にこんな目に遭わせた加害者に激しい怒りを覚えた。


を支えていた名も知らぬ男からを受け取って、その身を抱き抱える。以前、体育祭の時にやったお姫様抱っこ。あの時は顔を真っ赤にして暴れられたのに、何の反応も見せずに大人しく腕の中に収まった。顔を覗き込める程の距離なのに、視線がぶつかる事は無い。の目はここでは無いどこかを見ているのか。可哀想に。御免、守れなくて。怒りの後に後悔が渦巻き、自分でも感情を持て余し始めた頃、すっと俺の隣に先程の見知らぬ男が立った。俺はの彼氏じゃないけれど、敢えて彼氏と呼んだあの男は自分の被っていた帽子を脱ぐと、そのままに被らせた。深く被せられ、目元が完全に覆われ、痛々しい表情は帽子の奥に隠された。


「ども」


短く礼のような言葉を残して、俺はを連れてその場を後にした。本当ならば何が起きたのか1から10まで把握すべきかもしれないが、今はを安全な場所に連れ去りたかった。







俺が殆ど状況を把握していない事に関して、おじさんは「そうか」と返すと「リビングに運んでくれ、の怪我を見る」と言って家の奥に行ってしまった。手当てに必要な物を取りに行ったのだろう。おばさんの後に続いてリビングに入ると、部屋で1番大きなソファーにの体を横たえる。ぐったりとしたまま、身動きらしい動きをしないにおばさんは何が起きたのか聞かずに「痛いところは無い?お父さんが見るから喋りたくないなら、痛いところを指差して頂戴」と声を掛けていた。ぎこちない動きではゆっくりと右足を指差す。それ以外は特に何のリアクションも無く、「右足だけ?」の問い掛けにこくりと頷いた。おばさんは右足の靴下を脱がせ、ついでとばかりに左足の靴下も脱がす。右側は傍目で見てもわかるくらい腫れていた。おじさんが両手に救急箱を持って来て、おばさんから聞くと手早く治療に入る。右足は打撲、左手は甲を切っていた。切っていたと言っても皮を数枚と言うだけで、神経には至らず、すぐに治ると言ってくれた。ただ今夜は怪我のせいで熱が出るかもしれないらしい。あれこれとはおばさんに世話を焼かれ、それをぼんやりと眺めていれば、名前を呼ばれたので返事をする。


ちゃんを運んで貰えるかしら?ほら、足、やっちゃってるから」
「え?・・・あ、はい」


おじさんでも良いんじゃないかと思ったが、特に反論する気も無かったのでそのままの傍に寄る。「、運ぶぞ」と声を掛ければ、こくりと頷き、大人しく抱き上げられた。




階段を上っての自室に入る。先を進むおばさんが部屋の灯りを付ければ、真っ暗な空間は綺麗に整頓された部屋に変わった。ベットにを下ろすと、おばさんに1度部屋の外に出るように言われる。数分後に呼ばれて部屋に戻るとの服装がパジャマ姿に変わっていた。


「それじゃあ、何かあったら呼んでね」


そう言うとおばさんはさっさと部屋を出て行った。何となく家に帰るタイミングを逃したような気がするが、こうしてぼんやりと当ても無く視線を漂わせるを放ってもおけない。「隣座って良いか?」そんな言葉を掛けようかと口を開くも、その姿に開いた口を閉じてそのままの隣に腰を下ろした。スティール製のベットが軽く軋む。




こんなにも無防備なを見るのも久しぶりだ。昔は、それこそ男女の違いを意識せず、それこそ一緒に風呂にまで入っていたのだ。それが年頃になって、お互いを異性だと意識し出してからは、照れや恥じらいのせいで、2人の間に壁のようなものが出来ていた。今、その壁が俺の中から消えていた。


それはも同じだったようで、無言では俺の方に体を倒して来た。俺の肩に頭を乗せて寄り掛かる。俺も何も言わずに当たり前のようにそれを受け入れた。


「来い。こっちの方が楽だろ」


しばらくの間、俺の肩にもたれ掛かっていただが、体勢が辛いのか時折体を動かしていた。もう少し落ち着ける体勢の方が良いのだろうか。ふと思い出し、自分の膝と肩にあるの頭を叩いて促してみる。おずおずとは上体を動かすと俺の膝に頭を乗せた。所謂、膝枕という体勢だ。正直、俺の膝の上が居心地が良いとは思わなかったが、もたれ掛かった不安定な体勢よりはマシだろう。はすっぽりと俺の膝に頭を乗せるとゆるゆると目を閉じた。


「おやすみ、


眠って忘れられる訳が無いけれど、少しでもの心が楽になれば良い。傍にあった布団を掛けてやると、俺はの髪を撫でながらこれからの事を考え始めた。