SIDE
文化祭の振替休日が終わった翌日。登校中、胸ポケットに入れた携帯が振動したので取り出して見れば、山口からメールが届いていた。
『の体調が悪いので今日は学校休む』
最初にそう綴られたメールをスクロールして読み切ると、すぐに返信を打ち返した。
『了解。こっちでやっておくよ。また何かあったらメールでよろしく』
送信完了の文字を確認すると、胸ポケットに携帯をまた仕舞う。頭の中で学校に着いてからやらなければいけない事を順番分けしていると、気付けば学校のすぐ傍まで歩いていた。文化祭の熱がまだ抜け切っていない生徒が多いのか、登校中の生徒達はいつもに増して賑やかだ。そんな中、例の石畳の階段の前に差し掛かる。数日前、ここで何が起きたのか俺は知っている。直接目撃した訳では無いが、それでも階段の傾斜を見れば如何に危ない事態だったのか安易に予想が付いた。あの時、従兄である中西秀二が通り掛らなければ、きっと今よりも事態は悪化していただろう。不幸中の幸いだと文化祭に呼んでいた事を喜ぶと、俺は階段を上り始めた。
朝のホームルームが始まる20分前に教室に入れば、クラスメイトの3分の1も揃って居ないのに関わらず、振替休日初日に事情聴取をしたメンバーの殆どが顔を揃えていた。おそらくさんの事が気掛かりだったのだろう。教室に入って来た俺を見て、さんがやっと来たと言った安堵の表情を浮かべてこちらに手を振った。俺は机に鞄を置くと、さんを筆頭にこちらの様子を見ているメンバーにジェスチャーで廊下に出るように指示する。俺が廊下に出ると、その後ろにさん、鈴木、高柳、時田さんが続く。この時間、人気がまったく無い近場の場所を思い出し、屋上に続く階段へと足を向けた。
「ちょっと待っててね」
階段には誰の姿も無かったが、それでも念を入れて屋上を始めとする人の隠れる事が出来そうな場所をチェックする。この時間、屋上にいる人間も皆無ではあるが、例外が無い訳でも無い。何よりも万が一の事を考えると、不安材料は消しておきたかった。最後、階段下の掃除ロッカーを確認すると、階段から廊下が見えるポジションを陣取り、「おまたせ」と声を掛けた。俺の行動についていけなかったらしく、呆けていたさん達だったが、その言葉に気を取り直したようで、真剣な眼差しで俺に視線を向けたのだった。
「から連絡が無いの」
そう切り出したさんにどんなメールを送ったのか確認する。直接、あの状態のさんを見ているだけあって、『大丈夫?』『連絡が欲しい』と言ったあの事件を連想させない物ばかりだった。
「そうか。なら良かった。他にメールを出した人は?」
ぐるりと周囲を見渡すが、他は全員首を振った。
「皆に言っておく事があるんだ。時間がそうある訳では無いから、まずは俺の話を聞いて欲しい。質問は最後に受け付けるから」
腕時計を確認しながら、俺は今のさんの現状を4人に話す。
記憶喪失。
馴染みが無いその言葉に全員の顔が曇る。
「今日、さんは精神科医の所に行く予定なんだ。それで山口と話し合ったけれど、今後一切、文化祭の後に起きた件に関してさんに喋るのを禁止する事にした」
「・・・と、言う事は謝罪する事も出来ないって事?」
「そういう事。千葉さんにはきついかもしれないけれど、自業自得だし、こればかりは我慢して貰わないとね」
中立の立場に居る時田さんが1番の問題点に気付く。俺の自業自得の言葉に時田さんは諦め顔で頷いた。
「文化祭の話自体しない方が良いんだよね?それなら他のクラスメートにも協力して貰う?」
「それは無理だよ。さんに何があったか言わなきゃいけないし、何より千葉さんがクラスから孤立する」
さんの言葉に鈴木が無理だと首を振る。
「状況が状況だから万全を期す事は出来ない。けれど、文化祭が終わった後の事を知っているのは、俺達とこの場に居ない山口と千葉さんだけだ。大きな学校行事も終わったし、俺達も3年生。後2ヵ月後には推薦入試も始まるから、受験勉強でいつまでも文化祭の話をしている暇も無いだろう」
「わかった。じゃあ、から文化祭の話をされたら、普通に喫茶店やってたって言えば良いのね」
「うん。・・・恐らくさんも記憶が無い事を不安に思って、皆に色々と聞いてくるかと思うから。当たり障りの無い程度で伝えて欲しい」
「わかった」
「それから時田さん」
「えっと、何?」
「今の話を千葉さんに伝えて欲しい。俺はさん寄りの人間でしかも男だからね。こう言うのは中立の立場で同性の人間の方が、千葉さんも不必要に怯えなくて済むと思うから」
「そうね。・・・・・・もしかしたらそろそろ千葉さんも登校しているかもしれないから、戻っていいかしら?」
「うん。俺の話はこれで終わりだよ。皆、付き合ってくれてありがとう」
「いや、礼を言うのは俺達の方だ。教えてくれてありがとう」
鈴木が礼を言い、周りがそれに続く。真っ先に時田さんが教室に戻り、その後を鈴木とさんのカップルが続く。ちらりと視線を残ったままの高柳に向ける。複雑な表情で俺の言葉を聞いていた彼は、今まで1度もこの場で何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。
「俺も謝る事が出来ないんだな」
高柳も加害者の1人だから何も言えなかった。知っているのは俺とさん―今となっては俺だけになってしまった。
「そうだよ。辛いと思うけれど、これが君の犯した罪の重さなんだ」
「そうか。こんな重い気持ちを千葉さんも抱えているんだな」
謝罪する事で罪悪感は多少消えたかもしれないけれど、その機会は失われた。
「さんから直接黙っていて欲しいって言われたんだろ?それなら彼女の願いに従うまでだ。仮にもし記憶が戻るような事があったら、機会を見てその時に謝れば良い」
「そうだな。それしか俺には出来ないのだからな」
高柳が切なそうに目を細めるが、それも一瞬の事。すぐに表情を引き締め、何かを決意した1人の男がそこに立っていた。
「もうじきホームルームだ。行こうぜ、」
「ああ」
並んで歩く高柳からは以前のような軽薄な態度は微塵も感じなかった。喜びを知り、悲しみを知り、人は成長する。文化祭での一件は俺達を成長させる要因となったのだろう。
記憶を失ったさんが、千葉さんと高柳を見てどんな態度を取るのかわからない。忘れていても深層心理が働いて怯えるかもしれないし、逆に働かずに何も起こらないのかもしれない。どちらにしても俺は今後もさんを中心に見守って行く事になるだろう。だけど俺はそれ程心配はしていない。わざわざ学校を休んでまで付き添う山口がいるから。
俺が出来るのは野暮にならない程度に世話を焼く程度だと心に決め、人の増えた教室へと入った。