自習。
黒板に大々的に書かれた3年4組だったが、教室内は少し人の声がするだけで至って静かだ。その理由はクラスメイト達の手元にある。出張で授業を自由にした社会科の教師は、しっかり自習用プリントを用意していたようで、配布されたクラスメイト達はそのプリントの数に驚かされた。地名や人名を書く空欄がぎっしり並んだプリント。1枚ではない。授業で終わらない分は宿題になり、授業中に遊ぶのと家に帰ってから遊ぶのを選ばされた生徒達は社会科教師の思惑のまま、自習時間にしては静かな時間を過ごしていた。
そんな中、山口はもう癖になりつつあるお隣の確認をする。プリントが配布されて10分。山口を含めたクラスメイト全員が教科書片手に解答欄を埋めているのに対し、は既に終わってしまったのか、相変わらず教科書に隠して本を読んでいた。自習時間なのだから隠す必要は無いと思ったのだが、その辺はなりに何かあるのだろう。そう思い、山口は視線をまたプリントに戻すと空欄埋めに奮闘するのだった。
カリカリとシャーペンの書く音が教室内を支配する。たまに相談しあうクラスメイトの声。授業中よりもやはり静かな方が読書は進むようだ。そんな事をは思いながら、今日も読書に明け暮れていた。なお、配布されたプリントは調べなくても答えがわかったので、は早々に片付けると、教科書と本を取り出した。別に授業中ではないので、本を隠す必要も無いのだが、早く終わると写させてと言う人が居るので、教科書とペンを持って繕う必要があった。最初から楽をしようと言う考えははあまり好きではない。写しては自分の力にならないと思う方だった。一度、隣から視線を感じたが、すぐに逸らされる。規則的に走るシャーペンの音から察するに、どうやら隣の席の山口は真面目にやっているらしい。
残り時間5分の所で1度山口はシャーペンを置く。手には解答欄の埋まったプリント。改めて見ると頑張ったと言う気にさせられるが、まだ気は抜けない。プリントの解答欄の空欄残り2つがどうしても埋まらないのだ。教科書を何度見ても載っていない。ノートを見ても書いていない。まだ習っていない範囲だった。どうしようかと教科書から顔を上げると、山口はそこで隣の席のの存在を思い出し、思い切って声を掛けた。
少し教室内がうるさくなって来たと思い、本から顔を上げた。時計を見れば後5分で自習時間は終わりだが、どうやらまだクラスの大半の人間がプリントを書き終えていないようだ。時折聞こえる答えを聞き合う声に、皆、同じ所で躓いてしまったのだとは予想出来た。
(あの教師も人が悪い)
滅多に使わない社会科の資料集にしか載っていない答えが2つ。余りの使用頻度の少なさに教師ですら「次の時間は便覧持って来いよ」と言うくらいだ。言われない限り、学校に持って来る生徒はまず居ないだろう。それを見通しての出題に違いない。苦笑いを浮かべていると、突然隣から話し掛けられた。
「」
「・・・何?」
少し驚いたような表情で山口を見る。本は隠さず、手にしたままだ。
「わからない所あるんだけど、教えて貰えない?」
「良いけど、どこ?」
「問20と問27」
自分のプリントを広げるは、プリントと山口を交互に見た後、
「問20はイタリア、問27はルター」
の言葉に一斉にシャーペンの書く音がした。どうやらクラスメイトの多くが同じ箇所で引っ掛かり、山口達の会話を聞いていたようだ。山口も忘れずに最後の空欄を埋める。
「よくこの問題わかったな。教科書載ってた?」
「便覧に載ってた」
滅多に使う事の無い社会の資料集の名前を聞いて山口は納得する。
「そっか、教えてくれてありがとな」
「どういたしまして」と言うを見て、山口はふとある違和感に気付いた。の机の上にあるのは、筆記用具と教科書と読書用の本、そしてプリント。少し悩んだ末、思い切ってに尋ねてみようと口を開く。
「なぁ、、便覧持ってたら貸して貰えない?」
その言葉にはにこやかな笑顔を浮かべると、
「ちょっと今無いんだ。ごめんね」
と答えた。
この難問をはどうやら便覧無しであの2問を解いたようで、しかも、便覧に載ってる事を知っていると言う事は暗記してると言う訳で。
(って何者?)
って凄いと思う前に、やはり何者と山口が思ってしまうのは、先程までが読んでいた本のタイトルのせいか。今日の本の背表紙には、『近代のコーポレートガバナンス』と書いてあった。
「」
呼ばれた事には驚きながらも数拍遅れて反応する事が出来た。
「・・・何?」
「わからない所あるんだけど、教えて貰えない?」
「良いけど、どこ?」
「問20と問27」
問20と問27。先程からクラスメイト達がわからないと教科書片手にぼやいていた所だ。プリントと山口を交互に見た後、
「問20はイタリア、問27はルター」
と、は答えを教えた。一斉にシャーペンを走らせる音がする。どうやらこちらの会話をしっかり聞いていたようだ。山口もプリントにしっかりと書き込んでいる。
「よくこの問題わかったな。教科書載ってた?」
答えを書き込んだ後、感心したように山口が尋ねて来る。
「便覧に載ってた」
簡潔に答えてみせれば、山口は納得したように頷いていた。
「そっか、教えてくれてありがとな」
「どういたしまして」
会話はここで終了かと思いきや、山口は何か考え始めたようで、
「なぁ、、便覧持ってたら貸して貰えない?」
と、言った。予想以上に隣の席の男の勘が良さには笑みを浮かべる。
「ちょっと今無いんだ。ごめんね」
にこやかな笑顔でそう言ってみると、山口は大きく目を見開いた後、挑発的とも取れる笑みで笑い返すと、
「そっか。ごめんな」
と言ってプリントを提出する為に立ち上がった。その後姿を見ながら、は楽しくなって来たと思うのだった。
、現在は山口圭介の反応の観察に勤しんでいる模様である。