夏の日差しが徐々に厳しさを増してくる。蝉の鳴き声がし始め、夏休みも後十数日。夏季期末考査も終わり、ほっと一息吐いたその日。珍しくユースの練習も無く、と帰ってたまにはのんびりしようかなと考えていたら、先にさんにを取られた。どうやら女の話があるらしい。
(恋愛話かな?)
俺、山口圭介は話に混ざれない事を悟ると、帰るべく教室を出ようとした。久しぶりに1人で帰るなぁと思っていたら、後ろから背中をポンと叩かれ振り返る。目線ほんの少し下。だ。手には鞄の他、部活用の白いエナメルの鞄があった。これからどうやら部活のようだ。大会が近いようで、サッカー部の練習に誘われた俺は、意気揚々とと共にサッカー部の部室に歩いて行った。
サッカー部の奴らは気が良い奴らが多い。おそらくは部長であるの気質が、多少なりとも影響しているのだろう。部外者でありながら好意的に受け入れられた俺は、その日、練習に参加して、と言うDFが如何に凄く、如何に嫌らしく、如何に敵に回したくないか理解する事になった。
(城光や千裕クラスだよな)
何故これだけのプレーヤーが今までどのクラブチームにも所属せず、注目される事無いままいたのか不思議でならない。おそらくは所属チームがが入るまでは弱小だった学校のサッカー部だったからだろう。そう結論付けて俺はボールを受け取ると、と再び向き合う事になった。
翌日。女の話は終わったのか、授業が終わり放課後に突入するや否や、さんが鞄を手に速攻で教室を出て行った。玄関とは反対方向。屋上の入り口がある階段と2階に続く階段しかない方向である。その後を追うように、俺の前の席の鈴木が立ち上がる。心なしか顔が赤い。どうやら少し緊張しているらしく、上の空で、見ていて今日1日ぼんやりしていたような気がした。
鈴木を見ている事が増えたさん。屋上。上の空の鈴木。3つが繋がり、それが1つの答えになる。
(上手く行くと良いな)
そんな事を考えながら俺は鞄に教科書をしまうと、今日はおそらくもう帰りであろうを誘うべく席を立った。
との帰り道。いつもは他愛無い話をして帰っているのだが、は昨日の話は秘密にしなければいけないのだろう。特に何も言わなかったので、俺はサッカー部に行った話をし、それをが聞く形になった。凄い奴を見つけると、俺はサッカーの話をする時に名前をよく出すらしい。そうが言っていたのを思い出す。
昔、初めてマリノスのジュニアユースと対戦した時、俺と同じ中1になったばかりの選手が出ると言うので注目していた。名前は須釜寿樹。MFでボランチ。守備的な方の。どんな奴だろうとワクワクしていたら、当時身長180cmに届きそうな奴で(俺は当時160cmちょい)かなり驚いた記憶がある。対戦してみて思った。こいつはこれからも上手くなるって。向こうも同じ事を思ったのだろう。試合が終わり、選手・監督同士挨拶を交わす中、スガに握手を求められた俺は、
「君とはこれからも対戦する事になりそうですね〜。次、戦う日を楽しみにしてますよ〜」
と、当時からあの独特の語尾の伸びた口調で言われて、それ以来、あいつを一選手として意識するようになった。あの時も帰ったらを捕まえて、興奮状態でスガの話をしたんだよな。須釜が須釜がって早口で言ってた俺の言葉を、寝惚けていたはきちんと聞き取れなかったんだろう。
「スガ?」
と最後の1文字省略する形で聞き返した。スガと言う呼びやすさが気に入った俺は、次にスガに会った時にそう呼んだら、あいつは面白そうな顔をして
「愛称を作って呼んで貰えるのは嬉しいんですが、君が作ったんですか〜?」
この間は須釜と呼んでいたので気になったんです〜と言う須釜に、の話をすると、
「1度会ってみたいですね〜」
と、意味有り気な目で俺を見た。からかわれてると思ったが、それでも嫌な予感は拭い切れず、俺はこっちでマリノスとやる時だけはを呼ばないようにしていた。
(あれからスガと親しくなってわかったけど、あれ半分くらいは本気だったよな)
今日もががと連呼する形で話していたのだが、はそんな俺など慣れたもの。小学校まで俺とサッカーをしていたくらいだから知識もテクニックもその辺の女の子では太刀打ちすら出来ない(下手をすればその辺の男も)くらいあって、スガの時も平馬の時も興味深そうに耳を傾けていたのだけど、今日は少し反応が鈍く、横目で見れば何やら考え事をしているのが見えた。くしゃりと髪を撫でる。その髪の長さや指通りの良さが俺には無いもので、自分でやっておいて何だがドキリとさせられて、そんな内心を隠すように「大丈夫かー?」と尋ねた。「ごめん、ちょっと考え事してた」と言う言葉に、昨日の事が頭を過ぎったので「さん?」と尋ねると、曖昧にだがは同意してみせた。
さん。の親友。性格はサバサバしていて、流行に敏感。性格はちょっと大人びていて、その辺がと合うのだろう。よく一緒にいる相手だ。今日の行動から察するに、昨日の話は鈴木の事だろう。恋愛事には疎いも話を聞いているなら知っている。
(ちょっと反応を窺うのも良いよな)
そう思い、さんの名前を口にすれば、言い方がおそらく悪かったんだろう。悪い話だと思ったが心配そうな顔で俺を見た。言い方をもう少し考えれば良かったと思いながら、鈴木の話をすれば、は驚いたように目を丸くした。何で知ってるの?表情を見ただけで言いたい事がわかった俺は、「そりゃ、あれだけ俺の前の席見てりゃわかるって」と言うと関心したようにが「何かみんな凄いね。よく気が付くよ」と言った。
は疎い。何でそうなったのか俺にもわからないが疎い。だけどそれは俺にとって好都合だったんだと思う。今年に入ってイベントで色々な事を経て、に色々と言われたりして、俺は情けない事にようやく自分の気持ちと言うものを『恋』と知った。今まで漠然としか見えなかった物、まったく見えなかった物。この気持ちを自覚してからそれらがクリアに見え始めた。
に気のある奴は多い。多分、が疎く鈍くなかったらそれらに気付いて、想像したくないが他の奴と付き合ったのかもしれない。だから鈍いままで良い。そう思って言ったのだけど、は困ったような顔になると、突然ポケットから携帯を取り出し、
「やった!」
と言った。
滅多に大声を出さないの突然の叫びに、俺は思わずビクリと体を震わせると、「何かあったのか?」と恐る恐る尋ねた。言い難そうには顔を困らせる。おそらくはさんの事だろう。やったと言う事は上手く行ったのか?そんな事を考えていると、は携帯を操作していて、しばらくすると、「ちょっと耳貸して」と言われての傍に近付いた。
予想通りの内容、けれど上手く行った事に俺は「やったじゃん!」と言った。は嬉しそうに笑っていた。
さんのメールにより、俺達のその後の話はサッカーからさんと鈴木の話に変わった。上手く行って良かったとか、鈴木とさんなら上手くやって行きそうだとか。そんな話をしていると、ポツリとが
「何か羨ましいな」
と呟いた。
「羨ましいのか?」
思わず聞き返す俺。
「彼氏が出来るって素敵じゃない?」
と、が口にし、口にしてから自分の言った言葉の意味に気が付いたんだろう。一瞬にして顔が真っ赤になった。あ、いや、その、と口篭る。そんな姿も可愛いと思うのは俺も重症なんだろうか。俺もつられて顔が赤くなる。
その後の帰り道、俺達はお互いの顔をまともに見れずに帰る事になった。