部活はほぼ帰宅部のようなもの。生徒会は7月をもって引退。圭介のように海外遠征やクラブの練習の無い私は、まずは受験対策用に大量に出された宿題の山から片付ける事にした。読書感想文以外、全て終わったのが夏休み開始から1週間後。数日前にから電話が来たくらいで、特別変わった事も無い。鳴き始めた蝉の音がBGM。クーラーの効いた快適な部屋で勉強続きの1週間だった。


私、は宿題のテキストやプリントを机にしまうと、大きく伸びをした。勉強が嫌いな訳ではない。新しい事を学ぶのは楽しいし、計算を躓かずに解けると気分が良い。しかし、どうにも受験勉強と言うものは、知識の詰め込み作業の連続で、今ひとつ好きになれず、そんな物を大量に宿題として出され、片っ端から消化して行った私は、何か別の刺激が欲しかった。


(図書館でも行こうかなぁ)


読書感想文を書く本を探して見るのも良いかもしれない。窓から空を見れば、雲ひとつ無い青空。そしてギラギラと照り付ける太陽。向かい側の窓を見れば、青色のカーテンが閉まったままだった。時計は午前10時過ぎた所。いつもは早起きの幼馴染も1週間の海外遠征は疲れたようで、昨日久しぶりに両家で行われた夕食会も早々に引き上げて寝ていた。起きるのは午後過ぎだろう。疲れが残っていないなら、図書館に誘って見るのも良いかもしれない。そう思っていたら、携帯から音楽が流れた。メール着信音にしたオルゴールの音が、短く鳴る。携帯を開けば、メールのアイコンボタン。クリックして確認すると、からだった。


『山口君がOKしたから、花火大会の日、午後5時に公園傍のコンビニで待ち合わせね。浴衣で来てね〜』


そう書いてあった。圭介の性格上、断ると思ってOKしたのだけれど、思い違いだったようで、ここ数年浴衣を着た事の無い私は、まずは母さんに相談しようと台所へ降りて行った。




「浴衣?」
「うん」


台所に居た母さんに話をしてみると、何故か母さんは非常に乗り気だった。


「良いわね〜。折角だから買いましょ!」
「買うの?」
「だって前のは流石に小さいわよ〜」


言われて見ると確かにそうだった。最後に着た時は確か小学4年生か5年生の時で、その時から比べると身長は格段に伸びている。


「ところで何時頃、帰る予定なの?」
「花火見て帰るから、午後9時頃」
「ちょっと遅いわね〜。ちゃんと2人?」
とその彼氏と私と圭介の4人」


初デートの付き添いだけど、と言うと、母さんはキラキラと目を輝かせると、「可愛い浴衣買いましょ!」と言い、何故こうも母さんは乗り気なんだろうと不思議に思いながらも、私はその言葉に頷いたのだった。







車で30分の所にあるショッピングモールがバーゲン中らしい。折角なのでと母さんが運転する車でそこまで足を伸ばす事にした。運転席に母さん、助手席におばさん。そして後部座席に私と圭介が座った。


「何で俺まで・・・」


寝てる所を叩き起こされたのだろう。髪に寝癖がついたまま、圭介はおばさんに訳もわからずに車に乗せられた。


「浴衣買いに行くのか?」
「うん。からメール貰ってね。母さんに確認したら、小さいから買おうって話になって」
「なるほど」
「圭介は浴衣着るの?」
「着ない。動き難いし」
「確かにそうだね」


下駄も履くなら絆創膏持って来いよ。そう言う圭介に、おばさんが「あんた、おばさん臭いわよ」と茶々を入れ、途端に賑やかになった車は快調に目的地まで走り続けた。




ショッピングモールに着くと、圭介は1人スポーツショップに行った。おばさんの買い物に良く付き合わされている圭介は、女の買い物の長さと言う物を良く理解している。鏡の前で、母さんとおばさんが交互に持って来る浴衣を体に当てながら、私はしみじみとそう思った。


ちゃんは色が白いから何でも似合うわね」
「この黄色も可愛いけど、ピンクも良いし」


そんなやり取りが彼是1時間続いた頃、ようやく3着まで絞れた私達の元に圭介がやって来た。


「終わった?」
「まだ。3着までは絞ったんだけど」
「3着?」
「そうなの。圭介、あんただったらどれが似合うと思う?」


そう言っておばさんが手にした3着をそれぞれ見せた。ピンク色の生地に蝶の柄。黄色に朝顔の柄。藍色に白百合の柄。上から母さん、おばさん、私が選んだ物だけど、圭介はどれを選ぶのだろう。しげしげと3着を手に取って見た後、「これかな」と手にした1着は、私の選んだ藍色に白百合の柄。好みが一緒と言うただそれだけの事なのに、それが酷く嬉しい。けれど、日頃から何かと冷やかしてくる母さん達の手前、澄ました表情をするけれど、そんな子供心すら母さん達にはお見通しなのだろう。ニコニコと笑う母さん達は「圭介(君)がそういうなら仕方無いわね」と言って残り2着を元の場所に戻しに行った。その2人の後姿は、とても嬉しそうに見えた。









カランカランと下駄の音。歩く度に聞こえる音は、どこか懐かしく感じる。いつもより目線が高い幼馴染。藍色に白の花柄の浴衣に、水色の巾着袋。髪を高く結い、下駄を履く。ただそれだけの事。今日は祭りだ。会場に行けば、そんな格好をした人で溢れているのに、どうして気持ちは落ち着かないのか。


俺、山口圭介は、そわそわと落ち着かない気持ちを沈めようとするも、横を歩く浴衣姿ののいつもは隠れて見えない首筋やうなじが目に入り、それでまた気持ちが乱されての繰り返しだった。そんな俺の気持ちにちっとも気付かないは、この日を楽しみにしていたのだろう。カランカランと楽しげに下駄を鳴らし、今年は何の出店があるのかな、と口にする。いつもなら出店を気にするのは俺で、横でそれを見ているのはなのに、気が付けば俺は出店よりばかり気にしているのに気付き、顔の熱を夏の暑さに誤魔化す振りをした。




待ち合わせ場所の公園傍のコンビニは、会場から最も近いという事もあって、かなり繁盛していた。いつもならお目に掛かれない数の見物客の大半が、飲み物を片手にレジに並んでいるのが見えた。そんなレジ待ちの列の中に、浴衣姿のクラスメイトの姿を見つけて、俺は声を掛けた。スポーツ刈りの浴衣姿の男が呼ばれた事に気付き、振り返る。


「よー、鈴木。久しぶり」
「ああ」
「こんにちわ、山口君」


鈴木の横に居た浴衣姿のさんも見つけた。赤にひまわりの柄の浴衣。プールの塩素で茶色に脱色されてしまったと言う髪を、飾りのついたゴムで結んでいて、その姿を鈴木が愛しそうに見ている姿に気付くも、さんはそんな鈴木に気付かずに同じく浴衣姿のの方へ行き、互いに可愛いと言い合っていた。苦笑いを浮かべるしか無い鈴木に、俺は肩をポンと叩くと、鈴木もを見た後、同じように俺の肩を叩いて来た。


「俺達ってもしかして似た者同士?」
「かもな」


鈴木が同意する。互いに苦笑いを浮かべる俺達。彼女と幼馴染である女の子2人は、お互い言いたい事は済んだのだろう。とっくにレジを済ませ、横で待っていた俺達に気付くと「ごめん」と声を揃えて言って。


「気にするな」
「どういたしまして」


鈴木はただ優しく、俺は少し冗談めいて言った言葉に2人は笑った。


花火が始まるまで時間はまだあったので、先に出店を回る事にした。食欲をそそる匂いが人の流れに乗ってやって来る。子供が親にせがむ声。いらっしゃいと言う掛け声。友達と楽しげに話す声。色んな声が少し遠くで聞こえるお囃子と太鼓と混じる。それらに身を任せ、歩いてみる。ぐるりと1周して、2周目に入るとさんがを引っ張って奥の方に行く。その後を追おうとすると、横に居た鈴木が「あのさ・・・」と言い難そうに口を開いた。







さんの手に金魚の袋。赤が数匹、黒が1匹。さんの家で金魚を飼っているが、あまり金魚掬いは得意では無いらしく、去年同様にに頼んだようだ。も報酬代わりに貰った小さなリンゴ飴を手にしていた。俺も鈴木も小腹が空いたので、適当に食べたい物を買い、それなりに出店を満喫した俺達は、花火の会場に歩いて行った。


出店周辺も人込みで凄かったが、会場の土手の傍の道も人で一杯だった。人の流れがあちら程ゆっくりしていない無い為、ぼんやりとしていたらあっという間にはぐれてしまいそうだった。先を行く鈴木とさん。1度だけ、鈴木が振り返る。それに俺は頷くと、小声でを呼ぶ。



「何?」


小声で話す俺に合わせて、も小声で聞き返す。


「鈴木がさ、2人きりにして欲しいって」
「OK」
「あいつらとは反対方向に行くから」


頷くを伴い、ゆっくりと人込みに流されるように歩いて行く。T字路にぶつかり、鈴木達が右に行ったのを確認すると、少し遅れて俺達は左に行った。分かれ道、左横に居た人が左に曲がるかと思ったら右に曲がったり、その反対もあったりとかなり流れが激しい。の横に居たおばさんが強引に右に行き、その動きでまで流されそうになったので、空いていた左手を掴んで左へと歩いた。


「はぐれるなよ」


先導するように、の前を歩く。の返事は無かったが、その代わりに手をしっかりと握り返された。ぎゅっと強く握り返した手が、酷く熱く感じた。