私の父の両親は静岡在住だが、母の両親は神奈川在住だ。私は毎年お盆になると、母方の祖父母の所に挨拶がてら遊びに行っている。旧家だったと言う大きな屋敷。普段は祖父母だけの静かな住まいに、年に数回、親戚がわっと集まった時は、途端に賑やかになる。私達が到着した時には、何人か先に親戚が到着していたようで、蝉時雨に混じって人の笑い声がする。玄関で半年振りに会った叔母と挨拶を交わし、泊まる部屋を案内された後、本を片手にバルコニーに出れば、そこにも既に先客が居た。


圭介と同じくらいの身長。少し伸びた黒髪。私の足音に気付くと、振り向いた。


「よぅ」
「元気無いね。何かあったの?」


私、は久しぶりに会った従弟(と、言っても数ヶ月私が早く生まれただけだが)に話し掛けると、従弟、三上亮は軽く睨みつけて来た。睨まれる覚えは無いので、きっと何か元気がなくなる様な事があって、それが亮の苛立ちにもなっているのだろう。突然の八つ当たりに近い行為に、睨まれた眼差しを正面から見返すと、しばらくして、「・・・お前には勝てないな」と、亮は自嘲的な笑みを浮かべて言った。


沈黙が広がり始め、徐々に気不味くなって行く。さぁーっと風が吹き、濃い緑の葉が数枚風に乗って飛んで行った。目で追うと、葉は子供の頃に遊び回った懐かしい風景の中に溶け込むように消えて行った。


「久しぶりにこの辺散策しない?」


聞いた所で答える従弟では無い事は重々理解している。散策で少しは気が紛れればと思い誘ってみると、亮は少し考えた後、「行くか」と、言った。







幼い頃は亮と散々この周辺を遊び歩いたので、この辺一帯は詳しい。親戚の中で年が近いのは、私と亮だけと言う事もあって、顔を合わせる度に一緒に遊び回った記憶がある。


「この辺も変わってねぇな」


そう言って亮が横を歩く。屋敷を抜けた時には欠かさず行っていた、古びた看板の駄菓子屋。一昔前のデザインの美容院。通り過ぎると必ず吼える犬はもうかなりの高齢なのだろう。通り過ぎる度にけたたましく吼えられたのに、今日通り過ぎた時には私達を一瞥すると、再び寝に入って行った。それを見て、亮が「こいつも年食ったな」と懐かしそうに笑う。その笑みは先程の自嘲に比べると格段に明るくて、散策に誘って良かったと思った。




着いた先は神社だった。地名を冠する名の神社。時期が時期なら参拝客で溢れるこの場所も、今日は閑散としていた。屋敷を抜けて、駄菓子屋でおやつを買い、美容院のあのくるくるとした看板を眺めて、一本道の途中にある家の犬に吼えられて。私達の子供の頃からの散策の終着点はいつもここだった。いつも私達はここでサッカーをして遊んでいた。


大きな御神木を下から見上げる亮。その顔に苦々しく映る感情から読み取るまでもなく、亮がここまで落ち込んでいるのはサッカー絡みと見当がついた。何も言わずに私も御神木を見る。


「俺さ、武蔵森に入ってから色々頑張ったんだ」
「うん」


サッカーの名門、武蔵森学園。中学も高校も全国大会の常連校だ。サッカーだけは誰にも負けたくない。負けず嫌いが原動力になって、亮は武蔵森に入った。小学校時代の亮はお世辞にも上手いとは言い難かったが、諦めの悪さに関しては誰よりも凄かった。私が知らない所で揉まれて来たのだろう。今では名門サッカー部の司令塔を担うまでになっていた。


「10番背負うまで頑張ったんだ」
「うん」
「10番貰った時、引退まで他の誰にも譲れないと思ったんだ。だから必死で練習した」


それがよ、と亮は鼻で笑った後、苦々しい表情に変わり、吐き出すように言葉を紡いだ。


「いきなり監督の息子が来る事になった。だから俺は控えになる。そんな話が聞こえて来たんだ」
「それはいくらなんでも・・・」


酷すぎる。そう思ったのだが、その言葉は口に出来なかった。口にした瞬間、亮がまた傷付きそうで。


「・・・まぁ、結局色々あって来なかったけどな。だけど・・・この間、東京選抜のメンバーを決める召集が来て、そこで監督の息子と会った。・・・バカだよな。俺もあいつも大人の都合って奴に振り回されただけなのに、あいつには負けたくないって意識し過ぎたんだろうな。落ちたよ、選抜合宿」


静かな神社の中で、亮の言葉は良く響いた。




「亮」
「何だ?」
「もう答えは亮の中で大体は出てるんでしょう?」
「・・・まぁな」
「選抜合宿で得た物。そしてこれからどうしたいのか?この2つを合わせれば答えは見つかる筈だよ。・・・落ち込んでる暇は無いんでしょう?」
「・・・ああ」
「最後の大会なんでしょう?」
「ああ」
「全国制覇するんでしょう?」
「当然」


ニヤリと笑った亮に、私も笑い返す。もう大丈夫。安堵の気持ちが胸に広がる。頑張って欲しい。亮にも。私がサッカーを諦めた分まで、頑張って欲しいから。


「大会優勝決めたら、真っ先にお前に連絡してやるからな。覚悟しておけよ」


そう言う亮の顔には自信と誇りが宿っていた。







散策から戻ると、大人達は既に宴会を始めていた。昔は色々と思う所はあったけど、毎年続くといい加減慣れるもので、呼び止められて宴会の席に混じる。隅に2つ席が空いていたので、亮と2人座ると、毎年の恒例行事のように叔父さんがビールの入ったコップを勧めて来て、それを私も亮も押し問答の末に、今年も回避する事に成功した。


「毎年同じ事してる気がするよな」
「そうだね」


そんな事を言いながら、出された料理を口に運んでいると、台所に居る母さんに呼ばれた。


ちゃん、悪いけどコンビニで氷買って来て」
「良いよ」


立ち上がって母さんからお金を受け取っていると、傍に居たおばさんが亮にも声を掛ける。


「亮、もう暗くなって来たからコンビニまで一緒に行って来なさい」
「わかったよ」


箸を置いて、亮も立ち上がる。気をつけるんだぞ、と言う酔っ払った親戚の大人達に見送られ、私と亮は宴会場と化したリビングを後にした。




財布と携帯を取ってくると言った亮を玄関で待っていると、普段はなかなか聞く機会の無い音楽が流れた。携帯に着信の文字が浮かぶ。圭介だ。


「もしもし」
『おー、無事に着いたか?』


いつもと変わらない声が、優しい温かい気持ちに変わって、心に染み込む。


「うん。早めに出たから渋滞もそう無くて楽だったよ」
『そりゃ、良かった。今、何やってる所?』
「今?今、ちょっとそこのコンビニに行く事になって・・・」
「おい、。行くぞ」


声がした方向を見ると、亮が横に立っていた。


「あ、亮。今、行く。・・・ごめん、圭介。コンビニから戻ったらまた電話するね」
『・・・わかった』
「また後で」


そう言って私は電話を切った。「行こうか」と亮を促すと、ニヤニヤと亮は笑っていて、つい怪訝な顔になってしまった。


「今のお前の『例』の幼馴染だろ」
「そうだけど」


はぁーっと大袈裟に息を吐くと、亮は


「見ててバレバレ。お前、そいつの事好きだろ」


と言い当てた。図星を指され、ピシリと石化してしまったように固まってしまう私。そんな私を心底面白そうに亮は眺めると、


「幸せそうな顔で電話してりゃすぐわかるっての」


と私の額を軽く指で弾いて、すっかり暗くなった夜道の先を歩き始めた。慌ててその後姿を追い駆ける。


「そういう亮はどうなのよ?」
「俺?さあ、どうだろうな」


ニィと口角だけを上げて笑う仕草には余裕すらが窺えた。彼女と上手く行っているか、もしくは好きな子ともうじき付き合えるようになる・・・と言った所だろう。曖昧な言葉しか口にしない亮に、「おめでとう」と言えば、少し目を丸くした後、「やっぱりお前には勝てないな」と笑った。勝った覚えの無い私は首を傾げると、「お前も早く付き合えよ、そのケースケって奴とさ」と言って、亮はわしゃわしゃと髪を撫でた。


コンビニから帰ったら電話しよう。


夜道の一角を眩しいくらいに照らすコンビニの明かりに目を細めながら、ポケットの携帯を確認して店内に入った。








「あ?ケースケって、あの山口圭介?」
「どの山口圭介か知らないけど、ジュビロの山口圭介で通じる?」
「・・・U−15トップ選手知らない訳ねぇだろ。お前も凄い奴を幼馴染に持ったな」
「何言ってるの。そんな事言ったら、亮だってそのうち選ばれるんだから、凄い従弟になるじゃない」
「・・・ふーん。じゃあ、凄い従弟持たせてやるぜ、ちゃん」
「・・・懐かしいね、その呼び名」