訛りが無いから東京出身に見られがちだが、俺、渋沢克朗の出身はここではない。東京から新幹線で数時間かかる場所、そこで創業数十年の老舗に数えられる和菓子屋が俺の実家だ。父親は修行で長く東京にいたらしく、母親は元々東京出身らしい。標準語が飛び交う家で育った俺は、訛りが無く方言が殆ど喋れない。そう言うと決まって羨ましい顔をするのが、訛りを直すのに苦労したと言う根岸だ。訛りは訛りで郷土愛が感じられると思うのだが、「地方なら良いけどここだと目立つ」と根岸は決まって溜息を吐く。二軍時代に色々とからかわれたらしい。「大変だったな」と言えば、「うんにゃ、お陰でこいつらには負けられねぇ!って思った」と笑う根岸は間違いなく一軍になるべくしてなったと言える選手の1人だと思った。
夏のお盆の帰省ラッシュの疲れも考慮し、1年の時からお盆休みの最終日前日には寮に戻るようにしていた。寮暮らし、部活のお陰で日頃帰省もままならないので、寮生の大半がギリギリまで実家で過ごして最終日に戻るので、今回も俺が1番早く戻って来た。
暑さを少しでも和らげようと、寮の前のアスファルトに水を掛ける寮母さんに挨拶をして中に入る。おおよそ100人が暮らすこの場所はいつだって賑やかな分、こんなにも静まり返っているのは久しぶりだ。ドアを開くとキィと小さくなる音も、階段を登る音もいつだって人の声や物音に掻き消されるのに、今日は良く響く。まるでおかえりと言われているようだと俺は思いながら、ゆっくりと自室へと向かった。
ドアを開けると、休みの間に篭った熱気が襲い掛かって来る。蒸すような暑さが肌に纏わり付く。ベットの脇に鞄を置いて、窓を開けば熱は少しずつ外へ逃げて行った。ここに来る時はまだ静かだった蝉の鳴き声が、互いに競うように鳴り響く。7年土の中に居て、7日だけ地上で過ごす。ここで鳴いている蝉達にとって、最初で最後の夏。
(最後の夏か・・・)
まるで自分と一緒だと俺は窓枠に手を掛け、外を見る。俺の実家の周辺と比べても、ここは緑が多い。静かな風合いなのに、けたたましく鳴る蝉の合唱。
鳴け、鳴け、鳴け。
さあ、鳴け、さあ、鳴け。
最初で最後の夏だ。
後悔する暇など無い。
さあ、鳴け。
そんな声が聞こえて来そうな程、蝉達は一生懸命鳴いている。
(俺達も後悔しないように、やらなきゃな)
地元のサッカーチームに所属していた俺をスカウトに来たのは、今の監督その人だった。さすが名門チームだと思っていたけれど、監督自らスカウトに来たのは例外中の例外。鳴り物で入って来た奴、と同室になった三上に教えられた時には、ビックリしたものだ。ここに来て今年で3年目。その間に監督が自ら動いたのは、1つ下の藤代の時だけだった。
1年の時の新人戦から正GKだった。それからずっとそのポジションをキープして来たが、今年のチームは今までの武蔵森イレブンの中で最強だと思えた。気がかりな事と言えば、お盆休みが始まる前に行われた選抜合宿。実力的には何の問題の無い三上が、数ヶ月前の事件を気にしてか、いつものプレーを見せれないまま落選した。戻って来てから、表面上繕っては居るけれど、プライドの高いあいつが落ち込んでいるのは、親しい者が見ればすぐにわかった。
「亮くん、何かあったの?」
そう俺に聞いて来たのは、数ヶ月前から三上と付き合う事になった俺の1つ下の幼馴染。プライドの高いあいつは、彼女にも弱音を吐けないまま、お盆休みを迎えて実家に帰省してしまった。一昨日来たメールで、元気になったと言う報告は幼馴染から受けていたが、果たしてどこまで吹っ切れたのか。夏の大会、どこまで行けるか司令塔のあいつに掛かっていると言っても良い。その事を考えると気になって仕方が無かったが、明日にはあいつも帰って来るだろう。
(話を聞いてみるか)
そう思って、窓枠から手を放して大きく伸びをすると、見知った姿がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
「おかえり、三上」
門を潜った三上に声を掛ければ、「よぅ」と以前のように少し斜に構えた笑みを浮かべて手を上げた。何があったか知らないが、完全に吹っ切れたあいつの顔に俺も笑い返す。
(もう大丈夫だな)
軽く息を吐いた俺は、茶の1つでも入れてやろうと思い、部屋の隅の冷蔵庫のドアに手を伸ばした。