昔、あるところにと言う女が居ました。は早くに両親を無くし、祖母の手によって育てられましたが、その祖母も2年前に静かに息を引き取り、祖母と暮らした山間にある小さな小屋で、は薬を売って1人で暮らしていました。


そんなある日の事。




薬の材料となる薬草を摘みに来たは、そこで大きな狼と出会いました。身の長けはと同じくらいでしょうか。足に猟師が仕掛けた罠が引っかかっており、暴れたのでしょう、血が滲んでいました。狼は静かにの事を見ていました。はしばらくの間、狼の様子を窺いますが、やがて意を決して狼の傍にやって来ました。狼は吼えも噛みもしませんでした。静かにを見るだけ。


はそれを見て、狼の足にかかった罠を外そうと手を掛けました。金属の刃が沢山ついた罠です。の細い手にはいくつも傷がつき、狼が咎めるように小さく鳴くのですが、は止めませんでした。ようやく罠を外したは、狼の傷を見た後、今日摘んだ薬草を傍にあった石で潰し、それを布に塗ると狼の傷口に巻きました。狼はよろよろと立ち上がると、感謝の意を伝えるようにに擦り寄って来ました。はその頭を何度か撫でると、もう捕まっては駄目だよと言い、狼は頷くと山へ帰って行きました。はそれを見送ると、小屋へと帰りました。


それから一ヵ月後の事。




が薬売りから戻ると、小屋の前に1人の若者が立っていました。圭介と名乗ったその若者は、の祖母の友人であった人の孫と言いました。祖母が2年前に亡くなった事を伝えると、墓参りがしたいと申し出ました。お墓はここから少し歩いた場所にありましたが、空は夕暮れ。この時間に帰せば山の動物の餌食になってしまうかもしれません。一人暮らしの家に若者を泊めるには少し抵抗がありましたが、折角墓参りに来てくれた人を追い返す真似をしたら天国の祖母に怒られてしまうと考えたは、今夜は若者を泊める事にしました。




お世話になります、と頭を下げた圭介はの家に一晩泊まる事になりました。色んな所を旅した事がある圭介は、囲炉裏を挟んでお茶を啜りながら聞くに、今まで自分が見た素晴らしい物を教えてくれました。生まれてこの方、この山間にある小屋と山と麓の村以外行った事の無いです。目を輝かせ、圭介の話に耳を傾けます。夜も更け、は瞼が重くなったのを感じると、名残惜しいと思いながらも布団を2組敷くと灯りを消して寝る事にしました。




翌日。目を覚ますと、圭介の寝ていた布団は綺麗に畳まれていました。どこに行ったのかと部屋を見渡すと、家の外から木を割る音が聞こえました。外に出ると薪を割る圭介を見つけました。そこにはひと冬が楽に越せる程の沢山の薪が積み重なっていて、がお礼を言うと泊めてくれたお礼だと笑いました。は圭介の為にいつもより豪華な朝食を作って2人で食べると、祖母の墓参りに向かいました。


祖母の墓は山の見晴らしの良い所に立っていました。そこに向かって歩いていると、ふと隣を歩く圭介の脚が止まりました。も立ち止まり、尋ねると、圭介は今までの明るい表情が嘘のように暗く曇った顔で言いました。


「実は俺、君に助けて貰った狼なんだ」


その突然の言葉には目を丸くしました。圭介はガシガシと乱暴に髪を掻いた後、地を蹴り一回転すると、そこに居たのはこの間の大きな狼。


「圭介さん?」
「うん」


呆然とするの言葉に狼が答えました。


「助けて貰った恩返しがしたくて今日ここに来たんだ。君のおばあちゃんの友達の孫って言うのも嘘。ごめん。でも、どうしても恩を返したかった」


大きな狼、圭介はそういうとジャンプして、近くの岩場に着地しました。


「これ以上一緒にいると、俺、おかしくなりそうなんだ。だからもうお別れしなきゃ・・・」


そう言うと圭介はありがとうと一言言った後、一つ吼えるとそのまま山の奥へと消えて行きました。突然の別れには一つ涙を溢しました。




とぼとぼと家に帰ると、家の中には圭介の使った畳んだままの布団が残されていました。それを見てまた涙が出そうになるのを堪えると、は布団を押入れの奥にしまい込もうとしました。すると布団と布団の間から出て来たのは、この間、薬草を巻いた布。布は両端が縛ってあり、それをゆっくりと解くとそこには何と金や銀が一杯。圭介の恩返しとはこの事なのでしょう。あまり力の無いにとって、薪割りは重労働。それをひと冬分作ってくれただけでも嬉しかったのに。は布を抱えたまま、今度こそ泣いてしまいました。




金や銀は家の天井に隠し、はいままでと同じように働き続けました。山に入り、薬草を採って家で煎じて村に売りに行く。祖母が亡くなる前も亡くなった後もずっと繰り返して来たは、圭介が居なくなってからもその繰り返しでした。山に入ればまた圭介に会えるかもしれない。そんな期待を胸に抱くものの、狼の巣は山の奥の奥にあるのでしょう。圭介はおろか他の狼の姿を目撃する事無く、時間だけが過ぎて行きました。


それからまた1ヶ月後の事。




雨続きの日々がようやく終わり、久々に太陽を拝んだは山に向かいました。冬はどんどん近付いて来て、冬支度をしなければいけなかったからです。はいつもより多めに薬草を籠に入れて帰ろうと立ち上がると、低い唸り声が聞こえて周囲を窺いました。見れば狼が何匹もを大きく囲むようにいました。その中に圭介の姿は無く、は籠を落として後退りました。徐々に狼達はに近付いて来ます。恐怖で怯えるになす術はありません。これまでだと覚悟を決めると、大きな咆哮と共に黒い影がの目の前に飛び降りて来ました。それはあの圭介でした。




圭介の姿を見た狼達は、一目散に去って行きました。は激しく脈打つ胸を押さえていると、狼はくるりと回って人の姿に変わりました。


「悪い。あいつら、この前来たばかりでの事知らなかったみたい」


そう告げる圭介には深々と頭を下げ、


「お陰で助かりました」


と答えました。圭介が困ったように頬を掻いて


「いや、こっちこそ悪いな。ここは俺の根城だから、には手を出さないように言い聞かせているんだけど」


と、言うと、


「色々して貰ってばかりで、その、何って言ったら良いのか」


ありがとうございますと返すに、堪え切れなくなった圭介は、がしっとの肩を両手で掴みました。


「あー、もう駄目。もう無理。、俺と結婚して!」


その言葉にはあの時と同じように目を丸くしました。圭介は照れ臭そうに顔を赤らめます。


「俺、ずっとの事、山の上から見てたんだ。薬草取りに来る可愛い子が居るなぁって。仲間にも手を出さないように言ってずっと見ているだけ幸せだったんだけど、あの時、の傍に近付いて見て見ようと思ったら迂闊にも罠に引っかかって。そしたらが助けて怪我の手当てまでしてくれて。俺、嬉しくてお礼しようと思って行ったんだけど・・・」


の事好きだって気付いた。そう言った圭介の顔はどこまでも幸せそうでした。しかし、すぐにその顔は暗く曇ってしまいます。


「俺はここの山の神様だから人の姿にもなれるけど、本当は狼の姿で人のと本来は寄り添える筈が無いんだ。だからこの間はそれに気付いて逃げてしまった。だけど、やっぱりの事が好きだ。俺と結婚して欲しい」


真剣な表情でそう告げる圭介に、は顔を赤くしてコクリと頷くと、圭介は顔を綻ばせてを一杯抱き締めました。


それから数年後。




山間の小屋に住む仲の良い夫婦の作る薬の効能の高さは評判となり、村から村へと伝わり、城からの使いが来る程になりました。しかし、夫婦は何故か城下町には移らず、一度家を大きくして、そこでずっと仲良く暮らしました。時は流れ、時代は移り変わり、平民でも苗字が名乗れるようになった頃。彼らの子孫は山の入り口から取って、山口と名乗るようになりました。彼らの子孫の中に偶然狼と同じ名前の子供が居て、その子供が後に薬売りの女と同じと言う子供と出会い結ばれるのはやはり運命なのでしょう。


今も昔も変わらずに仲睦まじく暮らす事になる2人の物語。最後はやはりこう締めるべきでしょう。めでたしめでたし。

































「どうかしら、ちゃん?」
「・・・・・・・・・・・・・どうって?」
ちゃん達の子供達に聞かせようと思って、作ったのよ」
「・・・・・・・母さん」
「なーに?」
「私、まだ15歳なんですけど?」
「もうじき16歳でしょ?・・・あ、圭ちゃんが18になるまで待たなきゃ駄目ね」
「どこまで気が早いんですか・・・」
「うふふ〜。早く産んでね、ちゃん」









「・・・・・・・・・・・・・なぁ、母さん。これなんだよ」
「ああ、それ?圭介とちゃんの子供に読み聞かせる為に作ったって」
「もしかしておばさんが作ったのか?」
「みたいね。・・・ま、高校卒業したら頑張りなさい」








「気が早過ぎ」



山口・家の一人息子と一人娘は、ほぼ同時に溜息交じりでそう言ったと言う。





(山口圭介&ヒロイン 高校1年生)