がその場所に着いたのは、待ち合わせ時間よりも大分前の事だった。
久しぶりに部活は休みだった。野球部で練習試合が2つ入った為、サッカー部の使用する第二グラウンドも使いたい。そう深々と頭を下げた野球部キャプテンの申し出を、翼は快く受けた。試合が近い訳でもなく、何かと交流のあった野球部の申し出を断る理由がなかった翼はクラスメイトでもあるキャプテンの礼儀正しい姿に、二つ返事で答えたのである。こうして休日練習が休みになった翼とは、何をしようかと夕食の時間に話していると、テレビ画面から流れた映画のCMに目を奪われた。
「これ、面白そうだよね」
「ああ、この監督は結構良い作品作るからね。今度の休みに見に行く?」
「行く!」
2人の久しぶりの休日の予定はこれで決まったと思ったのだが、当日になって翼は母親に頼まれごとをされた。
「僕1人で行ってくるよ。1人の方が早いから。戻るのは昼頃になると思うから、午後の部を見に行こうか?」
「あ、じゃあ、私、午前中、買い物してて良い?欲しい服あるし」
「OK。13時に駅前で待ち合わせで良い?」
「うん。じゃあ、13時待ち合わせで」
そうして2人は家の前で別れた。それから数時間後。
ショップ袋をいくつも抱え、待つ合わせ時間はキッチリ守る翼の性格も踏まえて最低でも10分前には待っていようと思ったのだが、
「・・・早く着ちゃった」
時計は12時30分を回ったばかりだった。
今からどこかで時間を潰そうにも、駅前の傍にはファーストフード店と言った飲食店がずらりと並んでいて、ここで時間を潰す事にしたは、ぼんやりと人の雑踏を見ていた。駅前で待ち合わせ場所と言ったら、今、が居るこの場所がメジャーで、よく見ればと同じように時計を気にしながら佇む人の姿がちらほら見えた。
その中で目を引いたのが、帽子姿の少年。年はとそう変わらないが、身長は20cm程高い。青の帽子を被り、Tシャツにジーパン、スニーカーと言うラフな格好で、顔立ちはクラスメイトに比べると精悍さのある整った顔立ち。顔の良い爽やかスポーツ少年と言った風体の少年だったが、が気になったのはそんな事では無い。
(あの人、どこかで見た気がする)
見た事があるのは間違いなかった。多分、1度か2度程度。しかし、は記憶を呼び起こすも、思い出せなかった。
(見た事は間違いないのに)
思い出せずにすっきりしない、喉に骨が詰まったような感覚を感じていると、ふとその帽子の少年と目が合った。不躾に見過ぎてしまった。そうは思ったのだが、相手は気にした素振りを見せずににこりと笑った。
(良い人で良かった)
そう思って、は向こうにぺこりと頭を下げると、気にしないでと言うように手を振られた。それに大してまた頭を下げると、は時計を見た。時計の針は12時45分を指していた。
椎名翼が西園寺の家を出たのは12時を少し回った頃だった。
(まったく、折角のデートなのに)
心の中で不満を漏らすものの、母親にも玲にも自分はまだ勝てない事を充分過ぎる程に理解している翼はさっさとと合流しようと足早と歩いた。今から駅前まで歩けば、13時ちょっと前には着く。待たせられるのは嫌いだが、待たせるのはもっと嫌いな翼は、時間に余裕がある事にほっとしていた。
駅前に着いたのは12時40分の事だった。待ち合わせ場所までここから5分程度。さっさと行こうと少し急ぎ足で進むと、ドンと衝撃が右腕に伝わった。遅れて少女の短い悲鳴。
「ごめん、大丈夫?」
翼がそう言うと、大丈夫です、と返って来た。手を貸そうかと思ったが、その前に少女は立ち上がる。身長は優に翼より10cm程高かった。銀縁の眼鏡を掛けていて、理知的な印象を与える少女だった。そんな事を考えていると、後ろから声が聞こえた。
「いたいた」
「ねぇ、良いじゃん。カノジョ、お茶くらい」
いかにも軽そうな服装に髪型、そして口調の男が2人。1人が慣れ慣れしく少女の肩に手を置こうとするが、ヒラリと少女は避けた。
「すいませんが、待ち合わせの相手が居ますので」
そうやんわりと断る少女は実にスマートだったが、相手もなかなかにしつこかった。見かねた翼が、行くよ、と少女の手を引こうとすると、翼の肩をもう1人の男が叩いた。
「こっちのカノジョも可愛いじゃん。ねぇ、俺らとお茶しない?」
お茶で済む筈が無いだろう、と翼は心の中で毒を吐く。折角のデートで朝から気分が良かったのに、用事を頼まれたり馬鹿な男に捕まったりと気分は下降する一方だ。どんどん悪化する翼の機嫌。男が翼の肩に腕を回した瞬間、翼の怒りは爆発した。身を少し屈め、腕を取り回す。梃子の原理を応用すれば、翼より身長が30cmは高い男でも簡単に投げ飛ばされた。もう1人が怒鳴るが、その汚い言葉の一言すら耳に入れる気は無かった。牽制するように翼も怒鳴り返す。
必殺のマシンガントークは不機嫌さによって通常の数倍威力が増した上、中学生ナンパして楽しい?ロリコン?と言うダメージがでかい単語が男達を襲い掛かり、戦意喪失した男2人を翼は一瞥した後、その見事なあしらい方に感心して見る少女の手を引くと、人込みの中に紛れた。
静岡から来たと言う少女は、偶然にも翼と同じ場所で待ち合わせをしていた。ここに来るのは初めてで地理に疎いようで、ここまで来たついでだと思って翼はそこまで案内する事にした。
「あの、もしかしてサッカーやってませんか?」
「・・・やってるけど」
歩く2人の間に僅かに沈黙が漂い始めた頃、突然の少女の質問に翼は少しだけ驚かされたが素直に答えると、納得したように少女は、立派なDFの足ですね、と言った。
お世辞にも翼の足は綺麗とは言いがたい。サッカーは足を削るスポーツでもあり、翼はDF、しかもセンターバック。接触も多く、足には大小無数に傷跡があったが、翼にとってそれは誇りであった。
「おかしな事を言うね」
「そうですか?」
この足を立派だと言った女は少女で『3人目』だった。大抵はその傷の多さに顔を顰める。中には可哀想と言われた事もあったが、翼にとっては余計なお世話だった。
「立派だったよ。頑張ったね」
ずっと昔、大怪我をして、包帯でぐるぐる巻きになった足。涙を流しながら優しく撫でたのはだった。
立派だった。その言葉が怪我で弱気になっていた翼を奮い立たせた。
こんな所で終われない。にはもっと上の舞台に立った自分の勇姿を見せなければいけない。の言葉が翼に宿り、それは力となった。
(や玲とどこか似てるのかもな)
立派だと言った2人目を思い出しながら、翼は時計塔まで辿り着く。この場所のシンボルとも言えるモニュメントを見れば、とその傍に青い帽子を被った男が1人立っていた。馴れ馴れしく話し掛ける男の姿に、翼は同行していた少女を置いて走り出していた。
山口圭介はその駅で降りると、待ち合わせ場所である時計塔を探した。どうやらここで待ち合わせする時には、この時計塔が1番わかりやすいのでよく利用されているらしい。確かに良く見ればその辺に同じように待ち合わせ中と思われる人の姿があちこちに見えた。
(まだ大分時間があるなぁ)
時計を見れば、まだ12時20分前だった。待ち合わせ相手、との約束の時間まで40分以上もある。暑さも手伝って、圭介は一度コンビニに入ると飲み物だけ調達した。よく冷えたスポーツ飲料を半分ほど飲んで、鞄にしまう。コンビニで少し時間を潰したつもりだったが、それでも30分を過ぎた所だった。
(まー、のんびり待つか)
圭介ももこの辺に関しては土地勘は無い。下手に動いて時間に遅れては大変なので、大人しく待つ事にした。
その視線に圭介が気付いたのは、時計が35分を過ぎた頃である。先程から見られている気がしてその方向を見れば、そこに居たのは可愛らしい少女が1人。圭介と目が合った瞬間、ビクリと体を震わせ、その小動物のような動きに愛らしさを感じた圭介は大丈夫と伝えようとにこりと笑った。すると少女はほっと安堵した顔になり、ぺこりと頭を下げる。丁寧な人だなと思いながら、気にしないでと手を振ると、再度頭を下げられて圭介はその姿に微笑した。
(礼儀正しい子だよなぁ。小さくて可愛くて、あー、千裕の好みってこんな感じだよな)
そんな事を考えていると、駅の出口からぞろぞろとスポーツバックを抱えた少年達が降りて来た。荷物や会話から察するに、どうやらどこかの中学校のサッカー部のようだ。試合に勝ったらしく、鼻に掛けた物言いが少し耳障りだった。どうやら駅前で解散らしく、散って行く。そんな中、際立って鼻に掛けた物言いの少年が商店街の方向に歩いていたのに、急に方向を転換して先程の少女の所に歩いて行くのが見えた。何となく嫌な予感がして見てると、ナンパされているのか、少女は困った表情で少年と話していた。やれやれと呟いた圭介は、帽子を脱ぐとその2人の方に歩いて行った。
「あれ?佐藤さん?久しぶり。俺、覚えてる?小学の時、一緒の山口だけど」
知り合いを装って話しかければ、圭介に気付いた少女はあからさまにほっとした表情になり、一緒にいた少年が睨みつけて来る。
「え?あ?山口くん?久しぶり」
飲み込みは早い方なのだろう。咄嗟に言った圭介の台詞に合わせる様に、少女は圭介の名前を口にした。
「久しぶりじゃん。元気〜?で、この人は誰?知り合い?」
「前にサッカーの試合で会った事がある人なんだけど」
「ふーん」
圭介がその少年を見ると、圭介の顔を正面から見た少年は驚いた顔に変えると「U−15の山口圭介?!」と叫んだ。
「おー、何だ。俺ってもしかして有名人?」
「有名人も何も・・・」
そこで少年は口篭り、きっと1度睨んだ後に走り去ってしまった。
「お陰で助かりました」
「いやー、何も無くて良かったよ」
礼を言う少女に圭介は笑うと、
「待ち合わせの人はまだ来ない?また、ああいうの来たら大変だろうから、来るまで俺一緒にいるけど」
「あ、もうじき来るかと思います」
「そっか。なら大丈夫だな」
「ところでさっきの人も言ってましたけど、U−15の山口圭介さんですか?」
「そうだけど、俺、そんな有名人?サッカーやってなきゃ俺の名前なんて知らないと思ってたけど」
「あ、私もサッカーやってるので。その、マネージャーですけど」
「そうなんだ」
そんな他愛も無い話をしてると、圭介は後ろから強く肩を引っ張られた。ボディバランスは良いのでよろめく事無く振り返ると、そこに居たのは下から睨むように圭介を見る人物。一瞬、女かと思ったが、足に見えるサッカーの傷や体つきから男と判断した圭介は、誰?と尋ねようとしたが圭介が聞く前に後ろに居た少女が答える形になった。
「翼」
走り出した少年に置いて行かれた形になったは、その方向を見ると、そこに居たのは少女と待ち合わせ相手の圭介。圭介の肩を掴み睨む少年を見て、何らかの誤解なりトラブルがあったと思ったは、急いでその現場に走った。
「圭介」
そうが名前を呼ぶのと同時に『翼』と言う名前が少女の口から毀れた。おそらくこの少年が翼なのだろう。名前を呼ばれた圭介と翼も、ほぼ同時に『』『』と名前を呼んだ。そのタイミングの良さに圭介と翼は微妙な表情に変わり、とは面白そうに笑った。
「何があったの?」
そうと圭介に尋ねると、がまず待っていたら男に絡まれたと説明し、圭介がそれで俺が知り合いを装ってと経緯を説明したのである。少し不満そうな表情ではあったものの、礼を言う翼。同じ男として気持ちはわかると言った圭介は、どういたしまして、と言うとの方を見てにこりと笑った。
その笑みの意味がわからず、不思議に思ったものの笑い返すと、翼は溜息を吐き出して表情を切り替える姿が見えた。
「圭介、もう13時過ぎたけど」
「マジ?!」
の言葉に圭介が時計を見ると、確かに13時を10分程過ぎていた。
「やばっ!試合に間に合わなくなる」
「急がないと」
「おう!」
の手を掴んだ圭介は翼達を一瞥すると、デート頑張れよ、と言って走り出す。が2人にお辞儀をすると、圭介に引っ張られる形で走る事になった。余計なお世話、と言う翼の呟きは遠ざかる2人には届かず、だけに聞こえた。
目的地まで直通の電車に乗り込む。休日でありながら所々空席が目立つ車内。空いている座席の1つに座ると、達は息を吐いた。運動を得意とする2人には大した距離では無かったが、それでも時間との戦いで気持ちが切羽詰っていたのだろう。間に合った事に息を吐き出すと、電車はゆっくりと動き始めた。
「セーフ」
「何とか間に合ったね」
東京とはいえ今乗っている電車はそう本数が多い訳では無い。1つ乗り遅れたら20分は待たされるので、走らなければいけない事情があった。
「可愛いカップルだったね」
「そうだな。・・・そういえば何であの翼って奴と一緒に歩いて来たんだ?」
「ああ、ぶつかって。その時に時計塔の場所を聞いたら案内してくれたの。自分もそこで待ち合わせって言うから」
「ふーん。凄い偶然だよなぁ」
「そうだね」
「案外、またどこかで会ったりして」
「多分、会うと思うよ。翼って人、多分、かなり上手いDFだと思う。今年辺り台頭して来るかも」
「の勘は当たるからな。そういえば女の子の方はマネージャーって言ってたぞ。今年のトレセン辺りで一緒に会えるんじゃないか?」
「そうかもね」
「その時は久しぶりって言ってみるか」
「良いね、それ」
そんな事を話す2人を乗せた電車は、ゆっくりと目的地目指して走っていった。
そして同時刻。
「お似合いの2人だったね」
「まぁね。しかし、こんな所でU−15の山口圭介と会うとは思わなかった」
「どこかで見た事があるって思ったら、雑誌に書かれてた激ウマサッカー選手なんて。気付いた時にはビックリしちゃった」
「ま、僕も今年はU−15に選ばれるから、しっかり見てなよ」
「勿論!」
偶然出会った2組。彼らが再び顔を合わせるのは、3月のトレセンの時。玄関ロビーで顔を合わせた圭介と翼。
「久しぶり、覚えてるか?」
「当たり前だろ。僕を誰だと思ってるの?」
そんなやり取りをする後ろでとが互いに自己紹介をするという光景を、東京と東海の選手達は目撃する事になる。
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Be With Youの香耶さんとのコラボ作品。
名前入力のあった翼の家に住む女の子は、香耶さん家のPrismのヒロインちゃんです。
赤いペアピンと向日葵が似合う可愛い子なんだよ!
圭介とヒロインと絡めて良かったー。
香耶さんありがとー。