「やられた」


通された部屋に荷物を置くと、俺達は同じタイミングでそう呟いた。




毎年、夏になると山口家は旅行に行く。その切欠は小学校の俺の一言。小学校時代、友達の大半が夏休みになると遠方の祖父母の家に旅行がてらに出かけるのだが、俺の両親は揃って静岡の出身――しかも隣町同士だ。せいぜい買い物気分にしかなれない。あれは3年生の時だっただろうか。やけに絡んでくる鬱陶しいとしか思い出せないクラスメイトの1人が、自分が行った所が如何に楽しかったのかを頼んでもいないのに語るのだ。俺は無関心を装いながら聞き流す振りをするしかなくて。親に思い切って言ったのを覚えている。


「俺、旅行行きたい」


そうして俺は旅行に行ける事になった。それは翌年、更に翌年と続き、いつの間に旅行は山口家の恒例行事となっていた。そのうち、それはお隣の家を巻き込んだ賑やかなものになり、そして現在まで絶える事なく続けられていたのである。




さて、今年の旅行先は熱海だった。同じ県内であったが、初めての旅行先という思い出深い場所であり、最近疲れ気味と漏らす両親達の要望を汲んでの選択だった。


小学生の頃は温泉なんてただただ熱いだけで、入って体と髪を洗ってさっさと上がってしまう場所であったが、高校生になった今では多少楽しみを覚えて、それなりに長湯するようになっていた。今回の宿泊先には立派な露天風呂もあると言う。楽しみだなと俺が言えば、横に座るも同意する。


長い幼馴染期間を経て、今年の春にめでたく恋人関係になった俺達だったが、そういえばそうなってから旅行は初めてだったと思い出す。楽しそうに笑うに笑い返すと、ふと視線を感じて前を向いた。


にやにやにや。助手席から顔を覗かせる父さんがにやけ顔でこっちを見ていた。ああ、これだから付き合い始めた事を知られたくなかったのに。長い間、というか下手をすれば生まれた瞬間から、将来一緒になる事を望まれていた俺達が、15年後にようやく互いに恋愛状態に落ち着いたのだ。親としては思い通りに行って、にやにやが止まらないのだろう。だけど、こっちも恥ずかしいものは恥ずかしいのだから、せめてこう・・・なんて言えばいいのだろう。俺達に気付かれないように、影ながら暖かく見守ってくれないかと思ってしまう訳だ。あー、まったく本当、と心の中でこのもどかしさを言葉に出来ないまま、俺は温泉街の街並みをガラス越しに眺めるのだった。







旅館に到着した俺達は既にチェックインを済ませた両親の後に続いて、3階の廊下を歩いていた。湯治場であるこの旅館は古びた所を感じされられるが、旅行客専用の調理場や洗濯場が備わっており、通り過ぎる度に交わされる挨拶が心地良い。少し前にアニメで見た、神様が集うお湯屋の建物みたいだと思う。下の階を望める手摺や各階に設置された宴会場から伝わる賑やかな雰囲気がテレビの向こう側の世界と同じようだと感じていると、前を歩く両親が立ち止まる。どうやらここが俺達の部屋らしい。父さんとの母さんがそれぞれ鍵を使って中に入る。俺達もそれに続こうとすると、母さんに呼び止められた。


「はい、あんた達の鍵」


ぽんと手のひらに乗せられるのは、旅館の名前入りの緑色のプラスチックの飾りの付いた鍵。存在を主張するように、チェーンと鍵がカチャリと小さく鳴る。


はい、って・・・ちょっと・・・まさか・・・。


俺の予感を裏切らず、母さんは手をひらひら振ると、そのまま父さんが入って行った部屋の中に行ってしまった。ぽつん、と残された俺の肩に大きな手のひらが乗せられる。


「止めたんだが、無理だった」


両親達の中では常識人の部類に入るおじさんがそう漏らした。決して大人しい訳でもない人なのだが、テンションの上がったおばさんを始め、押し切られる事が多い人だ。今回もまた押し切られたのだろう。


「いや、てか、これ不味いでしょう」


年の頃の男女が2人きり。旅先の部屋で2人きり。しかも1晩一緒な訳で。いや、俺ももまだ高校入ったばかりだし、隣の部屋に両親いるのにやましい事はしない!ああ、しないとも!ペレに誓ってもいい!!


そんな俺におじさんはじっと俺を眺めた後、まぁ、圭介なら、と爆弾発言を落とした。父さん、と横でが心底呆れたように呟く。娘に白い目で見られて、感情豊かとは言えないおじさんの表情が慌てたものに変わる。


「まぁ、母さん達もそのうち落ち着くと思うから・・・頑張れ」


ぽんぽんと俺達の頭におじさんの大きな手が乗せられ、慰めるように数度撫でられると、おじさんも部屋の中に入って行った。


「とりあえず部屋に入ろうか」


溜息を1つ吐いてからが俺を促した。そうするか、と俺も頷いて、渡された鍵と同じ番号の書かれたドアの鍵を開けた。俺が先に入り、が後に続く。ぱたん、とドアを閉める。荷物を置いて、部屋の中央に置かれたテーブルに上体を預けて前のめりに倒れると、も同じように倒れた。


「やられた」
「やられた」


一字一句違わない言葉が同じタイミングで漏れる。何だか先が思われる1泊2日になりそうだった。







神様に誓ってまだ手は出しません!!







続きます。ペレはサッカーの神様と呼ばれた人物の名前です。