その日、城下町でお忍び中のジャスティン=ロベラッティは暗殺者数人に襲われた。襲撃自体は日常茶飯事の事で、大して驚きもしなかった。国内屈指の剣の達人であるジャスティンは脇に差した愛剣を抜いたのだが、抜いた途端に周囲に居た暗殺者達が吹き飛ばされ、路地裏の壁に叩き付けられた。突然の事に何事かと後ろを振り返れば、そこに佇むのは杖を持った魔法使いの女。顔立ちから見ておそらく20歳になるかならないかの程。少女と呼んでも差し支えの無い女は溜息を軽く吐き出した後、杖を暗殺者の1人に向けてこう言った。


「あー、もう、久々に大量に殺気を感じたから問答無用で撃っちゃったじゃないですか」


それがとジャスティン=ロベラッティの出会いだった。




の魔法の腕を気に入ったジャスティンは、第一王子の賓客として彼女を城に滞在させた。半ば無理矢理連れて帰ったようなもので、毎日城を辞しようとすると、それを拒むジャスティンのやり取りはこの数ヶ月ですっかりお馴染みのものになってしまったが、未だにも周囲の人間もジャスティンが彼女の何を気に入ったのかわからずにいた。


「今まで色んな王族を見てきましたが、ここまで暗殺者に狙われてる人、初めてですよ」
「手馴れているな」
「ああ。まぁ、慣れですよ。こんなの」


魔法でバッサバッサと暗殺者を倒すの横で、ジャスティンは剣も抜かずに腕組みをしながらその光景を眺めていた。に対してかなりの信頼を寄せているのだろう。気難しい主の信頼をたかだか数ヶ月で得てしまったを傍で仕えたマーシャルは複雑な思いで見る。


「しかし骨が無い」
「言ってくれるな。仮にも王城に侵入出来るだけの腕はある」
「積む物さえ積めば入れますよ、この程度の城なら」
「・・・・・・」
「成人した王子が2人いて、王が未だに後継者を指名をしていないなんて他国じゃありえませんよ。そもそも王が従属した本国にずっといる時点でおかしい。本国との繋がりの強化と人質としての価値なら、王子1人で充分な筈です。施政者が他国に居るなんて本当信じられませんよ。しかも、王子同士の仲は険悪で、貴族は日和見。だから争い合い、これ程簡単に暗殺者が城に入り込む」
「今日は随分と多弁だな」
「下らない事、この上無い事に貴方がつき合わせているからでしょう?」


フン、と鼻を鳴らしては憤りを露にする。王族に対する不敬罪と取られてもおかしくない態度だったが、顔色1つ変えずにはジャスティンを睨み付け、それに対してジャスティンは凶悪な笑顔で返した。傍から見れば気の合わない同士にしか見えないだろう。しかし、はともかく、ジャスティンのその凶悪過ぎる笑みは心を許した一部の人間(マーシャルなどの腹心)にしか見せないもので、それを見たマーシャル達はまた歯痒い思いで2人を眺めていた。




そして、滞在日数がもうじき半年になろうとしていた今日。



「はい」
「結婚しろ」


さらりとその爆弾は投下された。







さて、はとても困っていた。それはそれは物凄く困っていた。困ってたはいたが、長年の様々な経験のお陰でポーカーフェイスが若干崩れた、少しだけ困った顔に留まっていた。


「王子」
「ジャスティン、だ」
「ジャスティン様」
「何だ?」
「とりあえず、何で上から目線なのかとか、命令形なのかとか、断ったら殺すと目で威圧してくるのとか、面倒なのでこれらは全部無視しますね。とりあえず、まず先に聞かせて下さい。正気ですか?」
「正気だ。・・・・・・いや、今の俺は正気じゃないかもしれない。俺は今、恋の病に侵されている」
「・・・マーシャル、熱、計って」
「いらん。触ると火傷するぞ、マーシャル」


物凄い凶悪な笑顔で言ったジャスティンに、マーシャルを始めとする侍従達が固まった。中には顎が外れるんじゃないのかというくらい、あんぐりと口を開けて呆然している者もいた。流石に侍従長を務めるマーシャルも幾許か顔は強張っているものの、命令に従って控えていた位置にすぐ戻った。コールドナートは引き攣った顔を元に戻そうと必死で表情筋を動かし、余計酷い顔になっていた。それらを見た後、はジャスティンの顔を一瞥して思った。


(不味い、ジャスティンが壊れた)


真面目で硬派で不器用な男だったのに、目の前にいるのは色々とネジがあちこちに飛んでしまって発言が色々とぶっ飛んだ男だった。飛んだネジは一体どこに行ったのやら。厄介になったとは内心で嘆きつつ、この状況を如何にして面倒なく乗り切るか考えた。


「病ならば医者に治させましょう。誰か典医を」
「要らぬ。医者でも草津の湯とやらでも治せぬのだろう?」


(どこで調べやがった、あの野郎)


顔には出さないが内心では苦虫を潰したかのような苦々しい思いで考えを張り巡らせていると、その細い両肩を沿える手が現れた。確認するまでもなく、勿論、ジャスティンである。


。俺は正気だろうと無かろうと本気だ」


剣呑さを含んだ目が細められる。仮にもプロポーズの対象を脅すとは。


「ジャスティン様の本気しかと確認させて頂きました。しかしながら私はその申し出を受ける訳には参りません」
「何故だ?」
「貴方が王族だからです」
「・・・だからなんだというのだ?」


ジャスティンとの間の空気が険悪なものに変わって行く。ここまで来ると最早腹心のマーシャルでも手の出しようが無く、黙って見ているしか無かった。


「私の身元は既に貴方の優秀な部下達が総力を挙げて調べたと思います。・・・まぁ、肝心な事は何1つわからなかったと思いますが」
「ああ、そうだな」
「それで大体見当がついたでしょう?」
「ああ」


マーシャルがの身の上を洗った際、その報告書に目を通したが、は短期間の間に様々な国の王族に仕えていた。主に臨時の家庭教師か魔術師としてだが、大層優秀だったらしく、辞する際にはどの国でも大層惜しまれたらしい。そう記載されていたが、王族に仕える前の情報が一切わからなかった。どこで生まれ、どこで育ったのか。

の立ち振る舞いは隠していても分かる程の洗練されたものだ。施政者寄りの思考能力に加えて、王族であるジャスティンに対してこの態度から考えても、本来は王座に近い王位継承権を持っていた可能性が高い。そして調べても出て来なかったという事から考えるに、王位継承権を捨て、自らの履歴を消したのだろう。そんな彼女が王位継承権を持つジャスティンと結婚するか。答えは否だ。


「なるほど。俺を試すか」


結婚したいならば王族を辞めろとは言ったのだ。王位を巡って腹違いの弟と今も争うジャスティンに向かって。その事に気付いた侍従達は嘗て無い程鋭い視線をに注ぐのだが、は知らん顔で大分前に出された紅茶を飲んでいた。


(本来ならば王座など興味が無いジャスティンがここまで拘るのは、母親を弟に間接的に殺された事が原因だろう。王族としては甘い所もあるが、優秀な部下達が集まるのも王の資質だろう。エドワルドが進む道が王道なら、ジャスティンが進む道は正道とでも言おうか。・・・まぁ、これで諦めてくれるだろう)


思考の海から抜け出すと、はちらりと正面に座るジャスティンの顔を見た。てっきり俯いているか、怒りに染まっているものと思っていたが、余裕たっぷりの皮肉さを含んだ笑みだった。


は後に己の認識の甘さを後悔する事になる。




!兄上がと結婚して王位継承権を放棄するどころか王族を辞めるって聞いたんだけど、嘘だよね!こちらの陣営を動揺させる罠だよね!!」


本来ならばメイド長がこちらにお伺いを立ててからスケジュールを合わせて来訪するのが筋なのだが、そんな物をすっ飛ばしてにあてがわれた部屋にやって来た第2王子であり王位継承権第1位であるエドワルドは、やって来た早々の姿を見つけるや否やその肩を掴んでガタガタと震わせながら噂の真相を問い質した。異変に気付いたジャスティンが即座に現れて(の部屋はいつの間にかジャスティンの部屋の隣に移動していた)己の未来の妻に不貞を働く弟を剣の錆にしてやろうと抜刀した所をシエラ率いるメイド部隊に阻まれて、そこに侍従達もやって来て。混沌とした室内では泣きながら


「兄上を僕から奪わないでー」


と叫ぶエドワルドに


「もう面倒なのでさっさと和解して下さいよ」


と呟くのだった。