図書館で偶然出会った男はなかなかに興味深い男だった。図書館で長話をする訳にも行かないので、移動したのは近場の喫茶店。店内の女性の視線を集める程の美形と言うのは、一緒にいる身としては嫉妬じみた視線に晒されるので私からすればマイナス点ではあったが、博識で会話が面白く、なりよりも本の趣味が合う。このまま読書友達として出来るならお付き合いしたいものだが、こういう人間に限って面倒なタイプだったりするのだ。ネテロのじーさんもそうだし、ジンもそう。唯一、カイトだけはまともだったけれど、本の趣味は見事に一致しなかった。おそらく今回も面倒なタイプなのかもしれない。話題は尽きない。が、いつまでもそうして居る訳にもいかないだろう。レースカーテンの向こう側はいつの間にか薄暗い。適当な言い訳をしてようやく別れたのだが、背中に感じるのは独特な視線。さっきの男だろうか。人混みを利用し、撒く。常人なら決して付いて来れない筈だが、視線はいつまで経っても外れなかった。軽く嘆息し、地下通路から上に出る。出た先は歓楽街。開店するにはまだ早いのだろう。人が疎らな中を道を歩き、路地裏に入って足を止めれば、こちらの意図を理解していたのだろう。視線の主がゆっくりと姿を現した。


「何かまだ用?」
「勿論」


にこりとしか笑わなかった青年が、ニヤリ笑った。底意地の悪さが窺える笑みだ。


「さっき『アールグレイの憂鬱』の話をしてくれただろう?」
「したね」
「お前の話は未公開の第4部だ。あれを読んだことがあるのは発見した大学の研究チームの人間とその関係者、それとその後盗んだ人間ぐらいだ」


俺ですら読んだ事がない。憮然とした顔でそう言った男に思わず吹き出してしまった


「あーあ、失敗したなー」
「お前がクロムか?」
「まぁ、周りにはそう呼ばれてるねー」


自分でも軽いと思う返答に、憮然顔の男の眉間に更に皺が寄った。泥棒家業に精を出していたら、いつの間にか怪盗クロムなんて妙な名前が勝手に付けられていた。エメラルドやグリーンガーネットとか主に緑色の宝石を主に狙っていたから、クロム(緑の宝石)なんて名前になったのだろうけど、こんな事なら自分で名前考えた方が良かったのかな。でも、いつ名乗るんだ?犯行予告状でも出すのか?有り得ないだろ。


「名前は?」
「んー、クロムで良いよ」
「本名は?」
「じゃあ、クロムで」


そう返せば、首を狙った見事な一撃。後ろに退けば鳩尾狙いの蹴り。避ける事に関しては自信があるので避けて距離を取れば、不機嫌極まりない鋭い目をした男がそこに立っていた。なんだ、こいつ、結構短気か・・・って。


「久々にここまで強い人とぶつかったなぁ」


ぴりりと肌を刺す殺気交じりのオーラ。凝をしなくてもわかる程、鮮烈かつ強烈。やばいかもと呟き、腰からナイフを取り出せば、金属同士のぶつかる音が路地裏に響いた。


「あー、まさか」
「ベンズナイフの6番と66番?!」


答える前に男が答えてくれた。ご丁寧に番号まで。


「お詳しい事!」
「お前も詳しいんじゃないのか?」
「そのナイフがベンズの中期としかくらいしかわからないよ」
「そうか」


突き出されたベンズナイフを自分のベンズナイフで受け流す。私のナイフは斬る事に特化したフォルムに対し、向こうのナイフは裂く事に特化したフォルムだった。毒が塗られてもおかしくない。毒耐性はあまり持っていないので、一撃貰ったらおそらく負けるだろう。


「何のつもりだ?」
「見ての通り」


腰のホルダーに握っていたナイフを仕舞い、空になった手にオーラを集中する。即座にナイフを構え、ナイフに周をする辺り、この人戦い慣れている。オーラ移動が物凄く速い。それだけ修行したんだろうけれど、私とそう変わらない歳でこの完成度は努力の枠に収まらない才能だ。

手の中に現れた塊を床に転がす。バラバラと転がるのは透明な正方形の塊。6個のダイス(サイコロ)だ。ナイフを仕舞ってわざわざ出したのだ。ただのダイスとは男も思わなかったようで、距離を取って念能力を窺っている。頭の回転が良くて助かったと足元を見れば、6が3個、2と4と5が1個ずつ。うわ、よりによって1番悪いのに当たった。


「趣味が合う人間って嫌なんだよ。話していて楽しいけど、大抵しつこくて厄介で、・・・・・・強いんだ。だから悪いけど逃げる」
「逃がすと思うのか?」


路地裏と言えど先を進めば行き止まりだ。周りはビルで囲まれており、壁を壊すにしてもビルに飛び移るにしても数秒掛かる。勿論、そんな隙を与えてくれるような相手ではない。


「普通なら逃がしてくれないだろうねー」


語尾を間延びさせて言えば、先程とは段違いの速さで切り掛かって来た。完全に避けたつもりだったが、見切りが甘かったらしい。亜麻色の髪がパラパラと毀れた。


「あーあ、酷い事をする。髪は女の命なのに」
「逃げようとする方が悪い」


しれっとした顔で言う男に僅かな苛立ちを覚えるものの、それが狙いなのだろう。挑発するように重ねられる言葉に肩を竦めてしまった。


「やれやれ」


溜息一つ大袈裟に吐くと、オーラを帯びた手で顔を軽く撫でた。男が目を丸くする様に少し気分が良くなる。


「それがお前の念か?」
「これも俺の念だよ」


男が驚くのも無理は無い。先程までは亜麻色の髪の清楚な女性だった筈の外見が、真っ赤な髪の目付きの鋭い男に変化したのだから。


「顔だけで俺を探すのは不可能って事。と、やっと時間だな」


ふわふわと胸の辺りまで浮くダイスを片手で6つ摘む。増したオーラに少しだけ距離を取った男にもう会いたくないなと伝えれば、また会うさと返された。凄い自信だよ。


「世界は広いから無駄だよ。発動『盤上の始まり(ダイスリード)』


裏路地の薄汚れた光景が一瞬にして見慣れた光景に変わる。自宅という自分の領域に戻り、途端に感じた安堵感から、緊張感から一気に解放され思わずそのまま座り込んだ。


「はー、久々に強い相手だった」


勝てるか勝てないか久々にわからない相手だった。最も苦手とする強化系では無いとは思う。どちらかと言えば奥の手を1つも2つ持った、どちらかと言えば自分に似たタイプだろう。


「特質系か?」


だとしたら厄介だ。特質系は最も念の能力の予想が付かない上、厄介な能力者が多い。相手の発レベルのオーラは見ていないので、おそらく何か仕掛けられたという事はまず無いが、どうするか。どうやらクロムを探している時に偶然出会ってしまったようだが、ほとぼりが冷めるまでこの街を出るか。いや、交通機関を張っている可能性がある。網に掛かるのを待っているかもしれない。走って移動してもいいが。悩んだ末にダイスで決める事にした。悩んだ時はダイスだ。1と2が多いなら街に残留。3と4なら街を交通機関で脱出。5と6なら80キロほど先の都市まで移動。具現化したダイスを6個振る。転がり合いぶつかり合ったダイスの目は2が4個、5が1個、6が1個。現状維持決定。それでも図書館だけは避けておこう。シャワールームに移動。ついでに念の変装を解いた。