飲食店が立ち並ぶ一角。広場に面したオープンカフェは昼食時と言う事もあり、多いに賑わっていた。その中にいる1組の男女。男はカッターシャツにスラックスと言う軽装ながらシックな装いだ。周囲の異性の視線を一身に浴びるだけの容貌を備えており、語る言葉は文学的であり哲学的だった。対する女はジーンズにパーカーと言うラフな格好だ。注意深く見れば整った顔立ちだとわかるが、丸眼鏡とボサボサの髪が垢抜けなさを強調していて、男と不釣合いだと周囲から失笑を買っていた。だが、紡がれる言葉は非常に理知的で男を満足させるだけの知識の持ち主だった。



「俺は『グレーデンの猫』の作者は己の過去を作品に投影しながらも、結末まで一緒にしなかったのは作品に救いを求めたからだと思うんだ」
「そうだとしたらかなりの破滅願望の持ち主ですよ。作者のクローヴィスの実体験では妻と2人の娘に捨てられるだけに留まっていますが、作品のクローヴィスをモデルにした主人公は最後に拳銃自殺をしています。死よる救済を求めたのに、結果は未遂。下半身不随になり、車椅子に乗って世界を恨みながら生き長らえるラストはあまり気持ちが良い物ではありませんでしたが、言葉1つ1つに気迫を感じました。まるで作者よりも不幸な人間を自らの手で作り上げようと―――ああ、だから救いなのですね」
「ああ、俺にはまったく理解出来ない感情ではあるが、自分自身をモデルにして実体験よりも過酷な結末を綴った事から察するにおそらくそうなのだろう」
「それならばクローヴィスがこの作品以降、本を書かなかった事も納得出来ます。彼は作品を完成する事で負の感情を昇華してしまったのですね」
「本に全て注いでしまったのだろう。完成後は作品を1度も読まなかったと聞くが、これが俺には理解出来ない。君にはこの作者の行動が理解出来るか?」
「これと言う確信がある訳では無いですが、おそらく作者は負の感情に再び囚われるのを恐れたのでは無いでしょうか?」
「負の感情と言うのはそれ程悪い物なのかな?」
「・・・私はそう悪い物では無いと思います。暴食、強欲、嫉妬、憤怒と言った言葉は響きとしてはあまり宜しくありませんが、お腹一杯食べたい、あれもこれも欲しい、羨ましい、腹が立つと言った感情を原動力に為せる事もあるでしょうから」
「そうだな。差し詰めここの店主は美味しい珈琲が飲みたいと言う感情に駆られて、この味を出せるように努力したと言う所か」

男が美味いとカップを傾ければ、楽しそうに女も笑った。

「何か追加で頼もうか?」
「そうですね・・・」

文学を愛する者同士の語らいは穏やかに和やかに進むも、それを邪魔するかのように無機質な携帯の音が男の胸ポケットから鳴り響いた。僅かばかり眉間に皺を寄せながらも、すまないと断りを入れて男が席を立つ。するとすぐに女の鞄からも電子音が鳴り響いた。こちらは短く、女が止める前に鳴り止んだ。

「すまない。折角の楽しい一時だったが、急な仕事が入った」
「いえ、お気にならさず。同好の士と語らえて楽しかったですよ」
「俺もだ。またこの街に来たら連絡するよ。・・・これ、俺のメールアドレス」
「また語り合えるのを楽しみにしていますよ」
「ああ。・・・次は『ヘッケルの肉』か『魔女の毒』について話したいな。読んだ事はあるかな?」
「ヘッケルはありますが、魔女の毒はまだですね。現存する冊数も大分少ないと聞きますし」
「良かったら今度来る時に貸してあげるよ」
「え!良いんですか」
「ああ、その代わり『カズラルド家の火刑』を今度貸してくれないかな」
「勿論!」
「次会う日を楽しみにしているよ」

テーブルの上にあった伝票を取ると、ウィンク1つ女に落として男が席を立つ。遠慮する女を笑顔で黙らせると、支払いを終えて上機嫌で広場へ歩いて行った。人の雑踏にカッターシャツを着た後姿が消える。それを確認した上で女は鞄から携帯を取り出し、先程のメールの送り主に電話を掛けた。

「電話に出るのが遅い」
「仕方ないでしょう。他の人と一緒だったの」
「え?誰?」
「ジェイドの知らない人」
「何、それ、むかつく。の彼氏?」
「違うよ。図書館で会った人」
「ナンパ?」
「違うよ。彼が借りたがっていた本を私が返却しようとしてたから話しかけられたの」
「場所、図書館?それにしては煩いんだけど」
「図書館の傍のオープンカフェだけど」
「やっぱりナンパされてるじゃん」
「ナンパじゃないって。ただ本の話をしていたら司書さんの顔が怖かったから移動したの。・・・それよりも用件何よ?」
「ああ、例の連中の次の仕事内容わかったよ。の勘通り、結構やばい」
「何?曰く付きなの?」
「違う、人間」
「うわお」
「このまま放って置いたらどうなるか結末は見えているし、なら当然動くだろう?」
「トーゼン」
「じゃあ、メンバーに召集かけておくよ」
「レベルAだって言っておいて」
「了解。それじゃ、いつもの所で」
「うん、じゃ、また明日」

電話を切るとも席を立つ。掌に握られた小さな紙切れに書かれたメールアドレスを携帯に登録すると、指で細かく切り刻んで風に飛ばした。次この街に帰って来る前に彼から連絡が無ければ良いなんて考えながら、飛行場に向かうべくタクシーを止めるために手を上げた。