カズラルド家の火刑という本がある。

作者は不明なので、本の背表紙には翻訳家の名前が記されているだけだ。300年前、ヨーロピアン大陸のベルギス王国(現在のベルギス共和国)のキリギッテ朝時代に書かれたとされる書物で、この王朝時代、王宮に勤めた貴族が作者では無いかと推測されている。当時の王宮の生活様式や儀式、王族について、かなり詳細に書かれているので、作者の貴族としての地位はかなり高かったのではないかと思われている。作中に存在する王朝名や貴族名は実際のものとまったく一致しないが、歴史的事実と照らし合わせて見ると登場人物と境遇が一致する人物が多数居るので、偽名を使ったノンフィクションの可能性があるとされている。表向きは王宮の王族専門の家庭教師。裏の顔は国王専属の諜報組織の長。そんな主人公、デニス=カズラルドによる腐敗した貴族を闇から闇に葬り去るその生々しい手法や描写がマニア受けしている。




マニアは総じて己の趣味について語りたがる傾向がある。如何にソレが素晴らしいのか、1人でも共感者を貪欲に求めるかのように紡がれる賛美の言葉は尽きる事はない。かの幻影旅団の団長もその例に漏れなかったようで、一週間振りに会った途端に貸した本の素晴らしさを滔々と語り始めた。気分がかなり高揚しているようで、顔が少し赤い。そのお陰で先程から周囲の視線を集めていた。チラチラと窺う程度なら可愛げがあると思える。しかし、大半が凝視していて、時折私にまで嫉妬の視線を投げて来る。実(げ)に怖いのは女の嫉妬だとヴァージニアが言っていたが、ようやく納得出来た。顔は良いからなぁ。この人(団長)。


本を語る彼の言葉を聞いていると、格調高いオペラを聴いている気分になる。発せられる言葉の端々から博識さが滲み出ている。おそらくかなりの言語を習得しているのだろう。知識量だけで言うならば、その辺の学生など足元にも及ばない。本を満足に読むには、充分な語学力と歴史考察力が必要だ。本によって文字もその背後にある歴史的背景も異なる。1冊1冊違うそれらを理解しようと思ったら・・・どれだけのモノが必要とされるかわかるかと思う。


幻影旅団の盗みのターゲットはこれといって決まっていない。ある時は名画、ある時は宝石、またある時は書物。古い方が良いという訳でもなく、呪われている品を好んでいるようで、ゲテモノに分類される人体の部位なども盗んでいると報告書に書かれていた。おそらくは団長の趣味なのだろう。


顔も良い、頭も良い、おそらく金もある(盗品だろうが)。でも趣味が悪い。クロロ=ルシルフルを私が一言で纏めるのなら、残念な美形。これに尽きる。いやはや、勿体無い。何が勿体無いかわからないけれど。


「―――と、非常に興味深い本だったよ」
「・・・気に入って頂けて良かった」

ここまでの所要時間、1時間強。席について注文してからずっと彼の一人舞台だった。その間、私がやっていた事と言えば頷きと相槌を打つ事くらいか。下手に途中で遮ると面倒な事になるとビシビシと勘が訴えて来たので、もう好きにさせておこうと思った。その態度のせいで彼にますます気に入られたようだ。おそらく旅団内に彼の趣味の理解者は居ないのだろう。

この程度ならまだ許容範囲内だ。

「そう言えば魔女の毒はどうだった?」
「今まで魔女メディアについての本は何度か目にしましたが、今回の本は新鮮でしたね。あまりに斬新過ぎて荒唐無稽な話かと思いました。しかし、ラストのアレは何とも小気味良い」
「ハハッ、やっぱりアレは良いな」
「ええ」

互いに邪気も悪意も欠片も無い笑顔で笑い合う。本当、これで悪名高い幻影旅団の頭でなければ、もう少し―――。




ゾクリ、と背にナニカが走った。悪寒と言うには生温い。濃厚な殺気ならば体が勝手に動く。けれど私の体は動かない。これが起きるのも久しぶりだ。死神の鎌が首に掛けられたかのような、ジリジリと感じる絶望数歩手前の焦燥感。

「どうした?」

私の豹変と言っても良い変化に気付いたクロロが私の顔を覗き込む。心配そうな顔だった。目元も。目に映る光さえも。その全てがフェイクなのだから器用な人間だと思う。

「すいません。こう背中にぶわりと嫌な感じが走って」

顔色を窺う事に長けた人間に敢えて事実を告げ、背中に手を伸ばして数度撫でる。勿論、これもフェイクだ。一般人の振りも楽では無い。

「大丈夫か?」
「ええ」

何だったのでしょうね。そんな風に独りごちる。さて、この雰囲気の中でどうやって席を立つか。ベタだが病気な家族に何かあったという事にするかと頭を働かせていると、短い間隔でなる電子音。私ではない。クロロのだ。

「はい」


胸ポケットから携帯電話を取り出す。以前は携帯に鳴った際に席を外したのだが、今日は椅子に座ったままだ。


旅団員からの緊急連絡


頭を掠めた言葉に顔を盛大に顰めたくなった。クロロの前で押さえるが。

「・・・わかった。そっちに向かう」

交わす言葉も少なかったが、それでは話は伝わったらしい。1分にも満たない間に電話は切られた。

「すまないが・・・」
「お仕事ですか?」
「ああ・・・」
「それなら仕方ないですよ」

伝票を手に取り、クロロに向かって手を振る。余程、急いでいるのだろう。

「すまない。また電話する」

それだけ告げると身軽な彼はあっと言う間に群集の中に紛れて行った。私も席を立ち、清算してその後に続く。歩を進めながら携帯を掛ける。コール2回で相手はすぐに出た。

「ジェイド。レベルSS発生!スカル以外の全員に連絡後、私の携帯の位置を割り出してこっちに向かって!」
「ちょっと!あの馬鹿何かやったの?!って、あいつ!!」
「蜘蛛に捕まった」

それだけ言うと私は携帯を切った。全身を循環し続ける血液。それを沸き立たせるように念じれば、ブラックオブボンゴレはより明確な形で私の頭に今の状況を告げた。

急がなければ不味い。向こうには記憶を読み取る能力者が居る。クロロの目的地を割り出して、進行方向を変える。これでおそらく追尾には気付かれないだろう。予期していた出来事とはいえ、突然沸いた事態に顔を顰める。同好の士を損失に私は軽く溜息を吐いた。