生きていれば何度か人生の転換期と言うものを迎えるようだが、私の場合は10歳の時に最初の転換期が訪れた。原因はわからない。いつものように自宅の布団に入ったまでの記憶はあるのだが、目を覚ましたら瓦礫の山の上に居た。混ざり過ぎて最早何の匂いかわからない程、酷い異臭。所々で煙が上がり、人のざわめきが聞こえる。ああ、ここは街なのか。私の知る街とは大違いだ。ここは・・・どこだ?




そこで私の意識は途切れている。気を失ったのか、記憶を失ったのか、脳がパニックを起こして記憶されなかったのか。その辺りに関しては不明だが、私の意識が再び戻った頃、風景は瓦礫の山からこじんまりとした雑風景な部屋に変わっていた。どうやら私は1人の男に拾われたらしい。見知らぬ街に居た私を見かねというより、物珍しさから拾ったようだ。いつ、どの段階で開いたのかわからないが、私が彼と出会った時には精孔は既に開いていたらしい。そして開いてすぐに『発』―念能力の必殺技とも言える能力を使えたらしい。彼は最初、精孔が開いた理由に興味を持ち、次に何故最初から『発』が使えたのか興味を持った。手元に置いたのもつぶさに観察したかったからだろう。プライベートな空間に他人を長く留める事が出来ない彼が、部屋は別々とは言え、1つ屋根の下にまったくの他人の私を受け入れたのはひとえに面倒よりも好奇心が勝ったからだろう。結局、何故、私が念能力に目覚めたのか理由はわからず仕舞いだったが。それでも彼の興味は薄れなかったようで、面白がって私に戦う術を教えた。身体能力の向上、格闘技術、念の修行。理論的かつ合理的に考える事が出来る彼の修行方法は今の私が見てもかなり良いものだったが、如何せん、私は当時10歳。中流階級の家に生まれ、何かに怯える事無く、ごく普通に生きて来た人間である。念が使える事を除けば、凡人の中の凡人である。一方、彼は生粋の流星街育ち、その中でもずば抜けた能力の持ち主である。凡人の私は彼の目には凡人以下に映ったであろう。それでも私が追い出されず、気まぐれに修行を付けて貰えたのは家の家事を全てこなしていたからだった。食料だけは彼に調達して貰ったが、それ以外の事は全て私がしていたのだ。彼は決して散らかし魔と言う訳でも無かったが、1つの事に集中すると他の全ての事を後回しにする性分だった。寝食を忘れる事もしょっちゅうで、そんな彼には私という存在が便利だったのだろう。



気が付けばこの街に来て2年が過ぎていた。成長期に入り、多少身長が伸びた。おそらく彼が食料を調達し、修行を付けてくれなかったら、貧弱な体のままだっただろう。彼に拾われたのは幸運だったとあの当時ふと思い出すのは、そろそろ別離の時が近い事に勘付いていたからに違いない。彼の性格を考えれば、我ながら良く2年持ったと思う。最近、彼が家を空ける事が増えた。私を拾った時、16歳だった彼も18歳になり、街の仲間達と何やら計画を立てていた。その計画を私は彼の口から聞いた事は無い。私と彼の関係性を知る、彼と歳の変わらない仲間の1人が、私に話を漏らしたのだ。貴方も一緒に行くのよね、と。ああ、置いていかれるのだとその時に悟った。泣かなかったのは、彼の人となりをそれなりに理解していたからだ。首を横に振れば申し訳ない顔をされた。黙っているからと言えば泣きそうな顔をされた。今思えば、彼の仲間にしては優し過ぎる気がした。別離の時が近いと確信した日だった。



だからと言って私は何かする訳でもなかった。朝、起きて食事を作り、掃除と洗濯。その後、軽く走りこみ、戻り次第、昼食。午後からは練を伸ばす修行。そして瞑想。その後、夕食。ひたすら今まで通りの生活をただ繰り返した。頼んだところで彼は私を連れて行ってくれるとは思わなかった。ここまで面倒を見てくれただけで充分だった。一言。彼の口から別離の言葉が聞けたら私は素直に頷くつもりだった。荷物は大して無い。彼に修行を付けてくれた貰ったお陰でこの街でも1人でやって行けるだけの自信はあった。



しばらくして、彼は珍しく夕暮れ時に帰って来た。計画は最終段階なのか、このところ帰りがかなり遅かった。彼の分の食事を皿に盛ろうとすると、その前に呼び止められた。そして『発』をやってみろ、と言われた。私の念能力、『小悪魔の踊り(イービルランド)』は使いようによってはかなり使える能力なのだが、私にはまだ使いこなせなかった。自分か自分の円の中にいる対象の人間の位置を変える事が出来る能力なのだが、私の円がまだそれ程大きく無いのだ。こればかりは今後の修行で円の距離を伸ばすしかない。彼に玄関前に移動しろと言われたので、キッチンの前から玄関まで移動した。一体、彼は何をしたいのだろう。疑問に思いながらも、上から見下ろす彼の黒い目に何も言えず、ただ求められるままに能力名、その効果などを答えた。

「そうか」

ただ一言彼はそう言った。そして―――そこで私の意識は途切れた。






再び私が意識を取り戻した時には、私はあの家に居なかった。私が居たあの街は瓦礫とゴミの山だった。しかし、今、どこを見渡しても木々しか見えない。鬱蒼とした森の中で私は意識を取り戻した。強く吹く風の音が魔物の声にも聞こえ、びくりと体を震わせながら日の落ちた黒い森の中を歩いた。夜目を鍛えていなかったら、きっと歩く事もままならなかっただろう。歩きながらポケットを探る。彼がくれた携帯用のナイフが1つ。それから洗濯バサミとか家庭用雑貨が数点。使える物の少なさに思わず溜息を吐く。何故、私がここにいるのか。考えたくはないけれど、でも考えてしまう。彼が私をここに連れて来たのでは無いのかと。違う、違う。嫌だ、嫌だ。何度もその考えてを捨てようとして、でも捨てられなくて。考える事を止めようとして、でも止められなくて。怖くて怖くて。早くここから逃げ出したくて。直径10メートルしか円は出せないのに、念能力で移動しようとして。そこで気付く。

私の能力が使えない事に。



ああ、彼が。彼が彼が。持って行ってしまった。私の能力を。奪って行ったのだ。何故だ。もうじき置いて行くのに。ああ、だからか。私は計画に使えないと判断したのだろう。彼は計画に使えるか使えないか判断して計画に誘っていた。私より3つ年上の、今年15歳の線の細い男の子も誘われていたのだ。私もきっと使えると判断したら誘われていたのだろう。


誘われなかったのは、私が使えないから。能力を盗まれたのは、私は使えなくても能力は使えたから。私丸ごと盗んでくれたら良かったのに、私は要らなくて能力は必要で能力だけ盗まれて。私という存在は一体何だったのだろう?


せめて一言別れの言葉があれば、私は黙って彼を見送ったのに。要る物だけ奪って要らない物をこんな所に捨てたのだろう。



嘆くだけ嘆いて、私は考える事を止めた。思考が闇色に染まって行く。暗く暗く真っ黒な物が頭の中を埋めて行く。視界も端から徐々に黒く染まって、そうして私は完全に闇の中に落ちた。