「―――なんて事もあったね」
「アレをなんて事の一言で纏めますか」



私が彼に捨てられてから早3年。捨てられてから半年程この森で生活していたのだが、やって来た3人組の男達に私は再び拾われた。彼らはプロのハンターであり、師弟関係にあり、私の師匠、兄弟子になってくれた。それ以降、私は彼らの下で修行に励み、以前では考えられないほどの強さを手に入れた。暗い森の半年間の経験が私の念能力を飛躍的に向上させてくれたようで、奪われた念能力とは別の能力も既に編み出している。師匠から出された卒業試験のうち、1つは先日ようやく達成出来た。残り1つは兄弟子の1人に言わせれば、お前が受からなきゃ誰も受からねぇよ、との事。これに受かれば私は名実共に師匠の下から独り立ちする事になる。その前に心の整理を付けようと、師匠達に拾われて以来1度も訪れなかったこの森にやって来た。足を踏み入れようとまでは思っていなかったが、今まで1度もそんな事を口にしなかった私を多少心配したのだろう。兄弟子の1人が同行を申し出てくれた。断る理由も無かったので数日の飛行船の旅を経て、こうして2人で森を眺めている。


「不思議だ。懐かしい以外、何も思い浮かばない」


彼に捨てられたと気付いた時、酷く狼狽した事は覚えている。そこから記憶が非常に曖昧で、暗い森が明るくなったかと思ったら師匠達3人が目の前に居た。彼と最後に会った日から再び師匠達に拾われるまでの約半年の間、どうやって生活してきたのかも覚えていない。

「ここに来れば何か思い出すと思ったけど、当てが外れたなぁ」
は思い出したいのですか?」

今まで傍観していた兄弟子が尋ねた。私はゆるりと首を横に振る。

「純粋な興味だよ。どうやってあそこを生き抜いたのだろうと思って」

暗い森、正式名称はエディリースの森。様々な宗教が存在するこの世界で、月の女神を祭るこの国の女神の住む場所とされる聖域。自然保護地域にも指定されており、初めてその事を知った時には彼も何て所に捨ててくれたのだと呆れ果てた。

「思い出せないって事はその程度の記憶なんだよ、きっと」

そう言い切れば兄弟子は再び呆れた顔になった。眼鏡のブリッジを指で押し、眼鏡の位置を正す。何か説教しようとする時のこの兄弟子の癖だ。説教は御免なので、今回の目的を果たす為に先に動く。腰に下げたポーチの中に入った携帯必需品達の中から鞘に収まった古びたナイフを取り出す。彼が私にくれた物で唯一手元に残った物。師匠達に拾われて以来、棚の奥に仕舞ったままだった。捨てる気にも使う気にもなれずに。今回持ち出したのは過去と完全に決別するためだ。捨てられた事を私はもう恨んでいない。捨てられなけば私は師匠にも兄弟子達にも会えずに、あのゴミの街で目的も無く生きていたと思うから。




兄弟子の見守る中、私は鞘からナイフを引き抜く。するりと現れた短い鋼の刀身。軽く一瞥した後、鞘に戻し、森の入口に埋めるつもりだった。仮にも女神の聖域の入口、保護地域なのだが、私にとってこれは決別するための大事な儀式で、兄弟子も過去を忘れるように強く勧めていたので止めずに見守っていたのだが。

ブウン。

空気が僅かに振動する。兄弟子が目を瞠り、私は思わず纏から堅にオーラを変えた。何の変哲も無いナイフからオーラが溢れ出した。総量は大した事は無い。だが、ナイフにオーラを纏わせ、首を掻き切るように操作されていれば未熟な念使いならば殺されてしまうだろう。ナイフから手を放さずに事の行方を見守れば、オーラは文字に変化して行った。ハンター文字だ。

「強くなったら俺の下に来い、ですか。良い性格してますね」

吐き捨てるように兄弟子が読み上げた。私は肩を竦めて見せると、兄弟子は私の態度を自分の言葉の肯定と見なしたのか彼を蔑むように笑った。最近、特殊な念能力を持つ少女をこの兄弟子は弟子に取った。時折兄弟子はその能力を自分の仕事のために使わせているのだが、パームという弟子に対する兄弟子の態度は何と言うかその俺様的な所があり、いや、ノヴも彼と大してその辺は変わらないよ、弟子を手駒と考える所とか、と私が内心思って居たなんて、当然この兄弟子が気付く事はない。




念の文字が消え、ナイフからオーラが消え去る。凝で確認するが、既にオーラは残滓も残さずに消え去っていた。

「埋めないのですか?」

ナイフを鞘に収め、再びポーチの中に仕舞った私をノヴは怪訝そうに眺めた。頷けば指が眼鏡のブリッジへ。何度も言うが説教は御免だ。

「あの澄ました顔に一発入れて、付き返そうと思うんだ」

ニヤリと人の悪い笑みを浮かべれば、満足そうにノヴも笑う。

「是非そうしてやりなさい」
「うん」

半分本音で半分嘘だった。彼と何かの縁で会う事があれば突っ返すくらいには考えているが、わざわざ彼を探し出して殴って返す気にはなれなかった。そんな時間があるならもっと有意義に使いたい。彼を探す時点で彼の思惑通り――『強くなったら俺の下に来い』の言葉通りになった気がして何だか嫌という気持ちだってある。

「目的も果たしたし、帰りますか」
「それでは、ここでお別れですね」

ノヴの足元の空間が歪む。水溜りのような空間の歪みはノヴの念能力だ。

「忙しい中付き合って貰ってありがとう、ノヴ」
「ふ、出世払いで返して貰いますよ」
「利子無しでよろしく」

冗談交じりのやり取りの後、次に会う時にはハンターですね、とノヴが意地悪そうに笑った。落ちたら盛大に笑ってあげますよ、と副音声付きだ。手を振り、自分の作った空間の中に消えて行くノヴを見送る。

「さーて、行きますか」

地平線ギリギリに見える小さな塊。今回のハンター試験開催地だ。軽く体をほぐした後、塊目指して走り出す。徐々に距離を縮め、塊が街に見えた頃には太陽が赤く空を染め上げていた。彼と最後に会った日に窓から見えた色と同じ色。彼を恨む気持ちはもう無い。わざわざ会おうとも思わない。だけどこれからもこんな風に彼の事を思い出すのだろう。

「貴方が好きに生きるように、私も好きに生きるよ、クロロ」

呟きは風に乗り、赤く染まった空に消えて行った。