遊園地の外に出た時、時間帯はまだ昼だった。最後の配達先は決めているので、少女は元来た道を戻ると、先程の二又の分かれ道に辿り着く。先程、通らなかった左の道を進めば、少女の背丈よりも緑の生垣が道の左右に現れる。まるで通路のような道ではあったが、少女は戸惑う素振りを見せずに通り抜け、ハートの城に入って行く。
「じゃないですか」
「白兎さん」
ハートの城の廊下で後ろから声を掛けられ、少女は振り返る。冷血な宰相と名高い白いウサギ耳を持つ男は、呆れた口調で、その呼び方は止めて下さい、と言い放った。
「僕はその呼び方は嫌いなのです」
「そうでしたね。すいません、ペーターさん」
苦笑いを浮かべながら謝罪する少女を、通り掛ったメイドや兵士達が遠巻きに眺める。普段の宰相ならば相手を問答無用で射殺する所だが、少女に対しては銃すら構える気配すら見せない。腕を組み、呆れた顔で、貴方は頭が悪いから、と説教じみた言葉を続ける白兎と苦笑しながら聞く少女は、傍目から見ても仲が良いように見えた。
「今日は何です?女王陛下にでも呼ばれましたか?」
「それもあるんだけど」
口元を手で覆って、少女が小声で呟く。常人はおろか、役持ちでも聞き取る事が出来ない程、それは小さな小さな呟きであったが、目の前のウサギの耳にはばっちり届いたようで、面白そうに白兎は赤い目を細めた。
「それはそれは・・・。是非、僕の方で引き取らせて頂きますよ」
「ありがとうございます」
「いつもの通り、お願いしますね」
にこやかに笑う少女と白兎。今日は雨でも降るに違いない。そう思った兵士の1人が窓の外を見る。つられて他の兵士やメイド達も見たが、雲1つ無い青々とした空が広がるだけだった。
白兎と別れると、少女は傍に居た兵士に女王に謁見したい旨を話した。兵士が急ぎ足で城の奥へ走って行く。少女は急がずにのんびりと歩けば、奥からパチパチと何かが爆ぜる音がした。普段は綺麗に磨かれている床も、壁も汚れていた。普段は掃除など滅多にしないであろう天井も、これでは掃除しなければいけないだろう。周囲一体、煤で真っ黒になっていた。
「あ、久しぶりだね、」
「こんにちわ、エースさん」
焚き火の前で座る赤い騎士に少女が挨拶すれば、爽やかな笑みと共に挨拶が返って来た。何故、城の中で焚き火をしているのか、何故テントを張っているのか、少女は聞かない。この国の三大勢力の1つ、遊園地のオーナーの扱いを心得ている彼女だったが、未だに目の前の騎士に対してどう接して良いのかわからなかった。この赤い騎士の青年は外見と中身が一致しないのである。下手に地雷を踏まないように、細心の注意を払う。相手はさっき会った宰相ですら言いくるめる男だ。
「あはは、エースで良いよ。それより、本当、久しぶりだね。もう何十時間帯も会ってなかった気がするよ」
「仕事でしょっちゅう動いてますから。エースさんと会うのも久しぶりですね」
「そうだね。でも、はユリウスとはしょっちゅう会ってるみたいだね」
「常連様の1人ですから」
「そっか」
あはは、うふふと笑い合う。会った時、地雷を踏まないように細心の注意を払っていたのだが、しばらくして必要最低限会わないようにした方が楽だと気付いたは、仕事の時もプライベートな時もなるべくエースに会わないようにしていた。外出する時、逐一、情報を集め、どこにいるのか把握した上で行動するのは、最早彼女の外出する際の癖にまでなっていたのだが、思わぬ所でばったりと出くわし、少女は内心冷や汗を掻きつつも、平静を装って話をする。笑顔である筈なのに、騎士の赤い目はちっとも笑っていなかった。
「そう言えば、、旅に出たいって前に行ってたよな」
「そうでした?」
「うん、言っていた」
言った記憶など少女にはまったくなかった。彼女が彼と会話する際は、無難で揚げ足を取られず、曖昧にかつ時にはっきりとと言う、本人も時々良くわからなくなるような姿勢を心掛けている。そのお陰かどうかこれまた本人も良くわかっていないが、今の所は揚げ足を取られず、下手な約束もせず、地雷を踏まずに済んでいる。しかし、まさか自分が言った事を忘れた事にされて話を進められるとは。反論したかったが、赤い目に浮かぶ深い暗い色が少女に反論を諦めさせた。
「それで俺、この間、の枕買って来たんだよね」
「枕?!」
「うん、枕。テントの中にあるよ」
今度、一緒に旅に行こうな、と言う赤い騎士の言葉が、今度、一緒に旅に行かなきゃどうなるかわかってるよな、と少女には聞えた。
謁見室とされる場所は、裁判室も兼ねていて、部屋の1番高い所で女王は待ちくたびれていた。少女が中に入った瞬間、遅い、と1つ漏らす。大声で叫んだ訳ではないのに、やけに大きく聞えるのは、女王が持つ威圧感のせいだろう。
「遅いぞ、。待ちくたびれたわ」
「遅くなって申し訳ありません、陛下」
「あと少し遅かったら、そなたの首を刎ねるところだった」
「命拾いしたようですね」
うふふ、くすくす、と女達の笑い声が室内に軽やかに響く。ちらりと少女が女王の隣を見れば、いつも目を細めて己の感情を曖昧に見せる王の姿があった。少女の視線に気付き、王が笑う。それは端から見れば首を刎ねられずに済んだ少女に安堵して僅かに笑みを漏らした姿にも見えるが、少女には軽薄に笑ったようにしか見えず、また実際、首を刎ねる所が見られなかった事に対して王が残念がっている事を知っていた。少女もまた薄く笑う。
「っ!」
少女から発せられた殺気。巻き散らかさず、細い針のように尖らせて、王ただ1人に向けられる。役持ちであるが、城の他の役持ちはおろか国内の役持ちの中でもあまり王は強くなかった。同じ役持ちである少女の研ぎ澄まされた殺気を当てられて、王は息を飲む。あまりの事に飲み込んだ息は悲鳴のようにも聞えた。
「これ、。あまり遊ぶな」
呆れた口調で女王が呟く。手にした王杖をくるりを回すと、遊ぶならわらわと遊べ、と高慢に言い放つ。
「この後も配達がありますので、折角ですが、次の機会に」
「そうか」
柔らかい口調で少女が固辞すると、心底残念そうに女王の表情は変わった。何の見返りや貢物無しに、女王の誘いを断って城を出れた者はおそらくこの少女くらいだろう。依頼されていた品物を女王に1つ1つ見せながら、近くで控えている従者の持つビロードが敷かれた箱に納めた少女の顔をじっと王は眺めた。
「今度、お茶会で貴方とゆっくり女2人でお喋りしたいわ。ねぇ、ビバルディ」
今までの女王の愛人達ですら、少女のように甘く上手におねだり出来た事など無いだろう。残念そうな表情を妖艶な笑みに変えると、女王が少女に空いている時間を尋ね、少女がそれに答え、あっと言う間に次に会う約束を交わすと、少女は何て事ない顔で謁見室を出て行った。
「愚かな事をしてくれたお陰で、良い物が見れた。あの子が殺気を出すなど、滅多にないからな」
ほんの少し顔に苦味を浮かばせた王の横で、女王は高らかに笑った。