女王
もう何度目の引越しだろうか。顔無しであった頃に数回、役持ちになってから数十回目の引越しだった。数えるのも億劫な程、長い時間、彼女は女王だった。
「ああ、今度はあやつらと一緒か。イライラするわ」
眼前に聳える灰色の城。所々黒の装飾のされたそれは、まるで城中、喪に伏したような光景だとビバルディは思う。
ハートと対を成す、スペードの城。思い浮かぶのは役持ちでありながら影の薄い、顔すら覚えていない者達。ハートの城のキングと覇気の無さでは良い勝負なスペードのキング。美醜どちらであるかと聞かれれば美しいとは答えるであろうが、惹きつける魅力の乏しいスペードのクイーン。宰相と騎士にしても特別記憶に残っていない。これでは顔無しと大して変わらない、とビバルディは鼻で笑う。
「此度はわらわと帽子屋の一騎打ちになりそうじゃな」
ビバルディの思考が帽子屋ファミリーとの領土争い事にすぐに切り替わった。先程まで思い浮かべていた辛気臭い顔達は、頭の中の片隅の更に片隅の方に追いやる。新しく加わったハートの騎士、エース。そして宰相である白兎。多少性格に問題があるが、前任者に比べれば彼らの能力は比べ物にならないほど強い。駒としては充分使えるだろう。例え、駒が嫌がろうと、ゲームの盤上に立った時点で、戦う以外無いのだ。そう思っていた。今、この時までは。
「お初にお目に掛かります。ハートの城の女王陛下」
膝を折り、騎士として礼を取る。上げた顔がはっきりと見える。絹のような黒い髪。整った鼻筋。白い貌。目だけが異彩を放つように赤く、その血で染まったような色は至高の紅玉にも勝る程だった。欲しい。ビバルディの本能がゆるゆると揺さぶられる。
「スペードの城の騎士、=で御座います」
告げられた役持ちの名に、わかっていながらもビバルディは落胆を感じた。ハートの城の女王である自分を惹き付けるだけの引力。それを兼ね備えた少女が着ている服は、今頃どこかでまた彷徨っている男と良く似た物だった。
「役持ちになって間もない未熟者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
食えない奴だとビバルディは眉を顰める。未熟者だと言う少女は敵地である筈のハートの城にふらりとやって来て、城内に居る数多の兵士に取り囲まれながらも、平然とした顔で「女王に会いたい」と謁見を申し入れた。襲い掛かる兵士を次々と倒す腕前。興味が沸いて申し出を受け入れたが、目の前に現れたのは顔にまだ幼さが残る少女が1人。根拠はともかく、1人で敵地に乗り込んでも大丈夫と言う自信があるのだろう。頭の中に描いた一騎打ちの構想を消し、スペードの城との三つ巴の構想を映し出す。
「そなたとの戦い、楽しみにしておくよ」
いずれ少女と同じ戦場に立つ日が来るだろう。そう遠くない時間に。勝ったらこの少女をどうしてくれようか、思い浮かべた素晴らしい光景に女王は妖艶に笑った。
(帽子屋のあの男もおそらく気に入るだろう・・・な)