スペードの騎士
無数に突き出される剣の切っ先。一斉に降り注ぐ銃弾。恐れる必要など無い。ちょっと時間を動かせば良いだけだ。役持ちにのみ許された大掛かりな時間操作。少女は瞬き1つで自分の半径10Mの空間の時間を非常に緩やかにして見せた。停止したと錯覚する程、緩やかに流れる時間。1秒間を500秒間程の長さに引き伸ばすと、少女は自分に切っ先を向けた兵士全てを斬り捨て、銃弾を撃った兵士には撃った分だけ撃ち返した。再び少女は瞬きをする。伸ばされ緩やかな物に変えられた時間が元の時間に引き戻される。少女に剣を突き出した、もしくは振り下ろしたハートの兵士達は一斉に鮮血を迸らせ、銃口を向けた兵士達は表情の顔の無い顔に穴を開けた。飛び散る、赤、赤、赤。少女は飛び散る血を器用に避け、銀色の剣を1度振る。べったりと付着していた最早誰の血ともわからない液体が振るい落とされ、刀身に白銀の輝きが戻る。
「君って強かったんだね。いやー、良かったよ」
「・・・仰る意味がわかりませんが」
スペードの騎士である少女の桁違いの強さを目の当たりにしたハートの兵士達。その恐ろしさのあまり、1歩また1歩と後退する中、彼らの後ろから現れたのはハートの騎士だった。はい、はい、下がって、はい、邪魔、そこ退いてねーと言う、戦場には不釣合いな明るい声。その登場はひょっこり現れたと言う表現が似合う程、場違いな物だった。
「ほら、ハートの城とスペードの城って昔から対の存在だって言われているだろう?」
「真偽はともかく、そのように言われていますね」
「うん。この間、会った時、俺、思ったんだよね。それぞれの城の騎士である、俺と君も対じゃないかってさ。だから心配してたんだ。君がもし弱かったら、俺の対なんて務まらないから、誰か別の人に代わって貰おうと思ってたんだ」
代わって貰うの言葉に、少女は僅かながら眉に皺を寄せた。浮かべる笑顔はどこまでも爽やかなのに、飛び出した言葉は遠回しに殺すと言う何とも物騒な物だ。外見と中身が著しく違う事を認識した少女は、口角を僅かに上げ、面白そうに赤い目を細めた。
「それで、実際に貴方の目から見てどうでした?」
お眼鏡に適うと良いんですけどと、殊勝な言葉を漏らした少女はにっこりと花が綻ぶ様な笑みを浮かべた。その姿は誰の目から見ても自信に溢れており、強烈にして苛烈な印象を与えた。
「・・・想像以上だよ。俺、君の事、好きになれそうだな」
好きと言う言葉を吐きながら、エースは腰に差した剣を抜いた。少女が手にする剣より若干刀身が短いものの、代わりに幅が厚い。
にこにこと邪気など感じられない笑顔を浮かべたまま、エースの腕が動く。彼の目の前に居たのが顔無しであったなら、反応出来ないまま時を止めたであろう鋭敏さ。
「なれると良いですね」
他人事のように、呟いた少女の声は冷ややかだった。エースの一撃を剣で受け止め、払い落とす。最初の一撃は挨拶代わりだったようで、そこから始まった両者の剣戟の音はしばらくの間、絶える事は無かった。
「なれるさ、君も気付いているんだろう。無意味な戦いでこんなにワクワクするなんて初めてだよ!」
「血が騒がない訳ではありませんが、生憎とそこまで戦いにのめり込める性質を持ち合わせていないので」
「えー、俺だけ君に夢中って事?それって不公平だよ」
君も俺に夢中になるべきだよと言った赤い騎士は、剣を構え直すと、途端に何かを思いついた顔付きになり、笑顔だった顔を一層綻ばせて少女に告げた。
「俺が本気を出せば、君も本気になるしかない。そしたら君の目には俺しか映らないし、俺の事しか考えられなくなる。これなら公平だ!」
「・・・それって貴方も私の事しか見れないし、考えられなくなりますよ」
良いんですかと問う少女に、強烈な一撃でエースは答えた。途端に少女の顔が引き攣り気味に変わったが、続け様に繰り出される剣捌きにすぐに表情を引き締めた。
「ああ、やっぱり、俺、の事、大好きだ」
どこまでも爽快にエースは言う。好きになりそうから、好きと言った言葉に少女は照れる所か一層顔を歪ませると、私はあまり好きになれそうにないです、と、どこまでも冷ややかに言い切った。
(本当に好きなんだけどなぁー。どうしたら本気だって伝わるんだろう?)
(言動と行動が矛盾している人の言葉を本気にする訳が無いでしょう)
考えている事は正反対で、実力はほぼ互角。剣を交える赤と黒の騎士。その姿に周囲から確かに対の騎士だと言う言葉が漏れる。その大きくも無いが小さくも無い呟きは、あっと言う間に広がり、ざわめきとして少女の耳に入った。
(認めたく無いけれど、貴方は確かに私の対の存在だわ。心が過剰に反応するもの)
目の前の好戦的な騎士を好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いと即答出来るが、どう思うと聞かれれば、嫌いと答えずに苦手と答えるだろう。完全に嫌っては居ないが、それでも決して好意的には思えない相手。だけど、心がやけに騒ぐのは理論や理屈だけでは到底説明のつかない、言うなれば本能に近い感情が、まるでこの存在を今まで待ち望んでいたかのように騒ぎ動き出す。
(ああ、何て面倒なんだろう。近付けば近付いた分、危険が増す男なのに)
わかっていながらも目が離せない。振り翳される剣とは関係無しに。決して好きにならないようにと少女は心の中で密かに釘を刺した。