ギルカタールの王女、アイリーン=オラサバルが25日の取引の最終日に選んだ道は『逃走』だった。
取引で持ち掛けられた金額には届かなかったが、短期間で様々なダンジョンに足を踏み入れた彼女は、はぐれ盗賊だろうと殺人鬼だろうとダークエルフだろうと楽に倒せるほどになっていたのである。自力で欲しい物を得るだけの力を得たアイリーンは、取引期間最後の夜、王宮からの逃走を決行した。
「・・・やっぱり来たわね」
「まぁ、これが仕事ですから」
王宮を抜け出し、王都の外に出てしばらくして。背中がざわざわとざわめく感じを覚えたアイリーンは振り返るものの、後ろには王都の出入り口である関所の扉が見えるだけ。辺りを見渡しても、広大な砂漠の海が広がるだけだった。
気のせいかと思いながらも、背中に感じる嫌な気配は一向に消えない。ブーツで砂の山を踏み潰すと、アイリーンは呼び掛けるように言った。
「いるんでしょう、?」
アイリーンの声は時々吹く風のざわめきによって掻き消えるだけかと思われた。ヴィンと空気の振動がアイリーンの背後で起きる。突然の出来事にアイリーンが振り返ると、そこには予想通り魔術師のローブを着たが立っていた。
「よくわかりましたね」
「・・・まぁね」
使いこなす事は出来ないが、自分の中には膨大な魔力が眠っていると言う自覚はある。昔から魔法に関しては感知するだけは得意だった。
「・・・私を連れ戻すの?」
「そんな目で見ないで下さい。私も同じ女ですから気持ちはわかります」
貴方が王族としての勤めを考えるのであれば、ギルカタールの今後を憂うなら連れ戻しますけどね。そう告げるにアイリーンは安堵すると、まだ帰らないわ、と答えた。
「それならどうする気ですか?王も王妃もまだ若い。あと10年くらいは為政者として立てますが、その後はどうするんです?貴方が立つのですか?それともどこの馬の骨ともわからぬ誰かに国を任せるのですか?」
「それもまだわからないわ。私はまだ立ちたくない。だけどあの国を・・・それこそヨシュアのような類の人間に好き勝手されるのも我慢できない」
「あれも嫌、これも嫌。まるで子供ですね」
「な、何よ!」
「いい加減、方向性だけでも考えたらどうです?貴方は普通になりたがっている。貴方が憧れる普通になりたいと願うなら、ギルカタールの事は忘れて、誰も貴方の事を知らない国で生活して、そこに骨を埋めれば良い。ギルカタールを捨てない限り、貴方は王女であり、貴方の望む普通にはなれませんよ」
「捨てるなんて・・・」
「ええ、出来ないでしょうね。貴方はあの国を愛している。あの国に住む者も。王も王妃もそして幼馴染も」
「でも、今はあの国には居られないわ。居たら私はもうあそこを出れない」
「そして望まない結婚を強いられる。・・・貴方はまだ幸運な方です。他国では貴方の年で未婚の王族、特に王位継承権を持つ人間など居やしない」
「わかっているわ。・・・お父様もお母様も私を今まで自由にしてくれた」
「そして今また自由になろうとしている。・・・しかも今度は、ほぼ完全な自由です。王族だけと言う理由で狙われる。その点を除けばまさに完全な自由と言えますよ。王族の勤めも無い。その代わり庇護も無い。自分1人の力で立ち、自分1人の力で生きる糧を稼ぐ。貴方が今足を踏み入れようとしているのはそんな世界ですよ。良いんですか?命の危険すらある世界に身を投じて」
「それでも私は・・・・・・そう、この世界が見たいわ。世界を回って色んな物を見て、色んな人達に会いたい。だって私の世界はあまりにも狭かったから。取引が無かったら、婚約者候補の事も聞いた話をそのまま鵜呑みにして終わっていたわ。ずっと、ずっとライル先生から話を聞いて思ったの。私は世界が見たい。このまま脆弱で狭量で世間知らずで終わりたくないの!私は私と言う人間をもっと試したい!もっと色んな物に挑戦したい!そして・・・・・・、そうよ、私はギルカタールの女王に相応しい実力を携えていずれここに帰るわ」
「良い返事です、とライルなら言うでしょうね。わかりました。貴方の望み叶えてあげましょう。ライルには私からその旨伝えておきます。『女王に相応しい実力を兼ね備える』と言えば国王陛下も渋々納得するでしょう。その代わり1つ条件があります」
「何かしら?」
「私も旅に同行させて頂きます。貴方1人でも大抵の事なら大丈夫でしょうけれど、貴方を王族と知って群がって来る連中も居そうですから。その護衛代わりをさせて頂きます。ただし、旅の途中、甘やかしたりはしませんよ。旅の仲間として扱いますから。姫扱いなどしません。・・・変に甘えるようでしたら時間の無駄と判断して、ギルカタールに強制送還しますからね」
この魔術師は本気で怒るとライルに匹敵する事を知っているアイリーンは、コクコクと何度も深く頷く。
最強と名高い魔術師、の同行で一気に頼もしくなったが、旅の仲間として容赦無く鍛えられるだろう。それこそ嘗てのライルとロベルトのように。これからの旅の行方が怖いと思う反面、今のライルとロベルトの強さを考えると鳥肌が立った。自分があの高みにまで登れるのかも知れない。それだけで胸の高鳴りを感じた。
面白くなって来た。そう思ったアイリーンは不敵に笑って唇を舐めると、月に浮かぶ下弦の月のように唇を歪めて、と共に歩いて行った。