王・王妃との取引から25日目の深夜。二人の唯一の娘、王位継承者第一位、アイリーン=オラサバルは金貨の袋を数えていた。


しかし、100万ゴールド入りの袋はどう数えても1000万には足りない。この25日間、アイリーンなりに頑張ったつもりだった。金稼ぎに慣れた頃、序盤でもたついていた時間が惜しく思った事もあったが・・・。


「終わったのね」


最後の大一番。起死回生を掛けたカジノにも勝てなかった。明日にはこれまであった自由は無くなる。


初めて婚約者候補の名前を教えられた時、その顔触れに慄いたものだったが、外出に同行して彼らの人柄に触れた。


彼らはアイリーンの求める「普通」には程遠い人達だったが、アイリーンには優しい人達だった。同行して貰った時の事、砂嵐の事、祭の事、酒場での一時、カジノでの遊んだあの時。目を閉じればあの時の事がはっきりと思い出せる。25日、アイリーンが生きて来た中で一番充実していた時間だった。






それも今夜で終わりなのだ。唇をかみ締める。気を抜いたら涙が毀れそうになるから。

ふと脳裏に浮かんだのは、優しい笑みを浮かべるあの人の姿。この場に居たら縋って居たのかもしれない。


縋りたい。でも縋ってはいけない。苦しくて悲しい。


無意識にアイリーンが口にした名前は―――。








「・・・・


思い出すのはあの優しかった女魔術師の顔だ。いつだって彼女はアイリーンの味方だったのだが――。


「って何でここでの名前が出るのよ。普通、男の名前でしょ、ここは」
「まったくもってその通りですよね。何で私なんですか、よりによって」

自身の呟きにツッコミを入れるアイリーンの前に姿を現したのは、白いローブ姿の女性。王宮魔術師のだった。


「な、どうやってここに来れたのよ」


25日の取引の間、逃亡の可能性も視野に入れた王妃の命で、アイリーンには期間中、今までの倍の監視役がついた。さすがに婚約者候補と一緒の時は色々と邪魔にならないようにと考慮されたのだが、それでも監視の目はいつもの倍。特に今日は最終日の夜。逃亡の危険が最も高い日なので、姿は見えなくとも監視の気配をアイリーンも無数に感じたのだ。


「ああ、監視?そんなもの、私には意味ありませんよ」


にこりと笑って、は手にした水色の石のはめられた愛用の杖を振って見せた。


「それよりどうしてくれるんです、あれ」


あれ、と指指した方向には。


「何、あれ」


指指された方向に居たのは、何故か体育座りでどんよりとするスチュアート。部屋全体を見渡して見る。バルコニーには壁に向かって小声でブツブツと言い続けるカーティス。同じくバルコニーで遠い目で星を見るシャーク。タイロンはぐったりと部屋の隅に座り込み放心状態。ロベルトは頭を抱え、こうなった思いつく限りの原因を口にして。ライルはさすが慣れているのだろうか、珍しくロベルトに同情の言葉を掛けていた。


「皆さん、貴方の助けの言葉を待っていたんですよ」


じぃっとはアイリーンを見て続ける。


「皆さん、自分が助けると言って聞かなかったので協定を結んだんです。貴方が助けて欲しい人の名前を呼んだら、呼ばれた人が助けるって。最初は勝った人がって言ってたんですけど、死人が出そうだったので」


は部屋をぐるりと一望する。


「だけどまさか私の名前を呼ぶとは思いませんでしたね」


ふぅと溜息をつく。の声に反応した男達はぴくんと肩を僅かに揺らす。ギロリ。ギルカタールの中でも強者とされる男達の視線がに注がれる。は気にした素振りも見せないが、アイリーンは大量に冷や汗を流しながら思い付く限りの弁明を口にした。


「だって、だって、だって、スチュアートは今まで頑張って来たのを私のせいでぶち壊しにさせたくないし、タイロンだって南の跡継ぎで何かあったらトータムにまで害が及ぶでしょ。カーティスだってギルドがあるし、シャークもメイズに病院があるし、ロベルトもカジノ王の夢があるし、ライル先生だって・・・・折角教えて貰ったのに仇で返しそうで・・・」
「だ、そうですよ。良かったですね。迷惑掛けたくなかったそうですよ」
「う、うん」
「愛ですよね、これって」
「う、うん・・・え?あ、愛?!」


すぐに訂正しようと思ったアイリーンだが、時既に遅し。愛の一言に精神ダメージが回復した男達に囲まれ、気にするな、一緒に逃げましょう、お金の事は心配しないで下さい、一生大事にします、と多方向から熱い言葉が掛けられ、お前は邪魔、お前こそ邪魔、消えてくれる?、てか死ね、と先程とは180度反転冷たい言葉が辺りを包み込み、殺気が充満し、各々が得物を取り出す始末。止めに入ろうとするアイリーンだったが、危ないですよ、と、にバルコニーまで移動させられて傍観する羽目になった。


「あーあ、始まった」
「と、止めなきゃ」
「無駄ですよ。危ないから下がってましょうね」
「だって、このままじゃ・・・」
「それこそ、このままじゃ、です。彼らは貴方が欲しくて争っている。貴方が止めに入れば武器は一時収めるでしょう。でも、その後、必ず聞かれますよ。貴方は誰が好きで、誰と一緒に逃げるってね。このまま貴方が答えを出さなきゃ収まりませんよ、これ」
「え、でも・・・・・・・・・・・・・・・皆それなりに好きなんだけど、これっていうの居ないんだけど」
「だと思いました。そうじゃなきゃ、あの場面で私の名前言いませんよね」
「好きだとは思うし、このまま付き合って行ったらずっと一緒に居たいって思えるのだろうけど、一緒に逃げるイコール駆け落ちで、駆け落ちイコール結婚だよね?」
「正解ですけど、ここで敢えて聞かなくても良かったと思うのですけどね」
「そういう訳で、一緒に逃げて」
「そんな理由で一緒に逃げたくないです」


「好かれてて良いですね〜」と暢気に言う魔術師と、「どうしよう」とひたすら繰り返す王女と、得物を手にハイレベルな戦いを繰り広げる婚約者とその候補達と。王・王妃との取引最終日。時間は既に深夜を回っているが、この長い夜はアイリーンが結論を出すまで続く事となるのだった。


「そんな、結論なんて出せないわよ!」


王女の住まう白亜の宮殿に、彼女の悲鳴が木霊するのを、待機していた守り役の2人はハラハラしながら見守っていたと言う。