「好きです。。僕と一緒になってくれませんか?」
昨日まで他の女の婚約者候補の1人だった男は、私の両手をしっかりと握ってにこやかにそう告げた。
愛の攻防戦
犯罪大国ギルカタールの王女、アイリーンが国王との取引で定めた25日間が終わった翌日。王女が生涯の伴侶としてシャーク=ブランドンを国王夫妻に紹介した事により、残りの候補者達はお役御免となり、また元の生活に戻る筈だった。その私の予想を真っ先に裏切ったのが、目の前のこの男、カーティス=ナイルである。顔の造形は整っているが、スチュアートのように人の印象に残る程の強烈な美を持ち合わせていない彼は、一見するとギルカタールの一市民と言った風貌だが、その実体はギルカタールの暗殺者である。勿論、王女の婚約者に選ばれる程ともなると、並び評す相手が居ないとされるまでの。
そんな彼は王女に気に入られず、カーティスも特別王女を気に入る事無く、2人の人生は交差する事無く終わってしまった。ただそれだけの事だった。王女はシャークと言う男と共に生きる事を決め、カーティスはまたいつもの生活に戻るだけ。傍観者の私は見物するものが無くなっただけだった筈なのに、何故こうなってしまったのだろうか。カーティスと私の人生はほんの少しだけ交差してしまったらしい。交差させたのはカーティスだ。そして今後どうするのか決定権は私の手にあるけれど。
「まぁ、駄目って言われても押しかけますけど」
さらりとカーティスがとんでも無い事を言ってくれた。どうやら決定権はあっても、それはYESかハイである可能性が非常に高い。拒否権と言うものが存在しないようだ。
「これでも我慢したんですよ。ほら、昨日まで僕、拘束されてましたからね」
ふぅーやれやれ、と芝居掛かった動作でカーティスは肩を竦めて見せた。天下のカーティス=ナイルを拘束出来る人間などこの世に何人いるだろう。きっと片手で充分足りるに違いない。その1人、それを可能にした現国王は非常に運が良いとも言えた。カーティスが貸しを作るなど、早々ある事ではないし、あったとしても面倒になったら殺してしまうような男なのだから。
拘束と言っても、期間中、王女のご指名のあれば外出に同行するだけだ。始めの5日間で王女はそれぞれの候補者と同行した後、残りの20日全てシャークと同行したので、カーティスが実質文字通り『拘束』されたのは1日だけ。残りの24日間は毎日王宮には顔を出していたものの、好き勝手やっていたのである。私の部屋でやられたので仕事の能率は落ちたが、飽きずには済んだ。
カーティスと私の付き合いは浅く短い。知り合ったのは2ヶ月前の事だし、会って早々殺り合った。それも2度も。私の名誉の為にも言っておくが、全てカーティスから仕掛けて来たもので、私は正当防衛しただけである。あいあむ被害者、ひぃいず加害者。OK?
さて、犯罪大国ギルカタールでも稀に見る出会い方をした私達。私が常人ならとっくに冥府の門をノックしている所だが、私は生憎と常人には分類されない人間なので、こうして今もしぶとく生きている上、加害者であるカーティスに何だか偉く気に入られてしまった。初めて執務室まで押しかけられた時には思わず書類を落としてしまったものだ。今だから言えるが、あの時、3度目の襲撃を受けていたら、私は迷う事無く王宮を飛び出し、王都を抜け、ギルカタールから姿を眩ましていたと思う。
そんな私がカーティスから逃げずに済んでいるのは、誓約と言う強力な強制力を持つ魔法契約を互いに結んだからに他ならない。もしカーティスが私に危害を加えようとしたら、その瞬間に魔法契約によりカーティスは腕を1本失うのだ。カーティスは強い相手と殺り合うのは好きだが、快楽殺人者の類ではない。腕を1本代償にしてまで私を殺める気の無い彼は、誓約を結んだ直後から良く私の元に遊びに来るようになった。王女の婚約者候補になってからは、王宮に毎日顔を出さなくてはならなくなったので、それこそ毎日のように。
「あ、。おかえりなさい」
執務室で、私室で。ドアを開ければカーティスが居る。そんな事にも慣れてしまうくらい、彼は私の所に来ていた。仮にも王女の婚約者候補の1人がこれで良いのだろうかと首を捻りたくなる。幸いにも王女は早い段階からシャークと共に行動するようになったので、特に何も言われなかったが、王女がカーティスを気に入っていれば、間違いなく問題化していただろう。カーティス共々不敬罪で処罰されていた可能性だってあったのだ。まぁ、私もカーティスも素直に処罰される人間では無いけれど。
25日間の取引期間が終わって、喜んだのは王女だけでは無い。毎日のように押し掛けて来るカーティスから解放される私も大いに喜んだ。これで仕事中に暇だから構えとも言われないし、飲みたい気分だからと仕事が終わった後に引っ張られて行く事も無い。面倒だから泊まって行くと言われる事も無いのだ。25日間の間にやりたい事が溜まっていた私は、意気揚々と私室から外に出ようとした瞬間、眩い笑顔のカーティスに出くわした。そして冒頭の台詞を吐かれたのである。
変に懐かれていると言う自覚はあったが、それはカーティスの興味心を満たす存在としてとしか思っていなかったので、それは予想外の告白だった。カーティスが私を好きだと言う。カーティスが人を好きと言う発言自体、しっくり来ないので、私を好きだと言われても理解に苦しんだ。
「念の為に聞いておきたいんだけど」
「何でもどうぞ」
「私の事が好きなんだよね?」
「ええ」
「恋愛感情として好きなんだよね?」
そう私が尋ねると、カーティスは少し黙り込んだ。彼は生い立ちのせいか本人の資質のせいか、常識と感情の螺子が所々抜けている。そんな彼の告白をどこまで真面目に受け取るべきか、正直難しかった。少し疑心暗鬼になっているのかもしれない。最近、酒場に姿を見せるようになった珍品好きの男に、「珍しいカラ、私の物にならないカ?」と笑顔で言われたのが思った以上に効いているのだと実感した。個人的に言わせて貰えば、珍品好きの彼もカーティスと張るくらい色んな螺子が抜けていると思う。それでもミハエルには勝てないけれど。彼は悪魔の中でも特別だ。
「僕は今まで誰かを好きになった事はありません。だからこの気持ちが何なのか今一つ掴み切れて居ませんが・・・」
ゆっくりと噛み締めるようにカーティスが話す。表現としては大変不釣合いだが、それは魔術師が紡ぐ癒しの魔法の呪文のように、柔らかい響きがあった。
「僕は貴方に並々ならぬ執着心を抱いています。貴方が他の誰かを好きになったら、・・・そうですね。相手の男を真っ先に殺して、次に貴方の足の腱を切って歩けないようにて、どこかに連れ去ってしまうでしょうね・・・」
具体的な言葉の数々に少しだけ眩暈を感じた。その声からは非常に柔らかい響きが伝わって来るのに、単語自体は非常に物騒で、内容はそれ以上に危険な物だった。好きな相手には優しくなれるタイプだが、彼の日常が他人から見れば非日常過ぎたのか、行動や思考そのものは危険だと判断せざる得ない。
「キスしてみたいのも、触れてみたいのも、×××したいのも、××が××で××××したいのも、貴方だけなんです。これって恋なんでしょうか?」
「どっちかと言うと愛だと思うわ」
顔を真っ赤にさせながら、私はそう返すのがやっとだった。カーティスが口走った言葉の数々を恋と一括りにするには許容範囲が狭すぎる。言葉には力が秘められているのは魔法を行使する者としての基礎中の基礎の話だが、実体験する日がやって来ようとは。カーティスは良くも悪くも自分に正直なのだと改めて理解した。そうでなければあんな言葉の数々を真顔で言える筈が無い。
「愛ですか。これが・・・」
きゅっとカーティスが服の上から自分の心臓を押さえた。自分の鼓動を確かめるように押さえて、徐々に表情がゆっくりと和らいでいくのがわかった。
「。すいません、僕が間違っていました」
「あ、そうなの?」
間違っていました、と言われて少しだけ寂しくも感じた。好きだと言われた事を間違っていたと訂正されるのは、やはり言われた側からすると寂しくも感じる。
「はい。僕は貴方をどうやら愛してしまったみたいです。だから一緒になって下さいね」
開いた口が塞がらなかった。どうやら私は前以上に厄介な状況を自らの手で作り上げてしまったようだ。愛してしまったみたい、と曖昧な表現を使うのははっきりとこれが愛だと把握しきれてないのだろう。けれどその後に続く拒否権無しの台詞は、カーティスの強い気持ちの表れだと解釈する他なかった。
私も女だ。好かれるのは嬉しいし、愛されるのも嬉しいとは思う。けれど、その相手と一緒になれるかと聞かれたら、別問題だと答えるしかない。カーティスが私を好いている程、私はカーティスを好いては居ないのが現状だ。
カーティスを男として意識して見た事は無かった。出会った時には飛んで来るナイフを避けるのが精一杯で、2度目は肩の関節を外された。3度目に誓約を交わしてようやくまともな人間関係が形成されると思いきや、待っていたのは非日常な日常。平穏が恋しいと思いながらも、楽しいと思ったのは・・・。
そこで私は言葉を失った。楽しいと思った。本当だ。カーティスを狙ってやって来た他所の暗殺者ギルドの男達40人を2人で叩きのめしたり、休みの日の早朝に現れたカーティスに引き摺られて希少な毒薬を探しに行ったり、ロベルトのカジノのダーツで勝負の付かないまま、延々と投げ続けたり。思い起こせば色恋とは縁遠い事しかしていないけど、確かに楽しかった。
「?」
黙り続けたままの私に不安を覚えたのだろうか。そっと私の頬に手を添えてカーティスが私の顔を覗きこんで来る。ぼんやると彼の顔を見れば、彼の目に珍しく不安の色が揺れ動いていた。
多分、この広い世界でカーティス=ナイルにこんな事をして貰えるのは私だけだ。こんな顔を見れるのも。そんな確信が優越感と共に生まれる。この気持ちは恋ではないけれど、いずれ恋になって行くだろう。カーティスの不安を浮かべた目を見て、そんな確信も得れた。
まだ私はカーティスと共には歩めない。私達はあまりにお互いを知らな過ぎるし、そこまで私の気持ちは高まっては居ない。けれどそう遠くない未来には一緒にいるような気がする。確信を持つにはまだ早いけれど、よく当たる直感がそう告げて来た。嫌では無い。悪くは無い。満更でも無い。そんな言葉が浮かぶ私の頭の中では、既にこれからどうやって行くか考え中だ。とりあえずは結婚しようと言うカーティスをどう説得するか、だ。
まずは恋人同士からと言う事で、彼を説得して行こう。恋人同士ならキスも出来るし、触れる事も出来るのだから。それ以上はまぁ今後の展開次第と言う事にして、今はなるべく考えないようにしよう。恥ずかしいから。
恋人同士になったら、なるべくカーティスのペースに巻き込まれないようにしよう。あのペースに巻き込まれると、楽しいけれどやりたい事が殆ど出来なくなるから。そんな乗り気な自分に気が付いて、クスリと笑う。結構楽しいかもしれない。カーティスと付き合うのも。
まずはこの心配そうな顔の男に一言告げてみよう。
好き、と。
まずはそこから始めてみよう。