貴族の国、ルクソーヌには『シーズン』と呼ばれる時期がある。雨季を抜けてから木々が赤く染まるまでの期間を指し、夜毎どこかで夜会が開かれる。属国であるこの国も例外では無く、第2王子付きメイド長シエラ=ロザンも毎日大量に舞い込むパーティーの招待状に目を通す羽目になっていた。

シエラの机の上には既に招待状の山が出来ていた。王子に招待状を送るにもそれ相応の家柄が必要なので、どれもこれも有名貴族の物ばかりだ。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。貴族社会の面倒臭さを実感しながら、角が立たないようにスケジュールを組んで行く。ようやく満足の行く物が出来た・・・と思った矢先に乱暴にドアが開かれた。

「お姉さま、大変です。ギルカタールの親善大使の訪問が公式に決まりました」
「は?!」

懐かしくも有り得ない国名にシエラは万年筆を落とした。机の上に落ちた衝撃でインクが飛び散る。折角出来上がったスケジュール表に黒い斑点が飛び跳ね、ゴミ箱へそのまま直行する事になった。




犯罪大国ギルカタール。国民の9割が犯罪者という悪党だらけの無法者の国である。そんな国と裏で繋がりを持とうとする国はあっても、表立って繋がりを持とうとする国は無い。真っ当な神経と倫理観を持っている者ならば名前を聞いただけで眉を顰める。それがギルカタールという国だった。そんなギルカタールだったが、最近紅玉を始めとする宝石の産出国として名を上げ始めている。本国ルクソーヌが一定量の原石を確保すべく秘密裏にギルカタールに打診しているという話を噂では聞いていたが、まさか公式訪問にしてしてしまうとは。表立って繋がるメリットよりもデメリットの方が大きいこちら側の状況を考えれば、おそらく公式訪問を希望したのはギルカタール側だろう。今までのギルカタールの施政者には無い動きだった。

「本国の女王陛下からも国王からもゴーサインが出たよ。来月、ギルカタールからの親善大使をお迎えする」

国の評判に大きく関わる以上、ルクソーヌにギルカタールの大使を訪問させる訳には行かない。しかし、ギルカタールの宝石は欲しい。そうして出した妥協点がルクソーヌ属国にギルカタール親善大使の公式訪問なのだろう。泥を属国に被せ、身を本国が取る。その事にシエラは眉を顰めるとエドワルドは「折角の機会だ。こちらからもギルカタールに何らかの交渉を持ちかけよう」「噂の宰相殿が来るようだからね」と意味深に笑って見せた。




シーズン期間中の貴族の生活は実に怠惰だ。昼頃に起きて夕方まで執務をし、夜になると夜会に参加する。空が白くなるまで参加し、太陽が昇る少し前に帰宅して眠りに付く。王子であるエドワルドは流石に深夜になる前には王宮に帰り、朝から政務に励むが。そんな忙しい時期に舞い込んだ公式訪問の話はエドワルドの部下達の仕事をより忙しくさせた。悪名高いと言えど、国賓である。別に居を構える国王からも増援部隊が送られ、城中至る所飾り付けられた。そして遂に当日を迎えた。




「ギルカタール宰相様」

マーシャルが朗々とその名前を読み上げる。馬車から降り立ったのは豪奢な銀と青玉の杖を持った女性。歳の頃はエドワルドとそう変わらないだろう。夜を彷彿させる髪を高々と結い上げ、異国のドレス姿。

時が止まったように静まり返った。

王子の妃と言われても頷いてしまう程の容貌だった。歩む様、話す様、佇む様は生まれながらの貴族階級よりも優雅だった。悪名高きギルカタールの宰相を一目見ようと集まった貴族達もその姿に言葉を失ったようで、それがお気に召したのか麗しの宰相は淡く笑いながら王子の前まで歩を進めた。


歓迎セレモニーとして開かれたダンスパーティー。そこでエドワルド、ジャスティンそれぞれと見事なダンスを披露したの姿に人々は一時ギルカタールという言葉を忘れ、思い出した途端に夢から覚めてガッカリとした表情で物悲しい溜息を吐き出した。そんな周囲を面白そうに眺めたエドワルドはパーティーの閉会宣言後、ジャスティン、と共に退室した。その後をシエラ達も続いた。


エドワルドにエスコートされ、ジャスティンと並びながらは夜の薄暗い長い回廊を歩いていた。美男美女、絵画のような光景を眺めながらシエラはこの後のスケジュールを思い出す。ふと感じた気配に携帯した武器に手を伸ばせば、マーシャルも懐の武器に手を伸ばす。同じ物を感じたのかの足も止まり、それが合図だったかのように柱の影、バルコニーの影といった死角に隠れていた襲撃者が一斉に襲い掛かって来た。の前にジャスティンが庇うように立ち、抜刀する。エドワルドの前にシエラが立ち、武器を一振りしたのだがそれは空しく宙を切った。


大量のナイフが雨のように降り注いだように見えた。それらはギリギリ急所から逸れたものの、立つ事すらままならない様で無様に襲撃者達は膝を屈した。新たに現れた第三者にマーシャル、シエラがナイフを投げる。悲鳴は無く、マーシャル、シエラの足元に投げたナイフが突き返された。

「カーティス。これ以上働かなくて良いわ」
「良いのですか?それで?」

闇の中から応える声がした。聞き覚えのある声にシエラが反射的に彼の名を呼んだ。

「カーティス?!」

その言葉には応えない。代わりに続けられたの言葉に彼は素直に応じていた。

「わかりました。この愚か者共の処遇は彼らに任せましょう」
「ありがとう」

いち早く立ち直ったマーシャルの命で襲撃者達は連行されて行く中、2人の王子と向き合ったは深く頭を垂れた。

「私の護衛が要らぬ手を出してしまったようで申し訳ありません」

本心とは程遠いのだろう。事務的な響きしか感じない言葉だった。気にした素振りも見せずに、エドワルドが逆にこちらの非礼を詫びる。襲撃者の侵入を許した時点で警備にミスがあった事を認めざるを得ない状態だった。

「カーティス、こちらへ」
「どうしても出なければ駄目ですか?」
「たまには自慢くらいさせて下さい」

エドワルド、ジャスティンと幾つかのやり取りの後、は闇に問い掛けた。迷惑そうな言葉が返って来たが、続いた言葉に機嫌を良くしたのが闇が動く。

するりと闇を切り取ったように、何も無かった空間から男が現れた。蝋燭の炎に照らされたその姿は昔の記憶とまったく変わっていなかった。緋色の髪と鳶色の瞳。最強の暗殺者、カーティス=ナイルその人だった。

「カーティス」
「久しぶりですね」

シエラの言葉に今度は彼は応えた。混乱するシエラを他所にしれっとした顔での横に立つ。

「な、なんで?」
「おかしな事を言いますね。奥さんを守るのは夫の役割なんですよ」

両王子、国賓を前にシエラは驚きをそのまま声に出した。それは使用人としては失格の行動であったが、同じように両王子も使用人達も驚きの声を上げる中、カーティスはそれらを意に介さずにの腰に腕を回すのだった。




私の『夫』兼『護衛』を紹介します