空が夕闇から夜に変わり、街に灯りが灯り始める。仕事を終えて帰宅する者。これから仕事に出る者。他国に比べて夜の仕事が圧倒的に多いギルカタールでは、この時間が最も街に人が行き交う。大通りを歩けば、ナンパにスリに客引きにと人に事欠かない。適当にあしらって目印の道具屋の脇から続く細い通路に入る。

入った瞬間に視線を感じた。おそらくはこの付近を縄張りにしている連中のものだろう。この道を通るのは初めてなので、迷い込んだと思われたようだ。入り組んだ道を歩けば、恐喝目的で絡んで来る男に話し掛けられる。それも適当にあしらうが大通りの相手のようには行かず、仕方なく実力行使で少し黙らせた後、まっすぐ進めば右に赤い長靴の看板が見えた。スラムのこの一角の情報なら、大抵の事がわかる情報屋の店。


薄汚れた木製のドアを潜る。カウンターの向こう側に座る眼帯をした中年の男がどうやら情報屋のようだ。相場に習い、情報に見合った金貨を机に置く。

「欲しいのは何だ?」
「ボアトレの商人、エルク=ベルジュ」

ギルカタールの店は余程の高級店で無い限り、一見だろうと相手にしてくれる。欲望が渦巻くこの国は金さえあれば大抵の物が手に入る。

「この店の前の道をまっすぐ行き、つきあたりを左、1番目の角を右に曲がれ。大きな広場に出るから、そこから奥3番目の2階建ての家に居る」
「ありがと」

必要最低限だけの言葉を交わして外に出る。言われた通り道を歩けば、徐々に増える視線。数は多いが気配は薄い。向こうから近付く気配も無い。おそらく遠くから警戒しているだろう。構わず先を進めば、情報屋の言葉通り大きな広場に出た。突き刺すような視線と隠さそうとしない殺気が向けられる。だが、その気配はやはり遠い。威嚇か警告か。どちらにしても引くつもりは無い。そのまま目的地を探せば、じわりじわりと殺気の濃度が濃くなって行く。このまま歩き続ければおそらくこの殺気の主から襲撃を受けるだろう。さてどうするか。杖をくるくると回しながら歩けば、目的の建物の前に辿り着いた。すると相当高まっていた筈の殺気が一気に霧散する。

「何だ?」

私の呟きに言葉は返って来なかった。






買った情報と一致する建物の前にやって来た。奥から3番目の2階建て。間違い無くここだ。感知魔法を建物に掛ける。

1階には誰もいない。2階に反応が2つ。そのうち1つからは生体反応が無い。嫌な予感を胸に室内へと入った。立て付けの悪い扉を開く。鈍い音と共に扉が開かれる。気配を消す事も音を消す事も可能だったが、敢えて何もせずに中に入る事にした。生活感が感じられない室内。2階から動く気配が感じられないので、こちらから赴く事にした。


階段を登り切ると、挨拶のつもりなのかナイフが2本飛んで来た。真鍮で出来た杖でなぎ払うと、ナイフは金属同士がぶつかった時の高い音を立てて床に転がった。

「見事ですね」
「・・・・貴方は?」

2階の部屋の真ん中で佇む男が1人。エルク=ベルジュでは無い。年齢は20代前半。赤い髪と鳶色の瞳をした整った顔立ちながら、片側の三つ編み以外特徴が見当たらない。赤い髪はギルカタールではそう珍しくないし、体格も平均的。街の雑踏の中にでも紛れ込まれれば見失いそうな、どこにでもいる青年に見えた。

「貴方、この方に御用でしたか?ちょっと遅かったみたいですね」

質問に答えず、赤髪の男は部屋の隅を見遣った。転がった死体、それを囲むように血溜まりが出来ている。緑色の髪が見え、ターゲット死亡に溜息が出た。

「死人に口無しか。・・・・厄介ね。貴方、依頼されたの?」
「まさか!お隣に誰か引っ越して来たかと思ったら、その人煩くて煩くて。安眠の為に静かになって貰いました」
「・・・・・・・そう、近所付き合いって大事だものね」
「ええ、久しぶりに大嫌いなボランティアをしてしまいました」

安眠の為とさらりと言うが、その方法が殺すと言う辺り、ギルカタールでも特異な気がした。大抵のギルカタールの男なら、殴るか納めて貰う物を納めて貰うかするだろう。確かこの一角は確か暗殺ギルドの巣窟だとライルの言葉を思い出す。目の前のこの男もきっと暗殺者なのだろう。殺す事が空気を吸う事と同じくらい当たり前な職業。目の前の男の牙が見え隠れしていて、関わりを持つ前に仕事を終えてしまおうと思った。


赤髪の男は私がこれからどう動くか観察して動かない。警戒しつつ、既に絶命した男の傍に屈む。だらりと力無く垂れ下がった手を持ち上げれば、血の滴る男の指には件の印章が指輪として填められていた。間違いなくエルク=ベルジュ本人だった。私は立ち上がると、死体の血で染まって居ない背中の部分を杖で軽く突く。死者を愚弄する行為ではあるが、抱き抱えて行く訳にも行かなかったので致し方無いと思う事にする。

青い魔法が渦巻き、死体を包む。座標捕捉完了。さて帰ろうと踵を返すと、先程の男が階段の前でにこやかな笑顔で立っていた。窓は外側から打ち付けられているので、外に出るには階段を降りるしか無い。どうやら退路を絶たれてしまったようだ。帰る前にひと運動しなけれならないようで、再び口から溜息が漏れそうだった。

「貴方、強そうですね」

うっとりとした口調で赤髪の男が呟く。ボランティアは嫌いと言ったので、てっきり仕事と己の周辺の煩わしさを取り払う殺し以外しないのかと思ったのだがどうやら違うらしい。獲物を見つけた獣の獰猛さを湛えた瞳で、こちらをじっくりと眺める。今にも食事するかのようにペロリと唇を舐めた。


男の動きから目を離さずに、後ろで血塗れの男に魔法を掛ける。空間が僅かに振動し、死体が消える。残された血溜まりが蝋燭の灯りで照らされ、不気味な光景だけが残された。

「へぇー、魔法使いですか」

感心したように男が呟く。私は答えない。答えない代わりに杖で床を突く。床に円状の穴が開き、重力に任せて1階まで落ちようとしたが、その前にナイフが飛んで来た。杖で払うには間に合わず、身を翻して避けた。







しばらくは防戦一方だった。男はナイフを投げ、私はそれを紙一重で避ける。無駄な動きをすれば、四方八方から飛んでくるいずれかのナイフの餌食になっていただろう。どこに仕舞っていたのかと首を傾げるくらい、2階の部屋の至る所にナイフが突き刺さっていた。

「僕のナイフをここまで避けたのは、貴方が初めてです」

闇が笑う。正確には闇を纏う赤い髪の男が。その姿は、その声音は、到底暗殺者に似つかわしくない。残酷な児戯を楽しむような姿であり、声音である。目の前の男は遊んでいるのだ。冗談ではない。付き合ってられない。


額と喉を狙って正確に飛んで来たナイフを目の端で捉える。それを避けずに、魔法詠唱を行う。
魔法は便利な分、詠唱しなければ何も起こらない。発動した威力が凄いのだ。だから魔法を使う者は詠唱時間の短縮に力を入れ、如何に相手の隙に詠唱するかが求められる。逆に魔法を使う者を相手にする場合は、如何に隙を与えずに魔法詠唱を阻止するかに掛かっている。先程からまったく魔法詠唱の暇を与えない男に苛立ちを覚える。流石、ギルカタールの暗殺者と言う所か。この国に来てまだ日が浅いが、このクラスの使い手がその辺にゴロゴロ居ない事を切に願う。

判断を間違っていたら、私の眉間にナイフが刺さっていただろう。寸での所で詠唱が完了する。男の投げたナイフは既に私の支配下だ。弾かれたようにナイフは跳ね返ると、そのままあの赤髪の男に向かって行った。投げた時の2倍の速度、恐らく避けるか白羽取りでもするだろう。出来なければその時はその時だ。私の見た目が見た目なので火の粉を払う事は日常茶飯事だが、ここまでの相手と対峙したのは初めてだ。手を抜けば私の方がやられてしまう。

結末を見る事無く、私は自分が開けた穴に飛び込み素早く外の扉を開けると、そのまま闇に紛れて王宮へと帰る事にした。着地した時に階段を降りる音がしたので、相手も無事らしい。追って来られたらまた一苦労なので、外に出て建物の影に隠れると魔法で王宮に帰る事にした。

願わくば、もう2度と会いたくない相手だった。







王宮に戻ると謁見室に光が付いていた。まだ夜の謁見時間らしい。夜の謁見を取り仕切る王妃の守り役を捕まえて、今日の収穫を端的に話す。守り役が次に謁見するよう告げたので、しばし謁見室の扉の前で待った。しばらくして出て行く相手と入れ替わりで謁見室に入る。

「ご機嫌麗しゅう、王妃様」

膝を折り、最敬礼を取る。一言二言挨拶代わりの言葉を頂いた後、報告するように促されたので、トータム=ベイルの報告書から順に話を進めた。王宮の1棟を楽に吹き飛ばせるマジックアイテムの話を重点的に聞かれ、エルク=ベルジュが殺害された件には眉を顰められた。

しかし、殺した相手の容貌を話すと―――。

「貴方、カーティス=ナイルと戦って来たのです?」
「相手を撒いて帰るので精一杯でしたよ」

呆れたように王妃は溜息を付く。

「あのカーティス=ナイルから無傷で帰って来る者がいるとは思いませんでした。流石はガーディンに見出され、私の目に適った者だけありますね」

防戦一方だったとは言え、あの赤髪の男から逃れた事は充分凄い事らしい。国王以上に非情でおおよそ他国出身とは思えないこの王妃はこの話をいたく気に入ったようで、エルク=ベルジュの死亡については不問、死体や遺留品の検分も明日と、人使いが荒いとされる王妃にしては寛大過ぎる言葉を頂き、今日はこれで仕事を終える事が出来た。