目が覚める。
いつもより部屋が明るい。寝坊したのかとベットから飛び上がる。
(ここは・・・?)
辺りを見渡す。キングサイズのベット。グレー、ブラック、ホワイトで統一された寝具。本棚が1つ、壁側に備えられて居て。反対側の壁には、大きなクローゼットがあった。床に無造作に投げ捨てられた、ボロボロのジャケット。それを見て、ようやくここがロベルトの自室と言う事を思い出した。身を起こし、続きの間に出る。
「おはようございます。良く眠れました?」
続きの間は、昨日ロベルトと話をした部屋だった。どうやら寝室と応接間を兼ねた自室は続きの間になっているようだ。
「あ、おはようございます、ロベルト殿。すいません、今の時間教えて貰えませんか?」
「いいっすけど」
ロベルトが時計を見る。告げられた時刻はいつもの起床時間とそう変わらない時間だ。どうやら私の自室より日当たりが良く、窓が大きいので遅い時間だと錯覚してしまったようだ。自分の勘違いに安堵する。
「あ、これからお仕事っすね。どうです。一緒にご飯食べてから行きません?」
「時間的には大丈夫ですが、寝てなさそうなのに大丈夫ですか?・・・・・すいません、ベット占領しちゃって」
己の図々しさに恥ずかしくなる。昨日は確かロベルトと話をしていて、途中眠くなって、そこから記憶が無い。寝室には足を踏み入れた記憶が無いので、眠ってしまった私をロベルトが運んでくれたのだろう。昨日知り合ったばかりのロベルトにここまで世話になってしまうとは。穴があったら入りたい気分だった。
「ああ、気にしないで下さい。俺が勝手にやった事なんだから。って、あ、こっちこそ、勝手に運んですいませんというか・・・」
お互いしばし赤い顔で黙り込む。
「ああ、もう、とにかく、さんは気にしないで下さいね!」
頭を掻きながら、ロベルトが言う。半分、勢いに押し切られた形にはなったが、異存は無いので頷いておく。それよりも。
「昨日から気になってたんですけど、何でロベルト殿は私に敬語使うようになったんですか?」
「ロベルトで良いですよ。殿とか要りません。その辺に投げちゃって下さい」
「投げるって・・・」
「投げちゃって良いんですよ、そんな物。あ、早くご飯食べないと時間無くなりますよ。食堂案内しますから行きましょう!」
着替えも無いので昨日の女官服のまま、手を引かれ連れ出される。朝と言ってもまだ早い時間帯だったので、従業員専用の食堂も人が疎らだった。それでも昨日酒場に連れ出される姿が目撃されている訳で。時々向けられる好奇の目に気付いたロベルトが威嚇しながらの食事だった為、居た堪れなさは大して感じなかったものの、硬派に拘るロベルトに悪い事をしたと思うばかりであった。
食事が終わり、ロベルトの自室に戻る。買って貰ったヴェールは昨日の戦闘で所々擦り切れていたが、繕えば何かに使えるだろう。また新しい物を買うと言うロベルトを何とか制し、髪留めと共に受け取る。
「色々お世話になりました。魔法しか能が無いですけど、何かお役に立てそうな事があったら言って下さいね」
迷惑も掛けたし世話にもなったので、久しぶりにお礼もしたくなったので感謝の言葉と共に言ってみる。ロベルトは口篭り、小声で何やら呟きを繰り返した後、「後で言います」と一言。それに頷き、挨拶をかわすと、移動魔法の光の渦に身を任せた。
魔法で戻って早々、急いで身支度を済ませて執務室に急ぐ。既にアッシュとタリアは来ていた。入って来た私に深々と挨拶をする。前も丁寧だったけれど、前以上に丁寧な挨拶をされるようになった気がする。気のせいだろうか。
席に着くと今まで調べた事を一旦纏める為に筆を持つ。部屋の空気が少し落ち着かない。優秀な秘書官2人が何だかこちらを度々見ている。もしかしたら昨日の戦闘の話が既に耳に入っているのかもしれない。女官服が手に入る王宮関係者、女、カーティス=ナイルと互角に殺り合えそうな人間。ヴェールで顔は殆ど見られなかったと思うが、状況が私だと示しているようなものだ。彼らは部下なので私に問い詰める権限は無いが、いずれ誰か聞きに来るだろう。つくづく厄介な事になったと思う。
(誤魔化すか)
無能と思われるのは一番嫌だが、必要以上に上に見られる必要も無い。そもそも出世欲が無いのだ。下手に力を見込まれて、無理難題を押し付けられるのも被りたい。
そう決めた途端、訪問者の気配。さっそく来たかと思い、書類から顔を上げる。
・・・・・・予想外にも程がある人物の登場に、手にした書類を落としてしまった。
「おはようございます、」
昨日、私の肩をやってくれた男の登場に思わず身構える。
「カーティス=ナイル?!」
アッシュとタリアが身構えるが、突然やって来た来訪者は特に気にした素振りも見せず、軽快な足取りで私の方に歩いて来る。その行動に優秀な秘書官2人は隠し持った武器に手を掛けようとするが、手で制す。私の指示に2人共納得いかない表情になるが、私が再度制した事で衝突は避けられた。
アッシュもタリアも確かに優秀だが、カーティスには遠く及ばない。その事は本人達も良く理解しているだろう。しかし、彼らは王宮に仕える優秀な人間である。腕が遠く及ばないからと言って、上司に牙を向ける可能性がある人間をそのままに出来る筈が無いのだ。彼らの矜持がそれを赦さないだろう。
「落ち着きなさい。今抱えている事件で私が彼に依頼したのです。まさか、ここに報告に来ると思いませんでしたけど」
暗殺者を頼む案件では無いので苦し紛れの言葉だったが、私の意図を理解したカーティスが続けて話す。
「貴方、早く情報欲しがってたでしょう?だからわざわざ持って来たんです。感謝して下さいね」
どこから取り出したかわからないが、一冊の本を手にしたカーティスが傍に寄り、耳元で囁く。
「2人きりで話しましょうか」
まるで恋人に囁くような甘い声。その声に頭が痛くなる。3度目の襲撃の可能性が非常に高いが、部下を巻き添えにするのも忍びない。それにここは私のテリトリーだ。私にとって色々都合が良い空間でもある。カーティスを捕縛出来るかどうかわからないが、その気になれば強制送還くらいは可能だ。私に分がある事はカーティスも承知済みだろう。ならば早々仕掛けて来れまい。そう判断すると、私はアッシュとタリアに緘口令を敷いた後、退席を命じ、それに従い2人は出て行った。
「やっと2人きりになりましたね」
うきうきと楽しそうな声音。目の前の男は殺り合いに関しては子供っぽい部分があるので、やはり3度目かと構える。そんな私の姿に苦笑いを浮かべるカーティス。
「そんなに警戒しないで下さい。もう貴方に危害は加えませんよ」
「・・・・そう言われてもね」
ついに右肩に触れてしまう。紛れも無く昨日目の前の男に痛めつけられた所。あの時、ロベルトが間に入らなければ。・・・・考えたくない未来が待っていただろう。
「肩の具合はいかがですか?見た所、もう完治したみたいですけど」
「お陰様で、外されたのを戻すのが大変でした。・・・・随分、魔法使いに詳しいようで」
「ああ、あれ、魔術師にも効くんですね。魔法使いしか相手した事が無いから、どうしようかと思ったんですけど。今度、また魔術師に会ったらやってみます」
「・・・・・・・・・そうそう魔術師が居る訳ないでしょう」
魔法使いと魔術師は混合されやすい。特に魔法が重視されないギルカタールでは、敢えて見識を広めない限りは同一視されやすい。魔法使いは魔法を行使する人間を指すが、魔術師はそれの上を行く。魔法、錬金術に通じている者。魔法は攻撃、防御、補助の魔法が使える者。その他にも一定レベルの医学、薬学、科学に通じている者。以上の条件を満たしている者が、ルーンビナスの試験を受け、合格した者にその称号が与えられる。れっきとした国家資格でもあり、合格者は総じて実力者が多い。
「そうでもないですよ。僕の大嫌いな高位な人達はこぞって魔術師を雇いたがりますからね」
「確かにね」
名のある魔術師は大抵高位の者や金のある者に雇われている。魔法大好き、研究大好きの変わり者が多いのだ。故に新たな魔法や研究を続けながら生活するとなると、パトロンを持つか雇われる選択を選ぶ者が多い。私自身、国王に雇われている身だ。
「でも、貴方って面白いですよね。権力が欲しい訳でも無い、名を広めたい訳でも無い、お金が欲しい訳でもない。何で国王に雇われているのか、不思議なくらいです」
図星だ。私はどれも欲していない。元は目的があって諸国を旅する人間なのだ。権力など邪魔なだけ。名が知れ渡ると不都合な事の方が多い。これでも魔術師の端くれ、マジックアイテムの生成や魔法でお金も稼ごうと思えばいくらでも稼げる。だが、それをこの男に告げる義理は無い。
「こう見えて策略や計略を張り巡らすの、好きなんです」
そう事実を織り交ぜ、誤魔化しの言葉を口にすれば、カラカラと楽しそうにカーティスは笑い出す。
「あはは、やはり貴方は面白い人だ。やはり殺さなくて良かった」
「命拾いしたみたいね」
「殺すには貴方は惜しい人です。殺しちゃったら楽しみが1つ減っちゃいますし」
カーティスが私の顔を見る。
「最近、飽き飽きしていたんですよ。どうも退屈で。貴方の傍に居れば退屈しないで済みそうだ」
「・・・・私、昨日まで敵と認識してた人を傍に置く程、自信家では無いつもりだけど」
昨日の傷はもう癒えたし、昨日の襲撃の件について言えば、正直怒っては居ない。非常に面倒だったと思う程度だ。実際、怪我をしたのは私と彼の部下達と、痛み分けの状態で、そもそも怒りを持続出来ないと言う良いのか悪いのかわからない性分なのだ。
しかし、昨日の一件を差し引こうと引かまいと、この危険極まりない男を近くに置ける程の実力も無ければ自信も無い。
「そうですね。僕が貴方の立場でも応じません。でも、僕は貴方に興味がある。珍しいんですよ。この僕が何かに執着心を持つなんて」
「・・・・・貴方のナイフの標的になって、生きてたのが私1人だからじゃないの?」
「それもあるかもしれませんが、・・・・そうですね。結局の所、上手く説明出来ないんです。こういう風に思う事が初めてなもので。ほら、貴方って凄腕の魔術師で剣技も凄くて美人で性格も良いでしょ。そんな完璧な人、そうそう居ませんが、居たら壊したくなるでしょう?」
「同意を求められても困るわね」
「そうですか?」
「ええ」
褒められている筈なのに、褒められてる気がしないのは何故だろう。しかし、目の前の男は色々とずれている感性の持ち主のようなので、深く考えないでおこうと思う。
「そんなに僕の事が心配ならば、『誓約』しましょうか?」
「うーん、そうね・・・・って、誓約?」
「そう、誓約。魔術師の貴方の方が詳しいでしょう?」
「確かに詳しいけれど、まさか」
「まさか?」
「誓約まで持ち出すとは思わなかった」
誓約とは魔法を使った契約の1つだ。両者合意の下、互いの名前と約束事を宣誓する事で、約束事に強制力を持たせる契約である。例えば、嘘ついたら針千本飲ます、という子供の約束の言葉があるが、これをこの『誓約』で行った場合、両者がお互いに嘘をついた場合、本当に飲まされる強制力を持つのだ。考え事をしていたので、いまいち反応が鈍くなってしまったが、契約自体は簡単でも、両者が合意と言う条件が付くので、強制力がかなり高い契約でもある。
「誓約は可能だけど、貴方、縛られても良いの?誓約を反故したら約束事を破った際に、その時の罰を全て被る事になるんだけど」
「誓約する内容も罰も軽くすれば良い。・・・そうですね。僕は今後、貴方に危害を加えません。反故した瞬間、腕を1本失います。こんな感じでどうです?」
「随分と買って貰っているわね。軽いと言って置きながら、腕1本差し出すなんて、何が狙い?」
「それだけ貴方に興味があると言う事です。さあ、どうします?」
その後、色々と考えた末、カーティスと誓約する事になった。誓約しないとこのまま毎日襲撃を受けるか、来訪を受ける羽目になりそうだったのが大きな理由だ。カーティスは私に危害を加えない。カーティスは私の仕事に対し守秘義務を持つ。私はカーティスに危害を加えない。両者約束を違えた時、腕1本を代償とする。誓約期間は1週間。まずはお試し期間を設ける事にした。
誓約用の赤インクをカーティスの利き手の親指につけ、次に私の親指につける。そして互いの指を押し当てる。誓約内容を私が読み上げ、カーティスがそれに同意する。これで誓約の完了だ。
「思った以上に簡単ですね」
「契約の中では一番簡単な物だからね」
指の赤インクをカーティスが拭く。以前は血を代用していたそれは、血の色を模した色なので物騒な色合いであるが、カーティスの指には何故か似合っていた。
「無事に誓約完了ですね」
「そうね。・・・ところでカーティスはここにそれだけの為に来たの?」
「まさか。取引をしに来たんですよ。でも、ほら、取引って信頼関係って重要でしょう?」
「・・・・重要ね」
「僕も昨日はついはしゃぎ過ぎてしまって、貴方に痛い思いをさせてしまった。そんな貴方に僕から取引を持ちかけても、応じられる筈がありません。だから最初に誓約させて貰いました」
誓約により身の安全と仕事上の安全が確保されたが、これが無ければ私は相変わらずカーティスを避けて取引にも応じなかっただろう。彼に対する怒りはもう無いが、信頼はもっと無いと言って良い。
「まぁ、誓約したからマイナススタートでは無いわね。信頼関係も」
「それは良かった。実は貴方とこれを取引したくて来たんです」
カーティスの手に先程見た一冊の本があった。かなり汚れていて、表紙の題名が読めない。
「貴方と初めて出会った時、煩くて僕が殺したあの男の持ち物です。貴方の今のお仕事のお役に立つと思って持って来ました」
「エルク=ベルジュの?!」
私はカーティスの持つ本を凝視する。暗号が物語の単語である以上、あの本はあの物語の可能性が高く、謎を解く鍵になるかもしれない。本来ならばエルク=ベルジュ殺害後、あの部屋を検めなければならなかったが、カーティスが手薬煉引いて待っている状態に私も部下も飛び込める筈が無く、断念する事にしたのだ。
「欲しいけど、怖いから先に取引の条件聞いておくわ。私に貴方は何を望むの?」
「そうですね。さしあたっては、一緒に酒場で飲んでお話出来たらと思いますけど」
「そんな事で良いの?」
「貴方の傍に居ると面白い事が起きそうですから、ね」
カーティスが笑う。その瞳には児戯を楽しむあの剣呑な光は見えなかった。