魔法で部屋に戻る。

窓もカーテンも締め切った室内は暗いが、杖を一振りすれば命を得たように明かりが灯る。部屋の棚の扉の1つを開ける。ずらりと並ぶ瓶の列。カーティスが物珍しそうにしげしげと眺める。

「んー、どこに置いたかな?」

目的の物がなかなか見つからない。瓶は似たり寄ったりのデザインで、数がそれなりにある。

「これはレッドモルドの苔。こっちはヴェノムマウスの爪。それにこっちは・・・」

恍惚の表情で瓶を眺めるカーティス。暗殺者の趣味が毒収集と即座に思うのは安直な考えだ。しかし、今まで会った腕利きの暗殺者の趣味と言えば、毒収集か武器収集が圧倒的に多い。カーティスも例に漏れないだろうと思って取引を持ちかけたら、案の定上手く行った。毒薬の中では入手難易度が相当高い竜涎水を欲しがるくらいだから、かなりの毒収集家だとは予想していたが、まさかここまで凄いとは。見ただけで中身を当てるとはさすがとしか言いようが無い。

「これってもしかしてローズダストハイじゃないですか?」
「そうだけど」

ほぅっとカーティスは感嘆の息を吐く。ほんのりと頬を染め、じっと眺める。まるで恋をしている乙女のような姿だが、だとするとカーティスは毒薬に恋をしている事になるのだろうか。薔薇を象ったくすんだ桃色の瓶の中の液体は、カーティスの想いに応える事無く静かに佇んでいた。

「ねぇ、
「何?」
「これ頂けませんか?」
「良いけど、それなら竜涎水はあげませんけど」
「そっちも欲しいんですけど」
「だーめ。どちらか1つしかあげません」
「1つは買います」
「・・・・高いの知ってるでしょう?」
「ええ、億は余裕ですね」

先程の私と同じような口調でさらりとカーティスが言う。ギルカタールで大成しているのだから、私が提示する金額だろうと彼はあっさり払えるだろう。仕事で使うには高級過ぎる毒だ。希少性も非常に高いので、使われずにカーティスのこれまでのコレクションと共に並ぶ事になるだろう。毒物の扱いにも慣れているので、買い手としては問題ないけれど、簡単に手放すには何となく惜しい。お金に困っている訳でも無いし、簡単に渡しても面白くない。これから先、今日のように約束を仕事で反故する日だってあり得なくは無いのだ。それならば手札になりそうな物は取っておくのに越したことは無い。

「ま、そのうちね」

お目当ての瓶が見つかったので、カーティスの目の前にちらつかせる。濃い群青色の小瓶。瓶の腹の部分に竜が透かし彫りで彫られていて、瓶自体が芸術品とも言える。目を輝かせて瓶を手に伸ばそうとするカーティスだったが、先程まで手にして眺めていた薔薇型の瓶を返さない辺りが非常に彼らしい。伸びたカーティスの手を一度叩く。痛いじゃないですか、としゃあしゃあと言うが気にしない。

「これが欲しいなら交換ね」

笑顔でそう言ってやれば、非常に不本意そうに眉を顰め、しばらくの間、私が持つ瓶と自分の手の瓶を見比べて、

「こちらにします」

と、手にした瓶を返して来たので、私は約束通り手渡した。

瓶の蓋を開け、匂いを嗅いで中を確認するカーティス。その香りに魅了されたのか、うっとりとした表情で瓶を指でつぅっと滑らせる。その仕草が艶めいているように思えた。

竜涎水、竜の涎が固まって出来たと言われる竜涎岩から精製出来る水。同時に精製される竜涎香が天上の香と称される程の香水であるならば、竜涎水は天上の水と称される飲み物。天上が見えると言われる程の至幸を感じながら、ゆっくりと全身に染み渡り事切れる。高位の者が死を恐れて作り出したとされる、最高の自殺用の毒物である。

最も毒物に非常に強い耐性を持つ暗殺者を生業にするこの男が、この程度の毒でやられる筈が無いが、毒物の瓶を手の中で弄ぶ姿は別の意味で毒に侵されてしまっているように見えた。







念の為、もう一度水鏡で例のマジックアイテムの捜索を行ったが、王宮に2つ赤く点滅する以外見当たらなかった。どうやら今の所運び込まれた物はこの2つだけらしい。すぐさま国王に報告すべく、謁見を申し出れば、即座に謁見室に通された。遅い時刻にも関わらず、国王夫妻を始め、重臣達が全員揃っていた。

既にトータムから報告を受けていた国王に、その後の進展を話し、マジックアイテムによる攻撃は一時回避した事を告げる。私の報告に満足そうに笑う国王。しかし、よくよく見ればやはり目は笑っていない。盗賊王として名を馳せたこの聡明な王も気が付いたのだろう。己の城にそれなりに育った鼠が居る事を。ライルを始めとする裏の一派によって、洗い出し作業は始まっているだろう。近々大捕り物があるかもしれない。そんな予感がした。

南北のまとめ役が揃っていたので、例のマジックアイテムに反応するタリスマンをそれぞれに渡す。相変わらずヨシュアは私を睨みつけて来るが、気にしない。ギルカタールの王都の端は巨大な壁でグルリと囲まれていて、中に入るには南北の関所を通らなければならない。ここのチェック体制を強化しておけば、大抵の企み事はここで防げる筈だ。油断は禁物だけど。

謁見室を後にして、執務室に戻る。アッシュとタリアに仔細を話し、緊急事態の回避の触れを王宮全域に出す為に走らせる。自分以外、誰も居なくなった部屋。否、居ないように見える部屋。

「カーティス」
「なんです?」
「本当に行くの?」
「ええ、僕も行きますよ」

扉の影からカーティスが現れる。お目当ての毒薬を手に入れたので、てっきり今日は帰るのかと思いきや、うっとりとした表情で毒薬の瓶を弄ぶカーティスに、それじゃあ、また、と告げて仕事に戻れば、お付き合いしますよ、と言って彼は私の後ろをどこまでもついて来た。謁見室で報告してる間も、きっとどこかで見ていたのだろう。本来ならば謁見室まで付いて来るなと言わなければいけないのかもしれない。けれど、この男は私に関係なく、入ろうと思えばどこにでも入れる。王の寝所ですら容易いだろう。言うだけ無駄なのだ。結局は。

「ねぇ、カーティス?」
「なんですか?」
「楽しい?」

今朝、執務室を訪れた彼は私と一緒に居ると面白い事が起きそうだと言った。ならば、同行を申し出ている今は楽しいのだろうか?そう思って出た質問に、カーティスはそれはそれは楽しそうに、まるで人の不幸を垣間見ているような不敵な笑みを浮かべて、楽しいです、と告げた。

人の不幸とはあくまで例えのつもりで思った事だが、ここ数日を振り返ってみれば、ナイフを投げつけられたり、肩の関節を外されたり、時間外労働をしたり、と不幸と言えなくもない境遇だ。そう考えると本当に自分は不幸で、カーティスはそれを見て楽しんでいるような錯覚すら覚えてしまう。

気のせいだと己に言い聞かせる。目的の為には時に犠牲も必要だとも言い聞かせる。


壁時計がなる。夜はもう完全に更けたが、もう一仕事残っている。気を引き締めると、カーティスを伴って移動魔法で約束の場所まで飛んだ。







魔法と徒歩で約束のシャークの倉庫まで辿り着く。既にシャークは中に入ったようで、倉庫の前で彼の指示を受けた部下が待っていて、私達の姿を確認すると中に通してくれた。

レンガ作りの倉庫。中は広く扉で何層にも部屋が仕切られている。数えて5つ目の扉を潜ると、中に数人居るのが見えた。その中で一際派手な赤い服が目に付く。シャークだ。振り返った彼は、挨拶代わりに手を挙げる。

「遅くなってすいません。シャーク殿」
「いや、思ったより早かったな」

くいっと顎で示された先に目をやれば、床に転がった男が1人。所々破れた服は血で染まり、剥き出しになった皮膚には無数の拷問の跡があった。ボアトレの商人、ドラブだ。商人としては駆け出しと聞いていたが、まだ若い。10代後半と言った所だろう。腕に厚みのある手枷が嵌められていて、床に横たわっていた。今は意識はあるのだろう。痛みに耐える低い唸り声が聞こえた。

「さて、始めて良いですか?」

横に立つシャークに尋ねれば、ああ、と短く了承の言葉が得られた。横たわる男の背中側の傍に屈み込む。後頭部に手を置く。再び拷問が始まるとのだと怯えた男が、ひぃっと金切り声を上げるが、身を強張らせただけで抵抗らしい抵抗はされなかった。繰り返し受けた拷問によるダメージで、肉体的にも精神的にも抵抗する力が失われているのかもしれない。抵抗されない分、魔法詠唱も妨害されずに済んだので、作業は楽に進んだ。


最初の魔法であっさりと意識を手放した男は、私の魔法の支配下の中で今頃は仮初の夢を見ているのだろう。今まで拷問を受けたとは思えない穏やかな顔。私がこの男の記憶を探り情報を引き出せばもう用は無い。その後の末路はシャーク次第だが・・・・・真っ当な未来など残されて居ないだろう。

(せめて今だけでもいい夢を見ていると良い)

穏やかな夢が見られるように、幻惑と眠りの魔法を掛ける一方で、記憶探査の魔法で男の見たここ数日の記憶を探る。




トラブルを起こし捕まる前から遡る。ギルカタールの街中。北関所。そして北部の街。街中の酒場。空き椅子が前に2つ。

4人掛けのテーブルに1人で座っているのだろうか。しばらく1人で酒を飲んでいると、そこに男が1人現れる。薄藍色の髪の男。年は30代くらいだろうか。左肩に藍色の刺青が見える。どうやら呼び出されたのはこの男、ドラブの方だった。酒を飲みながら仕事の話をする2人。ギルカタールの国柄上、密輸も日常茶飯事に行われている行為の1つ。それをこの不慣れな駆け出しの男に、呼び出した薄藍色髪の男は頼んでいた。報酬は相場の10倍。その破格の報酬に警戒心を剥き出しにするドラブ。しかし、報酬に目が眩んだのか、一切の詮索は無用とした条件で引き受けた。前金として半額を受け取る。そして――オーキッドの麻布に包まれた大きな荷が1つ見えた。


それ以上はいくら探っても、ドラブから手がかりになるような記憶は読み取れなかった。ただ依頼されただけのようだ。だが収穫はある。刺青をした薄藍色の髪の男。オーキッドの麻布をドラブに手渡した男。おそらくこの男が詳しい話を知っているだろう。手がかりは刺青。


触れていた手を戻し、立ち上がる。魔法で得た情報をシャークに話せば、眉間に皺が寄り苦々しい表情に変わった。高級品だと思って奪ってみれば、荷は国家転覆も可能な危険物。当然、王宮に没収されてしまう品。素直に渡さなければ、表の仕事に営業停止が掛かるか、不穏分子として捕らえられるので、商売を続けたいのならば渡す以外に選択肢は無い。王宮に恩を売ったメリットはあっても、それ以上は見込めない。配達人を1人縛り上げ、拷問に掛けて取引先を1つ潰してしまった割にはメリットは少ないのだろう。強欲な彼らとしてみれば、ただ働きしてしまった感覚が大きいのかもしれない。上手く行かない事もあるのが商売だけれども。

「情報料は明日支払いますね。貴方に渡せばよろしいですか?」
「ああ。俺は明日は一日病院にいるから、そこに持って来てくれると助かるな」
「では、今日はこれで失礼しますね」
「ああ。ちょっと待ってくれ」

ちょいちょいとシャークに手招きされ近寄ると、耳元で小声で話される。その内容に思わず吹き出してしまった。流石はギルカタール内で急成長中の大商人と言うべきか。その抜け目の無さと情報網には感心を覚えるくらいだ。一方、吹き出されたシャークは自分が貶められたと勘違いしたのか、睨んで来るので慌てて誤解を解く。ちょうど腕の良い調達屋が欲しいと言っていたので、シャークの申し出はタイミングが良かった。もしかしたらその事すら知っていたかもしれないが、利害が一致している以上問題は無いだろう。シャークの申し出を了承し、そのうちに引き合わせる事を伝える。その事に満足したシャークは自ら見送りに出てくれた。






倉庫前でシャークと別れると、そのまま魔法で帰ろうと思ったのだが・・・ふとある事を思い出した。

「カーティス」
「なんです?」

建物の影からするりと現れる。魔法感知しない限り、殆ど気配を掴ませない彼の技能は相変わらず見事だ。今までの例に漏れず、さっきの倉庫の会話も聞いていたのだろう。それならば話も早いが。

「ギルカタール国内についてはかなり詳しいのよね?」
「ええ。仕事柄、情報収集は欠かせませんので」
「この刺青、見たこと無い?」
「刺青?・・・・・先程の話にはありませんでしたね」

目を細め、カーティスはくつくつと笑う。何が面白いのか、彼の笑いのツボが良くわからないが、良く笑う人だと思う。

「あのシャーク=ブランドン相手に良くやりましたね。後でばれたら彼、怒りますよ」
「その時はその時」

1つだけ、この刺青の話だけシャークに伝えなかった。話してしまえば先に情報なり本人なり捕まえて、取引を持ち出されるの決まっている。カーティスもそうだが、シャークもプロ中のプロだ。使える情報網は私以上、出し抜かれるのは目に見えていた。だから敢えて情報を1つ出さずに隠した。ばれたら、謀った報復でそれ相当の目に遭わせられるだろう。それこそ、先程のドラブのように。まぁ、遭わせられたらの話で、耳の早いシャークならば、カーティスと私が殺り合った事も既に聞いている筈だ。簡単には手を出して来ないと踏んだ上での行いだと話せば、カーティスはまた笑った。

「貴方って本当興味深い。その若さで僕やシャークと対等に渡り合える人は初めてですよ」
「そう」

気の無い返事をすれば瞬く間に距離を詰められ、カーティスの腕の中に囚われる。

「え?!」
「ねぇ、。その刺青、僕は前に見た事があるんです。どうです?教えますから代わりに僕にも教えて下さいよ」
「・・・・何を?」
「貴方の事を」
「調べたんじゃないの?」
「ええ。初めて会った日から調べましたよ。すぐに王宮魔術師という事はわかりました。ですが・・・王宮魔術師になる前の貴方の事は一切わからなかった。僕の情報網を全て駆使したのに関わらずです。ますます興味が湧きました。こんなに人に興味を持ったのは・・・・・初めてです」

腕の中に囚われているので、カーティスの顔が近い。しっかり腰と背を押さえられているので、私の力では振り解けない。それこそ魔法や武器を使わない限り無理だろう。誓約を結んでいる為、それも無理なのでこの状況を受け入れるしかないようだ。かなり不本意ではあるけれど。

「別に全て話せとは言いません。一度に全部知っちゃっても面白さが無くなりますし。・・・・そうですね。何故、貴方が王宮魔術師をしているのか。それだけでも良いので教えて貰えませんか?」

随分勝手な話だと思う。出会ったのが2日前。一昨日、昨日と殺り合いをした間柄。その関係は良好とは言い難い。誓約を交わし、取引をし、病院や倉庫に同行・・・というより勝手に付いて来た彼は随分私の事が気に入ったようで、知りたい欲求に駆られて私の中にずかずかと入って来る。けれど良くも悪くもこの男は素直だ。拙い行動も今までに他人に興味を持たなかった故なのだろう。気に入られての行動だと思えば、不思議な事に悪い気はしなかった。

取引である以上、甘さや妥協はしないけれど。

「良いけどその代わりそっちの話が先。・・・・あと、この拘束も解いてくれる?」
「仕方ありませんね」

カーティスの腕が離れる。無意識に彼が与えられていた熱も離れ、肌寒く感じた。

時間は深夜をとうに過ぎた。日中の暑さは完全に失せ、冷たさが一層厳しく感じる時間帯だ。寒さにローブの前ボタンを閉めていると、カーティスの笑い声がまた聞こえた。